部下の給料をケチり、焼き討ちにはノリノリ…「神仏より金」だった明智光秀の「冷酷な一面」

私たちが学校で学んだ歴史には、「偉人」たちの人生が輝かしいばかりに描かれている。しかし、彼らの中には、当時でさえも許されないタブーを破り、その「不適切すぎる」行動の結果、カリスマや女傑と呼ばれる存在になった者もいた。 堀江宏樹氏による 『日本史 不適切にもほどがある話 あまりに露骨すぎて「なかったこと」にされた史実』(三笠書房) では、そんな日本史上に残る人物たちの「知られたくない事実」を明らかにしていく。 今回は天正10年6月2日(1582年6月21日)に謀反を起こした明智光秀の実像に迫る。 「金」を巡る明智光秀の実像 明智光秀はその知名度に反して、謎が多い。家系、生年はおろか、織田信長に仕えるまでの経歴さえよくわかっておらず、そもそも「本能寺の変」で信長に謀反を企てた理由も現在にいたるまで明らかにされていない。 しかし、信長は光秀を高く評価していた。それは光秀の資金調達能力が家中でもずば抜けており、織田家への貢献度が高かったからだろう。 戦国大名の生命線は資金繰りである。領国の統治も言い換えれば、経営であるし、戦一つするにも大金がかかる。 常に膨大な金を必要としている信長のため、光秀は資金調達をこなす一方で、自分の配下の者たちからは搾取していた。社長にいい顔をして見せたいがために自分の部下にはキツくあたるような、ブラックじみたベンチャー企業の中間管理職のようなことをして、光秀は信長に気に入られたようなものだった。光秀が仕事を依頼した目下の者たちへの金の支払い方を見ていれば、彼の実像は一目瞭然である。 現在でも明智光秀の城として有名な丹波亀山城を築く際、光秀から110人の作業員に支払われた「俸給」──米の支給量は、当時、同様の仕事を請け負った際に支払われる量の平均を25%も下回っていた。 光秀のモチベーションを掻き立てた「ごほうび」 歴史創作物の中では、清廉潔白な人物像を与えられがちな明智光秀と、マネー観を通じて見る史実の明智光秀の人物像には真逆といえる部分がある。 創作物の中で光秀は常識を兼ね備えた知識人として、風雲児・織田信長の横暴に悩むキャラを与えられがちだが、元亀2(1571)年9月12日の「延暦寺焼き討ち」の責任者に抜擢されると、史実の光秀はひどく乗り気になっていた。 「仰木(おおぎ)のことはぜひともなで斬りにつかまつるべく候(そうろう)」、つまり延暦寺に味方する不埒な仰木家などは皆殺しにしてしまえ! などという光秀の手紙が残されているので言い訳はできない(元亀2〈1571〉年9月2日付の明智光秀から雄琴(おごと)〈現在の滋賀県大津市にある地域〉の土豪・和田秀純(わだひでずみ)に宛てた書状)。 また、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスからは、光秀は「悪魔とその偶像の大いなる友」と評されていた。この文脈でフロイスがいう「悪魔」とは仏教や神道の意味だが、光秀の信仰心は富の誘惑の前には霧散したらしい。本当の意味で「悪魔の友」といわれてもいたしかたない。 ここまで光秀がやる気になっている理由は、延暦寺攻め成功の暁には、延暦寺がある近江国(現在の滋賀県全域)を領土として与えられる約束を信長と交わしていたからだ。それは巨額の富を光秀にもたらすだろう、実に魅力的な取り引きだった。 神も仏も怖くない、金だけがほしい やる気満々の明智光秀を中心とした織田軍だったが、実際は「雲霞の如く(煙をあげて比叡山の寺院を)焼き払い」、当地は「目も当てられぬ有様」となって「数千の屍算を乱し」……といった太田牛一(おおたぎゅういち)による『信長公記』の記述ほどの破壊は行なわなかったらしい。 比叡山が大量の煙に包まれている様子が、京都市中からも眺めることができたという証言が複数あるが、比叡山の多くの建物が実際に燃えたという地質調査の結果は今日まで見つかっていない。 おそらくは寺の建物を燃やすより、用意しておいた薪を大量に燃やすなどして煙を発生させ、恐怖心を煽り立てるという心理攻撃を明智軍は用いたのではないか。 これほどまでの規模で正面切っての攻撃を受けたことがない比叡山はパニックに陥り、即座に降伏してきたと考えるほうがよさそうだ。戦は長引くほどに経費がかさむため、早いうちに降伏してくれて、光秀としては本当にラッキーだった。 