本屋と介護と家事に追われる54歳主婦が「ポルシェの妖精」に恋をして人生が動き出した話【みっしょん!!】

本屋と介護と家事に追われる54歳の毎日 人情ドラマの名手・入江喜和の最新作『みっしょん!!』は、下町で家族とともに書店を営む平凡な主婦が、車、そしてある女性との出会いをきっかけに、鬱屈とした生活から一歩前に踏み出す物語だ。 主人公の庵 未知は54歳。家業である本屋「いおり書店」の仕事をこなしながら、認知症の母親の介護と家事を一手に担っている。結婚して27年になる夫・洋二は婿養子。毎朝早くから、届いた本の荷解きや配達など一生懸命仕事をしてはいるのだが、それ以外はからっきし。結婚してから風呂掃除をやった回数は10回以下、母親の介護についても戦力外だ。 物語の端々から、自分の気持ちは二の次に、家族のために身を粉にして働く未知の苦労が伝わってくる。しかし、夫が完全なモラハラ男であるとか、母親は意思疎通もできない状態であるとか、いわゆる漫画的に強調された描き方はされていない。むしろ、夫にも、母親にも、多分に「かわいい」ところが見て取れて、この作品にリアリティと人間味を与えてくれる。 87歳の母親は週3回のデイサービスに行く日、毎度必ずグズって未知の手を焼かせる。食事も手づかみするし、深夜の激しい寝言や徘徊も未知の体力を削っていく。手がかかる一方で、感情表現が子どものように素直で憎めない一面もあり、毒気を抜かれてしまうのだ。そして、ふとした瞬間にドキッとするような発言をすることも…。「女のとこ行ってんじゃないの?パパ」——。「パパ」というのは、未知の夫・洋二のことである。 洋二は若い頃はオボコくて無自覚だったが、この10年くらいで自分が「チョイモテ」していることに気付きはじめたようで、ちょくちょく近所の飲み屋に足を運んで遊んでいる。浮気とまではいかないが、買い物につき合ったりお茶をする仲の若い女の子がいることも分かっている。 夫が、「仕事以外何もできないオッサン」になってしまったのはなぜか。その問いに、「私の失敗は夫を甘やかしすぎたこと」と自責する場面があるのだが、そこには夫を膝枕し、団扇であおぎながら愛おしそうに見つめる未知の、幸福感に満ちた若かりし日の姿が描かれている。この絵が、とてもかわいくていじらしくて、こちらまで切なくなってしまう。若い頃は、そうすることが未知自身にとって幸せだったのだろう。しかし、そんな甘い日々が変化していくことは、物語の中だけではなく現実の夫婦たちにも起こるはずだ。 「私のための一日」はいつ訪れるのか? 毎日小さなモヤモヤが積み重なり、気付かぬうちに消耗していく未知。「これをあと何日、何ヵ月、何年続ければ、私は『私のための一日』を送れるようになるのかな」と考えている場面が心に刺さった。 そんな停滞した日常は、ある女性との出会いにより変わり始める。髪は金色の短髪、ミニスカートからすらりと伸びた足が印象的なその女性は、いおり書店で車の絵本を買い求めると、ポルシェに乗って颯爽と去っていった。未知は女性のことを「ポルシェの妖精」と心の中で呼び、強い憧れを抱くようになる。そして、車と彼女のことが頭から離れなくなり、自分の意志で自由を手に入れたいと、運転免許取得と一大決心するのだ。 ここでまた彼女を阻むのが洋二である。「運転はダメだよ」「ママには向いてない」と猛反対。未知が食い下がると、しぶしぶ「マニュアルで免許取れたら運転してもいいよ」と許可を出すのだった。 洋二が反対したのは、未知が事故を起こさないようにという心配もあるだろう。しかし、外の世界に踏み出そうとする妻を単に引き留めているだけにも思える。その上での「マニュアル運転なら」という言葉にも、ふたりの間で許可を出すのは自分であるという関係性を感じられた。これに対して未知は内心ムカつきながらも、「わかりました、マニュアルで免許を取ります」と宣言するのである。 しかし50代でマニュアルの免許を取ることは、生半可なことではない。教習所に通い始めるも教官にはこっぴどく叱られ、頑張ってもちっとも上達しない。悪戦苦闘する描写から、マニュアル車の運転がいかに難しいものなのかが伝わってくる。夫の言う通り、自分には運転は向いていない、もうやめようと夢を諦めかけた時、なんと「ポルシェの妖精」と運命的な再会を果たす。彼女は教習所で教官として働いていたのだ。やがて未知は「ポルシェの妖精」=木津先生に恋心を抱きはじめる。 この木津先生の教習シーンが、また心に染みるのだ。彼女も決して優しい先生ではない。むしろ厳しいのだが、ガツンと叱った後にぽつりと「マニュアルやめないでね」と言うのである。そして、未知が上達しない理由について、料理に例えて教えてくれる。家族のために作る料理も、最初は失敗ばかりだったはず。でも毎日作り続けたことで美味しくできるようになったわけで、運転も同じように何百回、何年も乗ればうまくなる、と。確かに未知は年齢的なハンデもあるし、運転のセンスがあるとはいえないけれど、それを含めて「人それぞれ。それでいいじゃない」と励ましてくれるのだ。この場面を見ていたら、未知が泣くより前に、涙が出てきていた。 年齢を重ねても思いがけない感情が芽生える時がある 私は何故、泣いてしまったのだろう。ほかの教官だったら「やめないで」とまでは、きっと言わない。なぜなら、教習所に通う生徒のひとりにここまで深入りはできないからだ。けれども、木津は未知のことを、ちゃんと見ている、その視線が嬉しかったのかもしれないと思えた。 最新刊では、再びいおり書店にやってきた木津から「ウチ来る?」と誘われる。仕事中だからと一度は断ったものの、いてもたってもいられず、居候の甥に店番を任せて走り出す。50代になっても、こんな風にときめきを感じられるのかと、ささやかな驚きがあった。そして未知の気持ちはどんどん膨らみ、ある日夫との口喧嘩している最中、「女性なんだ、私の好きな人」と告げるのだ。 最近、中高年の人を描いた作品が気になっている。放送中のドラマ『続・続・最後から二番目の恋』もそんなドラマだ。テレビ局プロデューサーの吉野千明(小泉今日子)と、鎌倉市役所に働く長倉和平(中井貴一)というアラ還の主人公たちもまた、仕事で第一線を退く年齢を迎え、自分にはこれから何ができるのかを模索している。暮らしを畳んでいく年齢だからこそ、まだまだ「やれる」ということを探したいのだ。 このような気持ちは、韓国の俳優、50代のチョン・ドヨンにインタビューしたときにも感じた。彼女は60代のデミ・ムーアが主演の映画『サブスタンス』を我々取材陣におすすめし、自分も「ラブコメに出続けたい」と語った。境遇は違うが、私自分もまだまだ出来ることを探したいと思うことが増えてきた。 年齢を重ねると、今まで当たり前にやっていたことを諦めろと言われ、「挑戦」が難しくなる。だからこそ、どこまで自分がやれるのかを試し、乗り越えたいと思うのかもしれない。 『みっしょん!!』の未知も「挑戦」を乗り越えたとき、今までは諦めていた、自分自身で何かを決め、どこにでもいけるという自由を手にするのだろう。 そして年齢を重ねても、新たな人と出会いによって思いがけない友情や愛情が芽生えたり、心がときめくことも、きっとある。未知はみずみずしい感情を持ち、木津という女性にまっすぐに惹かれている。そんなところも、この作品から目が離せない所以である。 中学生で「家族が解散」し、ホームレスに…17年前、日本中に衝撃を与えた「人気芸人のヤバすぎる生い立ち」

