「生き地獄」から6万人を奪還——無名の男が命懸けで画策した、集団脱出劇の全内幕とは #戦争の記憶

 今から80年前——自らの危険を顧みず、在外邦人の救済に奔走した一人の民間人がいた。その名は松村義士男(ぎしお)。外交官・杉原千畝(ちうね)が「命のビザ」で救ったユダヤ人はおよそ6000人といわれるが、松村は私財を投げうってその10倍に相当する「6万人」もの日本人難民を生還させた。 【写真を見る】「生き地獄」から日本人6万人の命を救った「男」 武骨な雰囲気、だが瞳には強い意志が宿っている——〈実際の写真〉  1945年8月、北緯38度線を境としてアメリカとソ連に分割占領された朝鮮半島。北側にいた在留邦人は移動を禁じられ、ソ連兵による暴行や略奪、凌辱が横行した。劣悪な環境下で疫病や飢えが広がり、6人に1人が命を落とした地域もあったという……。 闇夜の38度線突破 画:常松泰秀(平壌公立第三中学校教諭)  ※本記事は、城内康伸氏による最新刊『奪還 日本人難民6万人を救った男』より一部を抜粋・再編集し、全4回にわたってお届けします。  *** 70万の日本人が「難民」に  遡ること80年前——1945(昭和20)年8月、敗戦によって日本の植民地支配が終わり、拠り所を失った朝鮮半島に住んでいた在留邦人は事実上の「難民」と化した。  復員省などの調査によると、終戦当時、朝鮮半島には約70万人の一般邦人が住んでいた。そのうち北緯38度線以北、すなわち北朝鮮地域(以下、北朝鮮)に住んでいたのは約25万人と推定されている。さらに終戦前後には、満州から約7万人の避難民が北朝鮮になだれ込んだ。 日本人難民6万人を救った松村義士男(ぎしお)。当時、34歳という若さであり、一介の民間人に過ぎなかった (出典:『北鮮の日本人苦難記』時事通信社刊より)  朝鮮半島は、北緯38度線を境として米軍とソ連軍の分割占領下に置かれた。北緯38度線以南の南朝鮮地域(以下、南朝鮮)に進駐した米軍は、在留邦人の日本本土への早期送還方針を徹底させ、南朝鮮に住んでいた日本人約45万人の引き揚げ作業は、終戦翌年の1946年春までにほぼ完了した。 北朝鮮に閉じ込められ…  一方、北朝鮮では違った。進駐したソ連軍は1945年8月25日までに、南北間を運行していた鉄道を北緯38度線で断ち、北緯38度線を事実上、封鎖した。これによって、南北間の交流は全て遮断された。北朝鮮の在留邦人は南朝鮮への移動を許されず、北朝鮮に閉じ込められる形になった。 終戦直後の朝鮮全図 (画像は『奪還 日本人難民6万人を救った男』より。図版制作:ユニオンワークス)  さらに、ソ連や旧満州と国境を接する北朝鮮北部の咸鏡北道(ハムギョンプクド、道は県に相当)は、ソ連軍による侵攻で直接、戦火にさらされた。終戦前には約7万4000人いた咸鏡北道の在留邦人のうち約6万人は、住み慣れた土地と家を捨てて避難のために南下した。咸鏡北道の南端と境界を接した咸鏡南道(ハムギョンナムド)に、とりわけ同道の中核都市だった咸興(ハムン)や興南(フンナム)、元山(ウォンサン)などに、どっと押し寄せた。 劣悪な環境下、6人に1人が死亡した地域も  こうした人々は「避難民」と呼ばれ、北部の山間部を長い場合には、1カ月以上も歩き続けた。逃避行の道中では、植民地支配の抑圧から解き放たれた朝鮮人による略奪に遭うことも多かった。体力を失った高齢者や幼い子供の中には、力尽きて仆(たお)れた人も少なくなかった。 太平洋戦争の敗戦で朝鮮半島北部の邦人は難民に。飢餓や伝染病で斃れゆく老若男女の前に忽然と現れ、ソ連軍の監視をかいくぐり、母国へと導く男——彼はかつて国家から断罪されたアウトサイダーだった。