見た目がそっくりな「港区女子」 飲食店のテーブルや、祭りやテーマパークで様々なグループを見る。すると、気付くのが「ルックスが同じレベルの者がそのグループを形成している」ということである。「量産型大学生・女子大生」という言葉もあるが、とにかくそのグループの構成員のルックスが似ているのだ。 【写真】確かにそっくり?“唐津の阿部寛”の異名を持つ筆者の友人・古川氏 キラキラ感を出す若い女性グループに顕著なのだが、その中にいわゆる「ブス」的な女性はいない。男の場合はオラオラ系がつるみ、日焼け・黒Tシャツ・無精ひげといった傾向がある。とにかく全員がオラオラ系なのだ。オタク系も同じで、メガネ・チェックのシャツをパンツインといったことになりがちだ。パーカーを着ていることも多い。ただ、男の場合は、土木系や工場勤務系というように職業が似ているといったことでオラオラ系が集まるのだろう。 似たもの同士のグループはなぜ生まれる? 以前、「港区女子」との会合に参加したことがあるのだが、もう誰が誰なのだか分からない状態だった。全員が美人である。だが、本当に見た目が似すぎていて結局誰のことも覚えることはなかった。 ブスがいなければそれでいい 思えば私が小学6年生だった1984年も、クラスの女子は複数のグループを形成していたが、美人しかいないグループというものもあり、修学旅行の時はそのグループの部屋に突入することをアホな男連中は試みたものである。 このように、人間は同レベルのルックスの仲間を見つけ、つるむのだが、一体なぜそうなるのか。港区女子がその時に言っていたのは「ブスな子が一人でもいると、私達全体の価値が下がっちゃうんですよ。だからブスは入れないようにしているんです」ということだった。 そうなると、その4人組の中でマウンティングが発生するのではないか? と聞くと「私達は仲間だから別にそこは関係ありません。ブスがいなければそれでいいです。あと、仲間は同じレベルの顔である方がいいと思います」と答えてきた。 正直、意味が分からなかった。私はイケメンではないが、付き合う相手はイケメンだろうがブサイクだろうがどうでもいい。考え方が合えばいい。だから、色々な顔面偏差値の人と会う。たとえば、唐津での友人の一人である「たいようアウトドア」古川陽進さんは明らかにイケメンである。「唐津の阿部寛」の異名まである。だが、我々は仲良しである。 同じような顔が生む一体感 港区女子も含めた女性についての話に戻るが、なぜか同じレベルのルックス同士でつるむこととなる。 なぜこのようなことになるのか? 結局「差別心」なのではなかろうか。女性の気持ちはよく分からないが、美人がブサイクを蔑む発言をするのは見たことがある。整形手術をして美人になった人がブサイクを見下す発言も聞いた。 なんだか意味のないことをしておるな……と呆れたが、これが人間の本能なのだろう。「ブスが一人でもいると私達グループの価値が下がる」とでも考えているのだろうが、実にさもしいし、差別主義で軽蔑すべき態度である。 昨今、加工をしまくったプリクラ画像をSNSで見ることがあるが、正直、誰が誰だか分からない。だが、同じような顔であることが仲間としての一体感に繋がっているのであろう。 ルックスが同じようなレベルの人と付き合うことによって自我を保てるというのは実に惨めなことである。なぜなら付き合う相手に求めるべきはルックスではなく、考え方なのだ。あっ、そうか。「ブサイクはイヤ」という考え方が合ってる者同士が付き合ってるので、一応考え方は合っているんですね。 中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう) 1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。 デイリー新潮編集部