小笠原で見つかった「モンスターマイマイ」の化石や「正体不明の種類」…最終氷期の南島に住んでいた「奇想天外な生き物」

「進化は再現不可能な一度限りの現象なのか? それとも同じような環境条件では同じような適応が繰り返し発生するのか?」 進化生物学者の間で20世紀から大論争を繰り広げられてきた命題をめぐるサイエンスミステリーの傑作、千葉聡『進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え』が発売されます。 本記事では、〈「化石」を探しに行ったはずが、「つい最近寿命を迎えたかのような姿」で発見…進化生物学者が南島で見た「衝撃の現実」〉に引き続き、自然の実験について見ていきます。 ※本記事は、5月22日発売の千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。 コンコルド効果 ある事業に多くの時間や労力、資金を投じると、その事業が成功する可能性が低いとわかった場合でも、さらに時間と労力、資金を投じ続けてしまうことがある。ドーキンスはこれを非合理的な意思決定の例として、商業的失敗に終わった超音速旅客機コンコルドの英仏共同開発事業になぞらえ、コンコルドの誤謬(コンコルド効果)と名付けた。 "もったいない、取り返さねば"──取り返しのつかない大失敗はたいていこれが原因で起きるわけだが、人間以外の動物はどうか。ロバート・トリヴァースは、子育てをする親の場合、過去に投資した子に、さらなる投資を行う性質の方が、それまでの投資が無駄にならず、繁殖に有利となり進化しうると考えた。これに対してドーキンスは、過去の投資に基づく意思決定ではなく、将来の利益を最大化する意思決定を行う方が合理的で、進化的にも有利であるとした。 ただし、これには条件がある。ドーキンスの言葉を借りれば、「許容されるコストやその他の制約条件が定められていなければ、最適という概念は意味をなさない」。動物に非合理的な判断をする性質が見られるとすれば、それは合理的な判断を下すのに必要な能力をもつのにコストがかかりすぎて、メリットに見合わないからだ、とドーキンスは指摘する。 人間以外の動物もコンコルドの誤謬を犯すかどうかについては、最近のハトなどを使った実験で、過去に投資した行動に意思決定が影響されうることが示されている。その進化的背景は不明だが、人間の場合には、損失回避の心理のほか、過去の投資によってその投資先の価値が高まるように見える効果など、いくつかの経済的効果が想定されている。 さて私の場合、これまで自分の研究テーマに投資した時間と労力の大半は、グールドの論文を読んで理解することに充ててきたので、成功の見込みがなくなったにもかかわらず、この研究に執着するのであれば、それは"グールドの誤謬"と呼ぶべきものであろう。ドーキンスなら喜んで即刻中止を訴える事案である。 いかに魅力的な研究テーマでも、コストに見合わず、それを実現する素材が実在しなければ意味をなさない。 実際、私はこのテーマを継続するのは非合理的と見て、すでに別のテーマを自力で着想すべく、準備を開始していた。しかし、ヒロベソカタマイマイが実は想定と違って化石ではなかった、そもそも化石など存在していなかったという致命的な事実は、師匠にも研究室のメンバーにも伏せた。もっとも、いちおう採取して持ち帰った試料を見せた時、師匠は「ずいぶんフレッシュだな」と首をひねったので、気づいたかなとは感じた。どのみち試料の年代測定を依頼する予定なので、師匠と相談するのは、結果のわかる3ヵ月後でよいと考えたのである。 念のため解説するが、これは一般に学生の振る舞いとして非常に不適切なので、若い読者は決してマネをしてはいけない。研究上の問題があれば、すみやかに教員と相談すべきである。何事も上司・指導者には、状況の報告、連絡、相談、が基本だ。 もし私が常識に従い、すぐに師匠に相談していたら、その後の展開は大きく変わっていただろう。ただし、それによって、私の未来に飛び切りの偶発性が作動したかどうかは、また別の話である。 私は早々に新しい代替研究テーマ案を着想した。しばし忘却の彼方にあった修士課程修了後の就職先についても考え始めた。いかに進化の研究が好きでも、わざわざ待遇の悪い大学などの学術研究業界に、リスクを冒してまで将来の職を求める意志はなくなった。 