日本企業がグローバル戦略で遅れを取るのは、インテリジェンスを戦略資源にしないためだ

4月6日放送のNHKスペシャル「トランプ流“ディール” 日本企業・激震の舞台裏」は、トランプ政権が打ち出す予測不可能な政策に企業のインテリジェンス担当者が対応する生々しい現場が取り上げられた。番組の中で新浪剛史サントリー最高経営責任者は、「『最後はアメリカが何とかしてくれる』という発想が成り立たない時代を迎える中で、企業経営をしていく難しさを感じています。だからこそ、インテリジェンスなのです。(中略)時代の転換点を迎える世界で、真のグローバル企業になるためには、インテリジェンス活動をもっと進化させなければならないと思っています」と語っている。これほどの重要性に比して、企業インテリジェンスの実務書がなかったが、このたび刊行された『企業インテリジェンス 組織を導く戦略的思考法』は、その穴を埋めるものとなっている。日本におけるインテリジェンス研究の第一人者で、『未来予測入門 元防衛省情報分析官が編み出した技法』など著書が多い上田篤盛氏に、本著の書評を寄稿していただいた。 企業の実践現場でインテリジェンスをどう生かすか 「ビジネス・インテリジェンス(BI)」という言葉が広く知られるようになって久しい。しかし、日本企業がこれを真に活用しているとは言いがたいのが現実だ。アメリカでは、CIAなど国家情報機関のOBが民間企業に転身し、専門的なインテリジェンス部門を構築する例が多数ある。一方で日本では、インテリジェンスを「戦略資源」として位置づけ、組織文化として根付かせる取り組みはごく限られている。 本書の著者は、警視庁公安部においてインテリジェンス活動に従事した後、大手コンサルティングファームで地政学リスクや経済安全保障を扱ってきた実務家である。官と民、理論と現場の両方を経験してきた著者だからこそ、日本企業におけるインテリジェンスの未成熟さと、それを克服するために必要な制度と文化の両面の重要性を痛感したのだろう。 本書は、地政学リスクや経済安全保障への対応を模索する企業、特に大手企業に新設されつつある「経済安全保障室」の実務担当者が抱く問い——「自分たちは本当に機能しているのか」——に真正面から向き合った意欲的な書である。 前半では、従来の理論偏重の文献とは一線を画し、インテリジェンスを企業に「実装する」ための方法論に果敢に挑んでいる。単なる知識論を超えて、「企業という実践現場でインテリジェンスをどう生かすか」という核心に踏み込んでいる点は特筆に値する。 著者は、企業内でインテリジェンス・サイクルがうまく機能しない理由として、以下の6点を挙げている。 1不適切な情報要求 2戦略・理念の共有不足 3フィードバックの欠如によるモチベーションの低下 4コミュニケーション不足による情報断絶 5組織の個人主義化 6情報過多という現代特有の環境 このうち1〜5は、主に組織内部の構造的な問題であり、経営層と現場の双方にまたがる課題である。こうした問題分析を踏まえて、著者が推奨する「アメーバ型インテリジェンス・サイクル」は、全社員が関与し、多層的かつ螺旋的に小サイクルを回すことで、部門横断的に知識を共有する仕組みである。しかし、こうした構想を単なる制度として導入するだけでは不十分であり、著者はその根底にあるべきは「インテリジェンスを信頼する文化」であると説く。 インテリジェンスの防御と攻撃の両側面に光を当てる この文化を根づかせる責任は組織全体にあるが、最終的には経営トップが、自らの言葉と行動によって「インテリジェンスを大切にする企業文化」を組織内に可視化し、意思決定に実際に活用していることを示す必要があると述べる。つまり、全社的な変革においては、制度設計よりもむしろリーダーシップが鍵を握るということだ。著者は、現場の目線に寄り添いながら、優しい語り口の中で組織変革の本質を突く。そこには、公安・企業双方での現場経験に裏打ちされた強い信念がにじんでいる。 また著者は、意思決定者とインテリジェンス担当者との関係性において、「Need to Know(知るべきこと)」「Need to Share(共有すべきこと)」「How to Share(どのように共有するか)」という三原則を提示している。インテリジェンスは、情報が閉ざされたままでは機能しない。現場と経営をつなぐのは、信頼と理解に根ざした情報の共有だ。 後半では、「守りのインテリジェンス」として朝鮮半島有事を取り上げ、地政学リスクや技術流出にどう備えるかを論じる一方で、「攻めのインテリジェンス」としては広報戦略や「パブリック・アフェアーズ(公共戦略)」への応用が紹介される。著者がこうして防御と攻撃の両側面に光を当てたのは、国家インテリジェンスには「安全保障」と「政策による国家の繁栄」の双方を支える役割があるという、実務経験に根ざした理解が背景にあるのだと私は感じた。 中でも注目すべきは、パブリック・アフェアーズ領域におけるインテリジェンスの活用に関する議論である。著者は、政策環境の変化に備えるうえで、法案提出、行政方針、政党動向といった兆候を早期に察知し、ロビー活動やアジェンダ形成へと結びつけるインテリジェンス・アプローチが重要になると指摘する。 インテリジェンスは、PDCAのような問題解決手法や、OODAのような意思決定プロセスとは異なり、「未来に備える知」として機能する。その意味で、企業が将来の政策リスクに先手を打つためには、戦略的な情報収集と分析が欠かせないという流れが丁寧に展開されている。 理論や理想論ではなく、現場感覚を伴った提言 この点を具体化する事例として、著者がコンビニエンスストア大手の関係者に取材して引き出したエピソードが紹介される。そこでは、政府規制の動向を注視しながら、戦略的に働きかけた結果、「コンビニで医薬品を販売できるようになった」経緯が描かれる。企業が政策形成に能動的に関与し、ビジネスチャンスへと結びつけていくそのプロセスは、インテリジェンス活用の具体像として極めて示唆的である。 また本書では、GAFAなどグローバル企業が、将来的な政府規制をリスクと見なし、インテリジェンスを活用して対応している事例も紹介されている。一方で日本企業の多くは、パブリック・アフェアーズを「政府や官庁の専管事項」と見なす傾向が強く、企業が主導する意識が希薄だ。著者はそうした構造を踏まえた上で、「本来リードすべきは企業自身である」という実務現場の感覚を丁寧にすくい上げている。 本書には粗削りな部分もある。だが、それを補って余りあるのは、これまで正面から論じられることの少なかった「企業におけるインテリジェンスの思考と実装」に対し、実務の視点から深く切り込んでいる点だ。単なる理論や理想論ではなく、現場感覚を伴った提言が詰まっており、読み手の思考を喚起する力を持っている。 インテリジェンスに携わる実務家、経営層そして、国家の政策担当者などにとって本書は単なる参考書ではなく、組織の思考様式そのものを問い直すための一冊である。戦略的思考を本気で見直そうとする日本企業にとって、この一冊は今、まさに手に取るべき本だ。 役所や政治家は何を重視している?——ロビイングの成功にインテリジェンスは必須

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