日本文学史に輝く傑作「いのちの初夜」を遺した作家・北條民雄。ハンセン病を患い23歳の若さで夭折した北條は、病に苦しみながら死の直前まで書き続けた。気鋭の文筆家・荒井裕樹による新刊「無意味なんかじゃない自分」では、北條の歩みを丹念に辿り、その軌跡に迫っている。北條民雄の人生を見つめることで、現代を生きる私たちが抱える「生きづらさ」が見えてくる。 この記事は荒井裕樹「無意味なんかじゃない自分」の一部を抜粋、編集したものです。今回は本書の第三章「北条民雄の生涯」から一部を抜き出して紹介します。 親友が記した最期の姿 彼の創作は、我が身の寿命をインクに溶いて綴るような激しいものだったようです。身体の不調は秋頃にはかなり深刻化していたようで、病室で付けていた日記も、この頃には食事内容を記録する程度になっています。本人も不安に襲われたのでしょうか。亡くなる一ヵ月ほど前、友人の光岡良二に対し、園内のとある女性（少女）に自分と結婚する意思があるかどうか確認してほしいと、唐突に依頼しています（女性からは辞退の返答がありました）。 一九三七年一二月五日の未明。北條は結核の悪化により、二三年の短い生涯を終えました。病室で彼の最期を看取ったのは、「いのちの友」とまで呼んだ親友・東條耿一（一九一五〜一九四二年）でした。 東條が記した北條の最期の様子を次に引きましょう。 〈その夜の二時頃（十二月五日の暁前）看護疲れに不覚にも眠つてしまつた私は、不図私を呼ぶ彼の声にびつくりして飛起きた。彼は痩せた両手に枕を高く差上げ、頻りに打返しては眺めてゐた。何だかひどく昂奮してゐるやうであつた。どうしたと覗き込むと体が痛いから、少し揉んで呉れないか。と云ふ。早速背中から腰の辺を揉んでやると、いつもは一寸触つても痛いと云ふのに、その晩に限つて、もつと強く、もつと強くと云ふ。どうしたのかと不思議に思つてゐると、彼は血色のいい顔をして、眼はきらきらと輝いてゐた。こんな晩は素晴しく力が湧いて来る、何処からこんな力が出るのか分らない。手足がぴんぴん跳ね上る。君、原稿を書いて呉れ。と云ふのである。いつもの彼とは容子が違ふ。それが死の前の最後に燃え上つた生命の力であるとは私は気がつかなかつた。おれは恢復する、おれは恢復する、断じて恢復する。それが彼の最後の言葉であつた。私は周章てふためいて、友人達に急を告げる一方、医局への長い廊下を走り乍ら、何者とも知れぬものに対して激しい怒りを覚えバカ、バカ、死ぬんぢやない、死ぬんぢやない、と呟いてゐた。涙が無性に頬を伝つてゐた。〉 死後、師である川端康成や、同じ病院の療友たちの手によって、『北條民雄全集』上下巻（創元社）が刊行されました。彼の人生は二三年間で終わってしまいましたが、彼が遺した作品は、彼が生きた時間よりもずっと長く、文学を愛する人たちに読み継がれることになったのです。 23歳の若さでこの世を去った「天才作家」に隠された「本当の素顔」