ところが、たまたま就職を相談した先輩に紹介された地質調査助手のアルバイトで臨時収入があり、資金が増えたので、新テーマの決定をもう少しだけ先送りする気になった。あともう一回だけ島に行ってみて、やはり化石がなければ完全に撤退。それを限度に、損切りを確定しようと思ったのだ。 サンクコストを断ち切るための、弔いの儀式のようなものである。当時は今と違い、学費が安い分、調査旅費は学生の自己負担が普通で、自活もせねばならなかったので、コストに見合わぬ野外調査はしない代わり、臨時収入は旅の動機になりえたのである。 過去へ 本土で梅雨が本格化する頃、小笠原では梅雨明けを迎える。そして波静かな7月初旬、2週間の旅程で、私は再び小笠原に向かった。 ちょうど観光客が途切れるタイミングで、ボートの船長が2日間、格安で南島への傭船を引き受けてくれた。朝、南島に送ってもらい、午後迎えに来てもらうのである。 さて、南島に再上陸した私は、改めて念入りに調べてみた。だが白い砂丘は白いまま。急に古くなるはずがなかった。過去に報告のあった砂丘とヒロベソカタマイマイは、残念ながら正真正銘、この白い砂丘とその上に散っているものであった。 そもそも南島は隆起していない。最終氷期の、海面が100mも下がっていた時代の砂丘が残っているはずがないのだ。その時代に陸だった部分は、約一万年前、最終氷期が終わるとともに、ほとんどが海の底に沈んだ。バミューダとは条件が違う。分かってみれば当たり前である。 従って研究計画を実現するには、本当はこれまで存在した記録のない、水没を免れた地層と、数万年前のヒロベソカタマイマイの化石を見つけ出さなければならない。これはかなり絶望感に満ちたミッションであった。埋蔵金伝説が嘘だったと判明した後で、なお埋蔵金を探して穴を掘り続けるようなものである。 一縷の望みは、前に見た赤い堆積物の層だった。そして、化石を探し出す頼みの綱は、皮肉にも学部生の時に否応なしに学んだ、地形学の知識と調査法の基礎であった。 一通り調べてみた結果、赤い堆積物は白い砂丘の南縁に数ヵ所、まとまって露出することがわかった。海浜由来の砂を含むので、残念ながら最終氷期以降の海面が上昇した後の時代に堆積したものだが、それでも長期間の風化に晒されて赤色化した、古い砂丘の一部と考えて間違いなさそうだ。数万年前は無理でも、数千年前の化石ならあるかもしれない。 砂層の表面に化石らしきものは見当たらなかったが、諦めるのはまだ早い。よく調べてみなければわからない。 スコップで丁寧に掘っていく。主に軟質な砂だが、泥質の層を含み、上部の白い砂丘に比べれば、ずっと固結している。色や硬さから、確かに数千年前に遡る堆積物のように感じられた。ここでヒロベソカタマイマイの化石が見つかれば希望が生まれる。 降り注ぐ強烈な日差しと、それが砂丘に乱反射する灼熱の島で、ひたすら掘り続けた。 何も見つからないので、場所を変えて、新たに掘り始めた時のことである。赤い砂の中から、貝殻の破片が見つかった。ヒロベソカタマイマイのピースのように見える。これはいけるかもしれない。 さらに掘っていくと、赤っぽい貝殻の背中が見えた。そっとスコップで取り出す。砂を払うと、それはヒロベソカタマイマイの完品だった。 やった。ついに見つけた。 よく観察してみると、白い砂丘のものに比べて、殻が小さめで縁の部分がやや角張っているようだ。少しだけ形に違いがあるらしい。 その日、それからずっと赤い砂層を探索した。その結果、迎えのボートが来るまでの間に、満足できる個体数のヒロベソカタマイマイの化石を得ることができた。上出来である。期待通り、古い時代は殻が小さい傾向だ。石灰岩への適応進化の仮説を検証できるかもしれない。可能性は一気に広がった。 なお、この赤い砂層は、現在では回復した草本類に被覆され、ほぼ隠れた状態になっている。また、のちに行った加速器質量分析法(AMS法)による年代測定で、これらは2000〜4000年前のものであると確認されている。 南島と父島南西部はよく似た石灰岩地帯なので、南島に化石を含む赤い古砂丘があるなら、同じ堆積物は父島南西部にもあるに違いない。問題はもっと古い時代──最終氷期やそれ以前の化石があるかどうかである。 最終氷期に海岸だった場所は、今はほぼ海中に没しているので、当時の砂丘が残っている見込みはないが、その当時、堆積した土壌が、もしかしたら島のどこかに残っているかもしれない。 