約束どおり、信長から近江国の支配権を与えられた光秀は、領内の延暦寺以外の寺院の領地・財産をことごとく没収し、それを私財に回すという鬼の所業を見せた。要するに延暦寺に優しかったのは、織田信長の名声を傷つけないための配慮であって、光秀本人は神も仏も怖くない、金だけがほしいというタイプだったと思しい。 信長が頭髪の薄くなってきた光秀をからかって、「金柑頭」などと馬鹿にしたといった手合いの逸話はすべて江戸時代に創作されたもので、光秀だけでなく、信長が家臣たちにパワハラ、モラハラを具体的に仕掛けたという証拠は何も残されていない。 それゆえ光秀が信長に謀反を企てる理由といえば、やはり金に関するトラブルであったのではないかと筆者は考える。本能寺の変の直後に光秀が取った行動を見ていても、それは明らかだろう。晩年の信長は常に金欠だったようだから、光秀が立て替えた金の支払いなども遅れていたのだろうか。 「人間は皆、金で動く」──わけがない 光秀は、京都から安土に向かい、信長の居城だった安土城に乗り込むと、そこに蓄えられていた莫大な金銀財宝をおのれのものとした。 ここまでは当時の勝者にとって一般的な行為なのだが、宣教師のルイス・フロイスの証言が正確であれば、光秀はこれを元手に実力者たちに会いに行き、自分の味方をするよう、現代日本の貨幣価値で何億〜何十億円規模の異常なバラ撒きを敢行した。 とくにこれと見込んだ武将には「金の棒で7000クルザードを与えられた者も幾人かいた」という。 当時の1クルザード=0.232両、そして当時の1両=10万円として計算した場合、なんと1億6240万円となる。通常でもその半分程度の3000〜4000クルザードを奮発したらしい。さらに朝廷にも2万クルザード(=4640両、つまり現代の4億6400万円)を献金している(以上、フロイス『日本史』)。 光秀と親交があった公家で神道家の吉田兼見(よしだかねみ)によると、朝廷への献金額は「銀500枚」にとどまったが、戦国当時は銀1枚=金1両なので、それでも5000万円ということか。 また光秀は、京都の庶民たちにも減税政策を打ち出した。明智光秀という男は徹頭徹尾、「人間は金で動く」という処世訓の持ち主であったようだ。 「夢を語れない大将」の最期 たしかに戦国時代の日本人は、今日以上にタダでは動いてくれない。 中国地方の敵対勢力を攻めていた秀吉が、京都まで常識外れのスピードで引き返すには、2万の部下たちの協力が必要で、この時の秀吉も部下たちに臨時ボーナスを支給している。つまり秀吉も兵たちの忠義を「買う」ためにバラ撒きをしたのだ。 2万の兵たちに1日休息日を設け、備中高松城攻めのための備蓄の兵粮米8.5万石と軍資金の金子800枚、銀子750貫目などをすべて彼らに臨時ボーナスとして支給した。これは現在の貨幣価値で一人105万円ほどにあたる。 これらの数字は江戸時代初期に秀吉を賛美する目的で書かれた『川角太閤記(かわすみたいこうき)』に見られるもので、これでも多めにしている可能性はある。しかし、重要人物一人あたり1億円超えのバラマキをした光秀に比べると、規模は小さい。 ところが、秀吉のようになぜか人から慕われるという才能がない明智光秀の天下は非常にもろく、その最期は悲惨だった。 俗にいう「十日天下」(実際は11日)ののち、中国地方からとんぼ帰りしてきた秀吉と、天正10(1582)年6月13日の「山崎の戦い」で対峙した光秀だが、あっという間に敗戦してしまった。 光秀は「莫大の黄金を(逃亡に協力してくれた農民たちに)与ふるを約し」たにもかかわらず、逃亡途中に農民たちから襲われ、槍で突かれて絶命したのである(『耶蘇会士(やそかいし)日本通信』1583年2月13日)。 織田家の資金調達係として有能だった光秀には「信長の財産は、この私がつくってやったのだ」という驕りが強く、そういうところが「天下人」にはふさわしくないと世間に判断されてしまったのだろうか。 夢を語れない大将などは必要とされないのだ。明智光秀という男はあまりにリアリストすぎたのかもしれない。 ・・・・・・ 【つづきをよむ】「小牧・長久手合戦」はなぜ起こったのか…織田信長亡き後、「信長の息子」と秀吉が戦った大戦の真相 「小牧・長久手合戦」はなぜ起こったのか…織田信長亡き後、「信長の息子」と秀吉が戦った大戦の真相

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