タクシーを運転していて、事故や交通違反以外に注意したいのが「聞き間違い」だ。たとえば売上が厳しい日は、一発逆転の長距離客を夢見て、乗客の行き先を自分に都合がいい目的地に聞き間違えてしまったり、通常の日でも乗客の雰囲気から早合点してしまったり……。 第三者からすれば笑い話。でも当事者たちにとってはシャレにならない、目的地の「聞き間違い」エピソードを、これからご紹介する。 「鎌倉」は神奈川県だけにあらず ある乗客を乗せた時の話。乗客が目的地を告げたあとに、「東京都のね。神奈川県のじゃないよ」と笑ながら付け加えた。私はその話を聞き流しタクシーを走らせたが、乗客は私の気を引こうとさらに言葉を続けた。「実はね、とんでもないことがあってね」と、私が振り向き尋ねると笑顔で話し出した。 ある日のこと、その乗客の男(以後Aとする)は、地元の駅周辺で飲み終え、いつもなら歩いて自宅に帰るところ、飲み過ぎたせいもありタクシーを利用することにした。タクシー乗り場にはタクシーの列はなく、タクシーが来るのを待った。暫くすると、乗客を乗せたタクシーが来た。乗客を降ろすと同時にAはタクシーに乗り込んだ。 若い男性のドライバーが、緊張の面持ちでAを迎え入れた。「鎌倉まで」と言ってAは、少し酔ったせいもあり、不覚にもすぐさま寝落ちしたらしい。その時のドライバーの驚きと顔が綻ぶ表情を見逃してしまっていたのだ。 少しのつもりがだいぶ眠っていたらしく、Aが目を覚ますと目の前に見知らぬ光景が広がる。一気に酔いが覚めたAは、「ここ何処?」とドライバーに問いかけると、ドライバーは元気よく「もうすぐ鎌倉に入ります」と答えた。ここでAはドライバーがとんでもない勘違いをしていることに気づく。 Aが言った「鎌倉」をドライバーは、神奈川県鎌倉市として受け取ったらしい。Aが、本当に自分の行きたかった場所は、東京都葛飾区鎌倉だったのに。乗客は、すぐにドライバーに間違いを伝えると、ドライバーは、一気に血の気の引いた顔になった。 そのドライバーは、たまたま乗客を送って葛飾区に来たので、葛飾区周辺の地理など詳しくなかったのだ。同じ葛飾区に鎌倉という地名があるとは思わず、(因みに葛飾区には新宿という地名もあるが、読み方はニイジュクである)、乗客も葛飾区内で乗ったので、当然、ドライバーは葛飾区の鎌倉を知っていると思い込んでいたらしい。 東京都葛飾区鎌倉から神奈川県鎌倉そして東京都葛飾区鎌倉までの運賃は、ドライバーの自腹になったかAが情けで折半にしたかどうかは定かではないが、ドライバーと乗客の思い込みにより、お金と時間を消費させる結末となってしまった。 「センゾク」という地名で連想するものは… 東京近郊には、鎌倉のように同じ名称の地名は多くある。その地名を理解していても、間違いを起こすことがある。それはどんな時か。 これは、筆者が休憩する時に使うコンビニでよく会う他社のドライバーの経験談である。新橋にある場外馬券場近くで壮年男性を乗せた時の話。スポーツ新聞を片手に、辺りをキョロキョロ見回し、やけにソワソワしている男だったらしい。 目的地を訪ねるとボソボソと答え、ドライバーが聞き取れず聞きなおすと「センゾク」と微かに聞こえた。ドライバーは心の中で「あ〜」と声をあげた。センゾクと言えば、男の歓楽街として有名な吉原がある場所だ。道理で緊張して落ち着かないと納得し、その「センゾク」に向かった。 ドライバーの頭の中では競馬→万馬券的中→風俗という図式が出来上がっていたのだ。男からは、景気付けに一杯引っ掛けたのか、アルコールの匂いが漂う。男は、センゾクに着くまで、一切顔を上げずにスポーツ新聞を広げ、万馬券を的中したレースを思い出し余韻に浸かっているのか、それともこれから向かう場所に関連する記事を熟読しているのかわからないが、紙面に目を落としたままであった。「センゾクにつきましたよ」とドライバーは声をかけた。 しかし、男は表情を変えずに「私が言ったセンゾクは目黒にある洗足だが」と言った。東京には、センゾクという地名が、台東区千束と目黒区洗足、大田区千束(北千束・南千束)にある。ドライバーが選んだのは、男の歓楽街で有名な吉原がある台東区千束。 ドライバーは、場外馬券場とスポーツ新聞という状況とソワソワとした見た目による思い込みで判断してしまったのだ。ただ、その壮年男性は、怒ることなく「まあ、いいや」と言って降りて行ったらしい。 ドライバー曰く、その壮年男性は、もともと吉原に行くつもりであったが、照れ隠しで目黒区のセンゾクと言い張ったのだと、自分の非を認めていなかったが、今となっては確かめようがない。確かに筆者の体験上、吉原で勤める女性は「吉原」と言うより「千束」とオブラートに包んだ指示をすることが多い感じがするが、その壮年男性は果たしてどうだったのであろうか。 「錦糸町」のつもりがとんでもない場所に 「鎌倉」「センゾク」は東京のタクシードライバーの間では、聞き間違いしやすい地名・名称で有名であるが、それ以外にも思わぬ聞き間違いをしてしまうドライバーがいる。 あるドライバーは、強面で何か思い詰めた表情をした男性が乗ってきた際、行き先の「錦糸町(きんしちょう)まで」を「警視庁(けいしちょう)まで」と聞き間違え、それも桜田門にある警視庁に行こうとせず、ご丁寧に最寄りの警察署を勧めたとか。ドライバーはその乗客を見て、出頭するのかと思ったのか、ドキドキしながら警戒して乗せていたらしい。 また、あるドライバーは、これは地名ではなく店舗名であるが、「銀座の松屋」までという乗客に対して、「銀座に松屋はございません。吉野家ならあります」と堂々と答えたらしい。あながち間違いではないが、それは牛丼屋の話であって、銀座には百貨店で有名な松屋がある。ドライバーは、その乗客を見て、わざわざ銀座に牛丼でも食べに行くとでも思ったのだろうか。それともそのドライバーの好物が牛丼だったのか。乗客の困り果てた表情が目に浮かぶ。 期間限定ではあったが、百貨店の松屋と牛丼チェーンの松屋がコラボして、高級牛丼を販売していた。その時期であったら、乗客も胸を張ってドライバーに「銀座に松屋はある」と間違いを指摘できたであろう。 * * * ビジネス書などでよく紹介されている「メラビアンの法則」では、コミュニケーションにおいて、言葉の内容(7%)、声のトーンや話し方(38%)、そして見た目(55%)が重要な役割を果たすとされている。 特に初対面の人を多く乗せるタクシードライバーは、スムーズなコミュニケーションをとるためにも、乗客が乗ってきたら瞬時にどんな人なのかを判断するため、今回お話してきたような聞き間違い、思い込みが起きる可能性は否定できない。 乗客の皆様には、タクシー乗車の際、しっかりと的確に目的地を伝えていただきたい。気付いたときに「ここはどこ?」とならないためにも、改めてお願いしたいポイントである。 「とりあえず早く車出せ!」「チンタラ走ってんな」タクシードライバーを苦しめる「カスハラ客」へ業界が始めた「対策」