2022年10月1日、79歳で亡くなったアントニオ猪木。今なお熱烈なファンを擁する猪木だが、世に喧伝されるそのイメージは二重三重の皮膜に包まれてきた。 話題の新刊『兄 私だけが知るアントニオ猪木』（講談社刊）は、猪木家の末弟である啓介氏から見た、５歳年上の兄・猪木寛至の「人間の記録」だ。ブラジルへの移民、力道山との出会い、新日本プロレス、政治と事業、４度にわたる結婚、そして晩年の兄弟断絶と闘病。70年余に及んだ兄弟の歴史がすべて記されている。 2022年10月1日、アントニオ猪木は79年の命を閉じた。猪木の死後、その遺骨をめぐってトラブルが起きているのは、すでに各メディアで報じられた通りだ。 青森県十和田市・蔦温泉の旅館近くにある「アントニオ猪木家」と刻まれた墓。ここは猪木が最後の妻・橋本田鶴子氏とともに入るため立てたものだが、いまもその墓に遺骨は納められていない。これまで沈黙を守ってきた実弟が、その実情を明かす。 『兄 私だけが知るアントニオ猪木』（第33回） 「分骨問題」が再燃 ドクターが兄貴の死去を宣告してからわずか１時間もしないうちに、アントニオ猪木の訃報は全国を駆け巡った。葬儀で喪主をつとめることになった私は、IGFとの打ち合わせ、親類への連絡、弔問客や報道関係者への対応に追われ、兄貴の死を静かに悼む時間はなかなか訪れなかった。 弔問に訪れた藤波さんが、私を前にしてなぜか緊張した様子だったのを覚えている。新日本プロレス時代、藤波さんは看板スター選手、私は末端の営業マンである。本来は私が緊張しなければいけないところなのだが、新日本の黎明期を知る選手たちは「猪木」という名前を聞くだけで、反射的に身構えてしまう。それだけ兄貴が絶対的な存在だったということだろう。 葬儀は、寛子さんの帰国を待って執り行われた。通夜の日の夜、蔦温泉の丹野さんと寛子さんの間で、分骨の問題が協議された。生前の兄貴には「分骨」という結論を確認している。アントニオ猪木の遺骨は、すべて寛子さんに託される。 ところが、寛子さんははっきりと言い切った。 「分骨はしません。父の遺骨は私がいったんアメリカに持ち帰り、その後、鶴見のお墓に入ります」 「私のもとに帰ってきたのね、アントン……」 兄貴の意向とは異なるが、すべての決定権を持つのは寛子さんである。兄貴が良くても、寛子さんがダメと言えば、第三者が遺骨を要求することはできない。 なぜ、寛子さんは「米粒ほどでもかまいません」と希望していた丹野さんの申し出を拒否したのか。その理由については、もはや説明の必要はないだろう。 だから青森に建つ「アントニオ猪木家」の墓に兄貴の遺骨はない。ただ、私はその墓を無意味なニセモノと切り捨てる気はない。兄貴が橋本さんに会いたくなれば、２人の霊はいつでもそこに留まるだろうし、橋本さんを悼む人たちの気持ちまで妨害するつもりは毛頭ない。 葬儀を通じてつくづく思ったのは、やはり兄貴は「運がいい」ということだ。 最後の２ヵ月、そして葬儀の費用を面倒見てくれたのは湯川会長である。もし、亡くなるまでに私たちの「救出作戦」が間に合っていなかったら、大変なことになっていた。兄貴のすべてを管理していた橋本さんが、もし兄貴の死去時に健在だったら、葬儀をめぐって親族と激しい対立が勃発していたことは確実で、兄貴は「自らの死が人生最大のスキャンダル」という、目も当てられない事態を引き起こしていただろう。 何十億円というカネを稼ぎ、すべてを使い果たしたアントニオ猪木の収支決算は、最後の最後で何とかプラスマイナスゼロに着地することができた。兄貴を最後まで支え、そして愛してくれた湯川会長には感謝しかない。ちゃっかり者のアントニオ猪木になりかわり、この場を借りて御礼を申し上げたい。 葬儀が終わった後、アメリカに戻る前の寛子さんが立ち寄った場所がある。実の母である倍賞美津子さんの自宅だ。美津子さんは、兄貴が亡くなったあとに白金台のマンションを弔問し、兄貴のなきがらの前で手を合わせてくれた。 寛子さんは、火葬されお骨になった兄貴を美津子さんに見せた。すると、美津子さんはこう語りかけたという。 「やっぱり私のもとに帰ってきたのね、アントン……」 【つづきを読む】「離婚しても、倍賞美津子さんはアントニオ猪木『最愛の人』であり『戦友』だった…」実弟が回想する《夫婦の絆》