ザ・ビートルズ、ザ・ローリングストーンズと並び、「英国三大バンド」と称されることが多い「ザ・フー」のゴタゴタがファンや業界を驚かせている。 【写真を見る】突然解雇された英国3大バンドのドラマー 実は“超有名人”の息子 焦点となっているのは、長年、ツアーなどを共にしてきたドラマー、ザック・スターキーの解雇を巡る見解の相違だ。 スターキーはビートルズのドラマー、リンゴ・スターの息子。ザ・フーのツアーには1996年から参加しており、ファンの間での評価は高い。オリジナル・メンバーのキース・ムーンよりもバンドでの演奏歴も長くなっている。ムーンは早逝したので、バンドでの演奏歴は14年ほどだ。 正式メンバーではなく、途中抜けて別のバンドに参加、といったインターバルはあるにせよ、スターキーはすでにザ・フーに関わってから30年近いキャリアを誇る。 「ザ・フー」1975年当時 (出典:Jim Summaria, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons) が、先月、ザ・フーはスターキーを解雇したことを発表した。 この時、ヴォーカルのロジャー・ダルトリーはスターキーの演奏に不満があることも公表している。一方でスターキーは、この解雇を快く受け入れたわけではなく、「悲しい」気持ちを表明した。 ところがこの件はいったん、元のサヤに収まることで決着を見る。 ギタリストのピート・タウンゼンドによると、いろいろな誤解があったが機材のトラブルなどの要素もあった、円満に話し合いが進んだのでこれからもスターキーとプレイしていく、とのことだった。 キッスの初代ドラマー、ピーター・クリスはアルコール、ドラッグなどの問題を抱え続けたことでバンドを追われ、ギタリストのエース・フレーリーも同じような理由でクビになっている。写真はキッス、1975年当時 (画像:Casablanca Records、PD) これから北米でのフェアウェル・ツアーも始まるところだったので、ファンにとっても良い決着——というのが大方の見方だったのだが、話はこれで終わらなかった。 5月になり、バンドは再度、スターキーが離脱することを発表。 タウンゼンドは円満な別れであることを強調しているが、スターキーはこれを否定。「辞めるつもりはなかった」と言っている。やはり実質的にはクビだったようである。 大臣の更迭を辞任と言い換えるようなことはよく見られるが、世界的バンドにおいて同様のことが行われたのは、ファンにとって大きな驚きだっただろう。 また、イメージ戦略上、まったくプラスにならない裏のゴタゴタが表に出ているあたり、ザ・フーの統治能力を心配する向きもいるに違いない。 不倫で自粛なんかするわけないだろ! 仲間の妻や恋人に次々と関係を迫る。メンバー全員でファンをホテルに連れ込む。薬物に溺れて入院させられる。金に困って万引きをする……現在の日本人アーティストなら「一発退場」にされかねないエピソードを欧米のロック・スターたちは自ら赤裸々に明かしている。ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、ジョン・レノン等、デタラメで不道徳、でも才能あふれて憎めないロクデナシたちの伝説を堪能できる一冊 『不道徳ロック講座』 大物バンド、ドラマークビにしがち 奇妙なことに、大物バンドの歴史には、ドラマーの解雇というエピソードがしばしば見られる。 もっとも有名なのは、ザ・ビートルズのドラマー交代劇だろう。オリジナル・メンバーだったピート・ベストはメジャーデビュー直前に、技術面の問題などを指摘されて脱退している。諸説あるのだが、実質的には解雇だったというのが定説だ。その後釜がスターキーの父、リンゴ・スターである。 息子、スターキーが一時期サポートメンバーとして在籍したオアシスもまた初期にドラマーをクビにしている。こちらも技術不足が問題視されたようで、中心メンバーのギャラガー兄弟が追い出した格好である。 これらはいずれもよく言えば「音楽性の不一致」が原因だったが、もっと不名誉な理由でクビになったドラマーもいる。 ハードロックバンド、キッスの初代ドラマー、ピーター・クリスはアルコール、ドラッグなどの問題を抱え続けたことで、バンドを追われることとなった。正確に言えば、ギタリストのエース・フレーリーと共に、同じような理由でクビになっている。 中心メンバーがポール・スタンレーとジーン・シモンズであるのは誰の目にも明らかだったが、エースとピーターもまた人気者だった。にもかかわらず、バンドは彼らを見限らざるを得なかったのである。 一体何があったのか。『不道徳ロック講座』(神舘和典・著)をもとに見てみよう(以下、同書をもとに再構成しました)。 ピーターとエースの裏の顔 『KISS AND MAKE−UP ジーン・シモンズ自伝』(ジーン・シモンズ著/大谷淳訳/シンコー・ミュージック刊)を読むと、ジーンとポール・スタンレーが、ピーターとエースに手を焼いていた様子がリアルに伝わってくる。 当時のキッスのライヴを観ると、ジーンとポールがクレイジーに見える。ジーンは火を噴き、血を吐く。ポールは空中に舞う。しかし、それはきちんと計算されたエンタテインメントだ。 その一方でピーターとエースは寡黙なイメージ。しかしジーンやポールの自伝を信じるならば、ピーターとエースは扱いにくい難物だったようだ。 『ジーン・シモンズ自伝』にはこんな記述がある。 駆け出し時代、バンドにはローディなどいない。楽器も機材も自分たちで運ばなくてはならない。しかし、エースはなにも手伝わずにふらふらしている。終演後機材を積んだトラックが出発しようとヘッドライトを点灯させると、その先にエースの姿があり、立ち小便をしていた。 エースは自分自身のモノを見せて言った。 「やわらかいときでも、こんなもんだぞ〜〜!」 