2001年4月30日未明、中国上海市で60代の日本人男性が謎の死を遂げた。家族は当初ひき逃げを訴えていたが、ほどなく偽装殺人であることが判明する。この事件は日中双方で報じられたが、後に中国では事件捜査のドキュメンタリー番組で題材となった。 上海市公安局が発生から数日で事件を公表した理由には、精鋭を集めた特別捜査班の存在があったようだ。まずは、母子の逮捕前に事件を伝えた「週刊新潮」(2001年5月17日号)の小さな記事を見てみよう。 *** (以下、「週刊新潮」2001年5月17日号「上海で起こった日本人母子の父親殺し」より。年齢等は掲載時のままです) 【写真】近年は「スピード判決」に変化か…中国・珠海で暴走車両が35人をはね殺した戦慄の現場 路上で血を流し倒れていた父親 「父が交通事故に遭った」 いまや中国最大の世界都市となった上海 日本人旅行者A(40)は、上海の警察に110番した(上海でも警察への通報は110)。先月(2001年4月)30日の未明のことである。 現場は、上海市閔行(びんこう)区の路上。亡くなった被害者のBさん(68)は、東京都下在住で、1週間前から息子Aと妻C(65)と一緒に上海に来ていた。息子Aが中国で始める事業の下見だったという。 「夜10時頃、父がホテルから1人で外出して姿が見えなくなった。捜しに出ると、路上で 血を流し倒れていた」と息子Aは警察に話す。ところが、上海市公安局は、まもなくその息子と妻の身柄を拘束した。交通事故ではなく、母子による偽装殺人だったのだ。 「保険金殺人かどうかは、まだはっきりしませんが、海外なら調査も甘いと狙った可能性は高い。しかし、中国では国のメンツもあり、外国人がらみの事故、事件は、他を措いていても迅速に徹底的に調べられるのです。その上、犯行手口はばれて当然のズサンなものでした」(現地邦人ジャーナリスト) おかしな遺体、ちぐはぐな供述 Bさんの頭部と背中に鈍器で殴られた跡があるなど、遺体の状況からしておかしかった。息子Aと妻Cの供述もちぐはぐ。そして、息子Aの中国人の友人が所有する車から、Bさんの血痕が発見されたのだ。 上海市公安局はこの事件を3日後に公表。「身内殺し 見破られた日本人客の被害届」と中国紙も報じた。 《母子は、Bさんに大量の睡眠薬が入ったビールを飲ませる。そして、Aが運転する車の助手席にBさんを乗せた。人目のない場所に着くと、2人は石とハンマーで被害者の頭を殴り、殺した》(解放日報) 公安局の調べに、2人は犯行を認め、Bさんの酒癖が酷く、妻を虐待するので犯行に及んだと話している。数日中に正式に逮捕の見通しだという。 「裁判権は、もちろん中国にあり、上海で裁判が行われるでしょう。しかし、中国では尊属殺人は特に重い罪。死刑判決が出てもおかしくないですね」(前出ジャーナリスト) (「週刊新潮」2001年5月17日号「上海で起こった日本人母子の父親殺し」より) *** 搬送時から事件性を疑われていた その後、母子は5月15日に殺人容疑で逮捕された。2002年8月28日に上海市第一中級人民法院で開かれた初公判では、息子Aが殺害を否認。妻Cは殺害を認めたものの、計画性を否認した。その10カ月後、2003年6月25日に言い渡された判決は、息子Aが無期懲役、妻Cが懲役12年と国外追放。同年8月22日には両者の控訴が棄却されている。 先の記事では息子Aが「4月30日の未明に110番」とあるが、実際は「中国人の友人」と記述された通訳の中国人女性だった。2人は4月30日未明、“事故に遭った”Bさんを乗せた車で病院に現れた。そこで当直医はすでに、遺体の砕かれた頭蓋骨やアルコール臭などから事件性を疑っていた。 一方、通訳女性と“事故”現場に急行した交通部の警官は、血の付いた衣類と靴を発見したものの、交通事故の痕跡がないことを怪しむ。報告を受けた所轄署はさらに上海市本署に報告し、双方の刑事部が捜査官を派遣した。現場検証や身元確認、検死解剖が一斉に行われていたのは午前4時前後のことだという。 午前6時にはベテラン捜査員による「4.30事件特別捜査班」が編成され、捜査会議が開かれた。このとき、現在はレジェンド級の法医学者である閻建軍氏が殺人事件と断定。Bさんの頭部の負傷は鈍器によるもので、手に防御創とみられる骨折を負っていたこと、体内から睡眠薬などが見つかったことなどを根拠とした。加えて、Bさんには上海在住の親族がいないことから、閻氏は母子と女性通訳を容疑者として指摘した。 事件捜査の大ベテランが結集 特別捜査班は5つのグループに分かれての捜査を開始。周辺の聞き込みや現場と車の再検証、防犯カメラ映像の入手などを行い、日本での状況や家庭の内情については日本領事館の協力を仰いだ。3人の証言の矛盾点が続々と浮かび上がるなか、日本からの返答によりBさんが巨額の生命保険に加入していたことも確認された。 真っ先に落ちたのは女性通訳だ。息子Aとの恋愛関係および、上海での同棲生活を示す証拠などを突き付けられ、5月1日深夜には事件に巻き込まれた経緯を供述した。一方、息子Aから事情を聴いた捜査官は、彼の外耳についたほんの小さな血痕に気づき、捜査本部に提出した。検査の結果、その血痕はBさんのものだった。 捜査結果と女性通訳の供述を前にした息子Aも完落ちし、同棲していた家屋からは犯行に使われたハンマーや衣類などが押収された。前後して妻Cも犯行を認め、3人は1日朝から勾留された。そして容疑を固めるための捜査が続けられ、15日の逮捕に至る。 特別捜査班のスピード編成と徹底捜査の背景には、貿易摩擦により冷え込んでいた日中関係があったとされる。両国世論への配慮や、事件が陰謀論に悪用されることへの懸念などもあって、当時の上海市公安局は一気呵成の解決を目指したのだった。 デイリー新潮編集部