もっと
Recommendations

通販サイト「格安でコメ販売」、代金振り込んでも商品届かず…「50万円以上だまし取られた」人も

コメの価格高騰が続く中、「格安でコメ販売」とうたった通販サイト…

共同住宅で火事 70代男性を搬送 札幌市豊平区

速報です。札幌市豊平区の共同住宅でさきほど火事があり、70代男性…

ナガスクジラ キロ10万円で落札 札幌市中央卸売市場

去年から、新たに商業捕鯨の対象に追加されたナガスクジラの肉が、先…

【天気】西日本や東日本で激しい雨 関東や東海は4月並みの気温に

<3日(火)の天気>低気圧が本州付近を進むため、西日本〜東北の広い…

イラン核協議 米が「限定的なウラン濃縮」認める提案か 米メディア報道

イランの核開発をめぐってアメリカが提示した合意案には、イランによ…

「スマホを安易に修理に出すな」相次ぐ証券口座乗っ取り、いつのまにか個人情報を盗まれる「意外な流出経路」

「最近やけに迷惑メールが多い」と思ったあなたはすでに標的(ターゲ…

害獣被害を経験した人の9割が業者依頼の対応に満足 最も多かった被害内容は「糞尿被害」

害獣による被害は、住環境や健康に多大な影響を与えることがある。…

新千歳空港駅で、快速エアポートが急停止 乗客2人ケガ

JR北海道は、新千歳空港駅で、快速エアポートが急停止し、乗…

【速報】東名に車転落させ逃げた男をかくまった疑い 知人の女を逮捕(浜松市)

浜松市で1日、東名高速道路に転落した車を放置し、現場から逃げた男が…

頭から血を流し、水も飲めず…「里親になり手のない保護犬猫」が愛される喜びを知った瞬間

問題を抱えている仔はどこにいくのか東京、千葉、福島を中心に、動物…

loading...