ジーンとポールは唖然とした。 なぜかモノを自慢する ピーターにも似たようなエピソードがある。 『ポール・スタンレー自伝 モンスター〜仮面の告白〜』(ポール・スタンレー、ティム・モーア著/迫田はつみ訳/増田勇一監修/シンコーミュージック・エンタテイメント刊)には、ピーターがキッスに加入する際のやり取りがふり返られている。 ピーター加入の際、電話でポールが意思確認をしている。 「成功するためなら何でもやるか?」 ポールが聞いた。 「ああ」 ピーターはすぐに答えている。 「ドレスだって着るか?」 「もちろん」 そしてジーンを交え、ピッツァの店で会った。すると、5分ほどで突然ピーターは、自分自身のモノのサイズの大きさの自慢を始めた。 ポールとジーンは返答に窮し、ピッツァを食べた。そして、自分たちとの文化の違いを知ったようだ。ピーターは楽譜が読めないだけでなく、文字の読み書きもほとんどできなかったことがポール・スタンレーの自伝に書かれている。 エースとピーターはいつも酒浸りで、暴力沙汰を起こす。食事をすれば、レストランのスタッフにからむ。酔っぱらって運転し、クルマを破壊する。 「女を追いかけていないときには、エースとピーターがトラブルを起こさないよう監視を怠らなかった」(『ジーン・シモンズ自伝』より、以下同) アルコールとドラッグ レコーディング前に集まってミーティングをしても、エースとピーターは会話の内容など何も聞いていない。それどころか、座っていることもできない。やがて立ち上がって、食べ物をぶつけ合ってふざけ始める。 オリジナル・メンバーでのキッスのセールス面でのピークは1979年。アルバム『地獄からの脱出』のときだった。全米チャート9位まで上がり、シングルカットしたディスコナンバー「ラヴィン・ユー・ベイビー」は『ビルボード』誌ホット100の11位になり、バンドはアルバム・ツアーに出る。 しかしこの時期、エースとピーターはさらにひどい状況だった。 「ツアーは、かなり大がかりなものだった。エースとピーターは、ふたりともじつに情けない状態だった。お互いに噛みつき、あるときは本当に殴りかかった。そうかと思うと泣きながら抱き合ったりしていた」 とくにピーターはアルコールとドラッグでボロボロ。もはやまともに演奏できるコンディションではなかった。 「バンド内では誰もピーターに手を差し延べる者はいなかった。周りには、何かと誘惑も多く、気が散ることも多かったものである。そんな俺たちには、ピーターのおかげで、これでもかというほどのストレスがたまってしまうのだった」 プロデューサーは別のドラマーの起用を勧める。しかし、マネージャーは結成時から一緒にやってきたピーターにもう一度チャンスをもうける提案をした。 見限られたピーター・クリス キッスのメンバーはピーターの状態をチェックするために、ニューヨークの大手リハーサルスタジオ、スタジオ・インストゥルメント・レンタルズに集まった。そこに、譜面を読めないはずのピーターが譜面と楽譜台を手に現れた。 「諸君、ボクはこれまでの生活を全面的に改めた。この半年間、ドラムはもちろん音楽を学んできたんだ。いまや、楽譜を読むこともできる。これまでのボクとはまったく違うんだ」(『ジーン・シモンズ自伝』より、以下同) ピーターは胸を張った。 「本当に楽譜の読み書きができるようになったのか?」 ジーンが確認する。 「ああ、本当だとも──」 しかし、ピーターの演奏はそれまで以上にひどかった。後日、ジーン、ポール、エースの3人は集まり、ピーターをクビにすることを決めた。いつもピーターと行動をともにしたエースも、このジャッジに首を縦にふるしかなかった。 もう一人の問題児、エース・フレーリーもアルコール依存症だったと、『ポール・スタンレー自伝』に書かれている。 キッスの初期のころのエースは、ライヴが終わるまでは素面(しらふ)だった。しかし、終演後は足腰が立たなくなるまで飲んだ。 それについて、ポールは寛大な対応をしている。 「俺にとって、彼が酒を飲むことが問題かどうかの判断基準は、彼が自分の仕事をちゃんとやるかどうかだったし、彼はちゃんと仕事をしていた。ステージを降りた後、彼が何を欲しいと思うか、それは彼の決めることだ」(『ポール・スタンレー自伝』より、以下同) しかし、徐々にエースの様子は変わっていった。 ある夜ポールは、モーテルの玄関ホールで四つん這いになっているエースに出くわす。 「いったい何をやってるんだ?」 ポールがたずねると、エースはおかしなことを言い出した。 「俺の小さな仲間達がいるんだよ」 幻影を見ていたらしい。 そして、エースはポールに言った。 「あ! お前、今、ひとり踏み潰した!」 エースの状態は悪化していった。1982年リリースの『暗黒の神話』のレコーディング前に姿を見せなくなった。ソロギタリストとしての活動を強く意識したのだ。アルコールとドラッグへの依存度も高くなる。ポールは引きとめたが、エースの意思は固かった。 このあと、キッスはジーンとポールを固定メンバーとして、メンバーが入れ替わっていく。ピーターとエースが一時的にバンドに戻り、オリジナル・メンバーで活動した時期もあったが、結局また二人はそれぞれの理由から脱退する。 リスナーとしては残念ではある。ピーターが脱退したことによって、彼があのハスキーな声でヴォーカルをとるナンバーは聴けなくなった。たとえばキッスの初期の代表曲の一つともいえる「ハード・ラック・ウーマン」は、ピーターならではの曲だったと思う。 神舘和典(こうだて・かずのり) 1962(昭和37)年東京都生まれ。雑誌および書籍編集者を経てライター。政治・経済からスポーツ、文学まで幅広いジャンルを取材し、経営者やアーティストを中心に数多くのインタビューを手がける。中でも音楽に強く、著書に『不道徳ロック講座』など。