小学生の1年間の学校生活1200時間に対し、放課後の時間は1600時間。この未来の貴重な「資産」となる時間を、塾や習い事だけで埋めていませんか? なんてもったいない!! 1600時間を「未来への投資をする時間」と考えると、小学生のうちにまず優先してやるべきことは、学校や塾の勉強での認知能力の向上ではなく、社会につながるための人間力=非認知能力をいかに育むか。 民間保育園・学童を広く展開する著者・島根太郎が、多くの子どもたちと接し、キッズコーチと子どもたちのかかわりを通じて学んできたヒントを明かした書籍『子供の人生が変わる放課後時間の使い方』より、抜粋してご紹介します。 失われている、かつての放課後 あなたは小学生の頃、どんな放課後を過ごしていましたか? 生まれ育った年代、地域によって違いはあると思います。それでも今の小学生の子どもたちと比べると、のんびりした時間を過ごしていたのではないでしょうか。 キッズベースキャンプ(以下原則としてKBC)に通っている子どもたちと接していると、週5ペースで習い事をしている子、中学受験のために3〜4年生から学習塾での勉強を始めている子など、放課後時間を分単位のスケジュールで過ごしているお子さんが少なくありません。 ひるがえって私の子ども時代はどうだったかというと、習い事や塾に通っている子はごくわずか。放課後は近所のあちこちの公園や遊び場をぐるぐると回りながら、友達と過ごす毎日でした。 1965(昭和40)年生まれの私の小学生時代は昭和40〜50年代。育ったのは東京の目黒区で、都会っ子です。2023年の出生数は約73万人でしたが、1965年は2倍以上の約182万人。放課後の街には、公園や道路、空き地で、たくさんの子どもたちが日暮れまで遊んでいるざわめきと賑わいがありました。 当時と今を比べて、子どもたちの放課後から何が失われたのか。教育の世界では語呂合わせ的に「三間(サンマ)」がなくなったと言われています。 「時間と空間と仲間」です。 「時間」=子どもたちは塾や習い事などで忙しく、自分でどう過ごすかを決められる時間が少なくなっています。 「空間」=公園には「ボール遊び禁止」「大声禁止」の看板があり、危ないから道路では遊ばない、不審者が心配だから一人では出歩かない……と、子どもたちが遊べる場所は限られています。 「仲間」=子どもたち一人ひとりがそれぞれに忙しく、集まれる場所も少ないため、放課後にパッと集まって一緒に遊べる友達がなかなか見つかりません。 私が子どもの頃、世の中の雰囲気はゆるやかで、子どもたちの生活もいい意味でのんびりしていたと思います。毎日のように塾や習い事に通っている小学生は少なく、放課後にはたっぷり自分たちの時間がありました。 私が育った目黒は、都会で広い遊び場はありませんでしたが、それでも近所の神社の境内や児童公園、代官山と中目黒の間に残っていた防空壕、建物が解体されたまま放置されている空き地、本当は団地の住民しか使えないはずの小さな公園など、いくつもの場所が遊び場や秘密基地になり、子どもたちはぐるぐると回遊しながら遊んでいました。 児童公園でちょっとしたケンカになって気まずくなっても、防空壕をのぞきに行ったら別の友達が漫画を読んでいる。しばらく一緒に漫画を読んで、体を動かしたくなったら空き地に行って缶蹴りをする。たまに小遣いがあるときは駄菓子屋で買い食いをする。そんなふうに遊びのはしごができる空間があったのです。 なにより、子どもの数が多く、クラスの同級生だけでなく上級生、下級生が交じり合って「入れて」と遊びの輪が広がっていく毎日でした。わざわざ仲間を探しに行かなくても、そのときそのときでグループができて、遊びの内容も変化していき、自然と対人コミュニケーションが磨かれていきました。 ところが、最近はなかなか公園で遊ぶ子どもの姿を見ることができません。子どもたちはボール遊びが大好きなのに、ボールの使用は禁止。シニア向けの健康遊具が増える一方で、「公園の利用者や近隣住民が迷惑するので騒ぐのはやめましょう」という注意書きも増えています。 昔は良かった……と懐古するわけではありませんが、確実にかつての放課後は失われてしまったのです。 昔の放課後にあった大人とのつながり 例えば、小さな公園で野球やキャッチボールをしていて、ご近所の家の庭にボールが入ってしまう。窓ガラスにボールが当たって割ってしまう。今ではアニメの『ドラえもん』や『サザエさん』くらいでしか見ない場面ですが、かつての放課後時間には子どもたちだけで対処しなければならない小さなトラブルが起きていました。 「誰がボールを取りに行く?」と相談したり、「あそこのおじいさんは怖いからな……」とぼやき合ったり、割れてしまった窓ガラスの弁償のために両親と一緒に謝りに行ったり、場合によっては全員でその場から逃げ出して、でも結局、バレてしまって学校の先生と全員で謝罪に行くことになったり……。 トラブルがあったほうがいいというわけではありませんが、子どもたちだけで物事に向き合い、話し合い、行動を決めていく。昔の放課後にはたっぷりの時間と多様な空間があり、多くの仲間がいたからこその子どもたちだけの世界がありました。 そこで起きる出来事は、学校の勉強とは違う学びになっていたのです。 当時はそんな子どもたちだけの世界を見守る、保護者でも、先生でもない大人たちの存在もありました。私でいえば、近所の商店街の大人は小さい頃からみんな顔見知り。友達とわーっと走っていても、「こんにちは」という挨拶は自然と交わしていました。 もちろん、イタズラしているところを見つかれば叱られますし、家のお使いに行くと「えらいね」と褒めてもらえる。そういう近所の大人たちとの関わりもまた、学びの一つになっていました。 【こちらもオススメ】放課後に“余白”を残す意味--無駄のように見える時間が子どもの自己肯定感の芽を育む