2023年に北朝鮮を逃れた、脱北者のキム・スヒ(仮名・20歳・女性)さん。 JNNとの電話インタビューに応じ、金正恩政権を生きるMZ世代(1980年前半〜2010年代前半生まれ)の現状について語った。 【写真で見る】「ヤナギの葉を煎じて飲めば発熱に効果がある」掲載された記事とは スヒさんが脱北したのは2023年、春のこと。18歳の時だった。 16歳の時に家族と一緒に脱北を決意し、学校に進学せず工場に就職。2年ほど働き、脱北に必要なお金を集めて、やっと脱北が実現したと話す。 脱北を決意したのは、北朝鮮でみていた韓国ドラマなど海外の映像やアイドルの舞台から、自分の未来は自分で選べる自由な国で生きたいと思ったからだと言う。 「なぜ自分はアイドルになれないのだろう」脱北の決心 スヒさんは北朝鮮で海外のドラマや歌にとても簡単に接することができたと話す。 チャンマダンと呼ばれる市場ではそれら映像や音声を保存したUSBなどが販売されていて、首都・平壌に住む指導部たちの間でも割と広まっていたと語ってくれた。 一日の終わりに家族と一緒にチャンマダンで購入した韓国ドラマと韓国の音楽番組をみるのが毎日の楽しみだったと北朝鮮での生活を振り返る。 そんな中、一番興味をひかれたのが韓国のアイドル。 最初はアイドルたちの派手な化粧や衣装に抵抗感があったが、自分と年齢が近いと知り、自分はなぜアイドルになれないのだろうと疑問を抱くようになった。 「北朝鮮を逃れて、アイドルになりたい」。家族にそう打ち明けると、家族全員での脱北の話が一気に進んだ。 ブローカーにお願いするか、国境を自力で超えるか。いろんな方法を検討したが、どの道お金が必要ということで、義務教育課程を終了するとお金を稼ぐためにすぐ工場で働いた。 MZ世代を中心に広がる“金正恩への不信感” 学校でもそうだったが、工場で働く人の中には、KPOPアイドルや韓国のドラマに心酔したMZ世代が多かったとスヒさんは話してくれた。 北朝鮮では金正恩総書記の指示で厳しい思想調査や検閲が実施されていて、韓国ドラマなど韓国の文化にふれていたことが分かれば、銃殺刑に処されることもあるとされる。 実際にスヒさんの町でも、韓国文化にふれたことがバレて処刑された人もいた。 それでも周囲の韓国ドラマなどの人気は収まらなかった。当局が厳しく規制すればするほど、人々の心のなかでは、むしろ北朝鮮体制への不信感が強まっていったという。 “なぜ自分たちは自由に海外の映像をみることができないのか” “なぜ国は自分たちに韓国は貧困国家だと嘘を言っているのか”など、立て続けに浮かぶ素朴な疑問は、“金正恩総書記は何者だ?”という北朝鮮の体制に対する疑問につながった。 コロナでさらに広がった反発 スヒさんの記憶では、人々の中で金総書記への不信感や不満が蔓延し始めたのは新型コロナウイルスが流行り出してからだった。 中国との国境を封鎖し、最初はコロナの感染拡大を北朝鮮はコントロールできているようにみえていた。 しかし、変異株が登場してから状況は一変。高熱で倒れる人が増え続け、高齢者を中心に死者が急増したという。 治療法としてヤナギの葉などを煎じて飲めば治ると当局は宣伝していたが、まったく効果はなかった。 そして、ある日、空から無人機で中国語が書いてある医薬品が投下された。 北朝鮮メディアが「金正恩総書記が国家の予備医薬品を急ぎ普及させるよう非常指示を下した」と大々的に報じて数日経ってのことだった。 国が自力でコロナ感染拡大を的確にコントロールしているかのように宣伝していたが、実際のところは中国からの援助があったからであり、当局の話は全て嘘だったのだと気が付いた。 「党への忠誠心などありません」 人々がたくさん死んでいく。そんな状況の中でも北朝鮮当局は、ミサイルや衛星開発名目で軍人たちがお金を徴収しにまわって来ることがあったという。 スヒさんの家庭は裕福なほうだったが、お金を徴収された月は生活が厳しく、かなりの不満がたまっていった。 スヒさんだけではなく、同年代のほとんどが同じ思いを抱えていたとスヒさんは主張した。 取材中にスヒさんは何度も繰り返して北朝鮮でも“お金は大事”と強調していた。 生活していく上で、食料など労働党からの配給は当てにならず、自分たちの稼ぎだけが頼りだったと少し声を荒げた。 最後にスヒさんは「自分もそうですが、友だちなど同年代の人たちは、社会主義の恩恵を知らずに育ちました。そんな中、党に忠誠を誓えと言われてもそれはできませんよね」「党への忠誠心の無い若者が増え続けているので、北朝鮮の体制が崩壊するのは割とすぐかも知れません」と、声のトーンを低めて話した。 脱北後に広がった進路の選択肢・・・「まだ迷ってます」 スヒさんは韓国に定住して進路の選択が増えた分、どの道を進むか迷っているという。 脱北準備のため、北朝鮮では諦めていた大学への進学は絶対したいと言いつつも、何を勉強するかは決められないと話す。英語など北朝鮮ではふれる機会が少なかった外国語にも挑戦したいし、お金の流れを勉強できるような経営・経済学にも興味があるとのことだ。 アイドルへの夢は叶えられそうかと聞いたところ、「具体的な計画は立ててないが、まだ諦めてはない」と恥ずかしそうに答えた。 ただ、どの道に進もうと、将来は北朝鮮の人権問題をとりあげる人になりたいと夢を語った。 電話取材からおよそ半年後、スヒさんに近況を尋ねた。まだ進路を決めてないという。迷いすぎて頭が痛いと話したが、自分へ与えられた選択肢が多い証拠でもあるので、とても幸せだとメッセージを送ってくれた。