翌日、朝から南島で赤い砂層の下位がどうなっているかを調べた。島の南側の湾に面した場所で、基盤の石灰岩との境を執念深く辿っていくと、小さな洞窟に出た。洞窟の入り口付近にV字型に窪んだ石灰岩の大きな裂け目があり、それを堆積物が埋めている。裂け目の上部にはやや泥質の赤い砂層が載るが、下には赤褐色の物質が溜まっていた。表面の赤さびのような固着物を取り除いてみると、褐色の粘土層だった。細かい粉のような粘土である。スコップを刺し込み、少し掘ってみる。軟質でかなり深く堆積しているようだ。多少、石灰岩の礫も混じる。しかし上位の層と違い、海浜由来の砂を含んでいない。 最終氷期の堆積物だ。そう確信した。 よく見ると、粘土のなかに貝殻の破片らしきものが混じっている。それを見て、私はこの粘土層のなかにヒロベソカタマイマイが入っていると直感した。期待通りならごく小さ目の個体のはず。小柄なヒロベソカタマイマイの化石がコロッと掘り出される気配を感じ、期待でぞくぞくした。 化け物のようなカタツムリ 細かい粘土層をスコップで慎重に掘り進んでいると、ふいに手ごたえがあった。かなり強い抵抗感である。なにか石のようだ。ぐい、と力を入れて掘り起こすと、大きな褐色の円盤が、ゴロリと転がり出た。 パンケーキのように扁平で丸い。妙な形の石だ。手にしてみると、ずっしりと重い。差し渡し10cmほど。手のひらからはみ出るほどの大きさだ。 表面の粘土を払ってみると、渦巻き状の溝が見えた。ただの石ではない。化石だ。中心から外側に向けて密に巻いた螺旋が刻まれている。溝と交差して、表面には放射状に無数の粗く雑な脈がある。 この大きさと重量感。平たく巻いた貝の化石──アンモナイトだ。アンモナイトの化石を発掘してしまったのだ。 いやまて、アンモナイトは中生代の海洋生物だ。それがなぜこんなところに。 怪訝に思いつつ、その円盤状の化石を裏返してみた。大量の粘土が付着している。こびりついている粘土を慎重に取り除く。すると、ぽっかりと大きな唇のような形の殻口が現れた。口の縁が異様に分厚く広がっている。その付け根に、広い臍孔が見える。 カタツムリだ。それも特大サイズの、化け物のようなカタツムリだ。 それまでの人生で指折りの度肝を抜かれた瞬間であった。 日本国内種でこんな巨大なカタツムリは聞いたことがなかった。非常に大きな種類でも、殻の直径は普通4cm程度。それまで知られていた日本最大の種類でさえ、直径6cmほどである。細長い形をした種類なら、外来種で非常に大きな種類がいるが、平巻きの種類では前代未聞のサイズである。世界中を見渡しても、これほど大きな平巻きのカタツムリはかなり珍しい(図3−1)。 あまりに意表をつく発見に、眩暈がした。夢でも見ているような、と表現したくなるような非現実的な感覚だった。それからは、半ばパニックになって粘土層を掘り続け、このモンスターみたいなマイマイの化石を3個体追加した。さらに、何じゃこりゃ、な正体不明の種類も見つかった。殻が非常に薄く、丸く、殻口が大きく広がり、スリッパ状である。後にカタマイマイ属の仲間とわかったが、当初は別の属だと思っていた。 船長に無理を言って翌日もボートで南島に渡り、最終氷期の化石を探索し続けた。洞窟内で洞床に溜まった堆積物を調べたところ、再びモンスターマイマイが見つかった。また、洞内の岩の裂け目からは、現生種の祖先と思われるものや、多数の小型種──例えばキノコ型やバベルの塔に似た奇抜な形の化石種が得られた。これら小型種の多くは小笠原で著しい多様化を遂げたエンザガイ属のものだったが、現生種には全く見られない形であった。 のちの放射性炭素年代測定から、これらは約1万年前から約5万年前のもので、最終氷期の化石であると確認された。モンスターが現れたのは約2.5万〜3万年前で、約1万年前に姿を消したと考えられる。 * さらに連載記事〈もし時間が巻き戻ったら、人類は似ても似つかぬ生物になるのか? それとも代わり映えしないのか?〉では、「進化」をめぐる、生物学者たちの大論争について詳しく見ていきます。 【つづきを読む】もし時間が巻き戻ったら、人類は似ても似つかぬ生物になるのか? それとも代わり映えしないのか?

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