時間も資金も情報もない中で、頭脳と度胸を駆使した決死の闘いが始まる。見返りを求めない「究極の利他」が胸を打つ実話 『奪還 日本人難民6万人を救った男』  残暑の厳しい中、やっとの思いで辿り着いた避難先の街で、疲労困憊し、ほぼ無一文になっていた避難民を待ち受けていたのは、深刻な住居、食料の不足だった。例えば、終戦前には一般邦人の数が約1万2000人だった咸興の街には、1945年10月時点で、その倍以上の約2万5000人もの避難民が流入し、貧困者で溢れかえった。  栄養失調と劣悪な環境下での集団生活。冬が近づくにつれて発疹チフスなどの感染症が猖獗(しょうけつ)を極めた。咸興では同年8月から翌年春にかけ約6300人が死亡した。6人に1人が命を落とした計算となり、北朝鮮で最悪の惨状を呈した。 起ち上がったのは、警察に睨まれていた「異端の人」  そのような苦境において、咸鏡南道、咸鏡北道に取り残された日本人を日本本土に引き揚げさせるため、南朝鮮に次々と集団で脱出させた人物が北朝鮮にいた。その名を松村義士男(ぎしお)という。  日本人の引き揚げ史に詳しい駒澤大学文学部教授の加藤聖文の著書『海外引揚の研究──忘却された「大日本帝国」』によると、日ソ開戦前、咸鏡南道、咸鏡北道に住んでいた日本人は旧厚生省の推計で約14万人、北朝鮮の日本人全人口の6割近くを占めていた。その両地域から在留邦人を大量脱出させる工作で、中心的な役割を果たしたのが松村だった。  松村は、戦前には労働運動に加担したなどとして治安維持法違反で、2度にわたり検挙された元左翼活動家だった。このため、北朝鮮の新政権の中には、かつて共に辛酸を嘗めた共産主義者の知己が多く、こうした人脈を生かして日本人救済に尽力した。  私の手元には背広姿で頬杖を突く松村の写真がある。武骨な雰囲気を湛え、天然パーマがかかったような短髪に大きな鼻、濃い眉毛に切れ長の細い目をしている。その瞳には強い意志が宿っているように見える。 杉原千畝の「10倍」もの人命を救った  難民の救済といえば、第2次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ難民に「命のビザ」を発給し、約6000人もの命を救ったとされる外交官の杉原千畝が有名だ。  一方、咸鏡南道、咸鏡北道の都市から列車や船によって集団で南下した日本人の数を集計した資料を総合して推算すると、松村が直接・間接的に脱出を手助けした人の数はおよそ6万人に達するとみられる。  松村は当時、34歳という若さであり、一介の民間人に過ぎなかった。しかも戦前には、治安当局の弾圧に遭い、世間からは「アカ」と白眼視された“アウトサイダー”だった。  そんな人物がなぜ、敗戦によって日本が国家としての主権を失い無力だった状況で、在留邦人を引き揚げさせるために身を賭したのか──。その点に私は興味が湧いた。  それから間もなく80年。彼を知る人は極めて少ない。だが、杉原に劣らぬ功績を残しながら、このまま忘れ去られていくのは、あまりに惜しい。  本作は苦しみ喘ぐ人々の前に忽然と現れ、難局を打開するや、功を誇ることもなく身を引いたひとりの人間の生きた証である。  ***  終戦で難民と化した極めて過酷な状況下で、外交官・杉原千畝の「10倍」もの同胞を祖国に導いた「松村義士男」について、全4回にわたって紹介する。 ※『奪還 日本人難民6万人を救った男』より一部抜粋・再編集。 デイリー新潮編集部

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