皆さん、こんにちは。新潮社校閲部の甲谷です。 今回もクイズから。 【回答】皆さん、分かりましたか?クイズの答え合わせをしてみましょう この連載ではおなじみの「文化庁 国語に関する世論調査」。その令和元年度版の中で、「浮足立つ」という言葉の調査が行われています。 その調査で、「浮足立つ」について、「辞書上で主に本来の意味とされてきたもの」は次のうちどちらでしょうか? 1.喜びや期待を感じ、落ち着かずそわそわしている 2.恐れや不安を感じ、落ち着かずそわそわしている 大酒飲みは破天荒? AさんとBさんが同窓会で話しています。 Aさん「俺の同僚、どんな上司にも全く遠慮せずズバズバ意見するんだよね」 Bさん「ずいぶん破天荒な奴だなあ」 ゲラを読んでいる時は真剣 このような会話は日常的によく耳にしますが、「破天荒」という言葉の使い方に違和感を持たれた方がいらっしゃるかもしれません。他にも「大酒飲みで破天荒な奴」「真冬に半袖で歩いて、破天荒だなお前は!」などといった使われ方も見かけます。 辞書の記載を確認すると、例えば「新明解国語辞典 第8版」には次のように書かれています。 〈はてんこう【破天荒】だれもしたことのない事をすること(様子)。〔単に豪快で大胆な性格の意に用いるのは誤り〕「破天荒の大事業」「破天荒の(=異例の)人事」〉 「豪快で大胆な性格の意」は誤り、と明記されています。「広辞苑 第7版」でも、同様の記述とともに「未曾有」「前代未聞」という類語の例が出ていました。 しかし、この「破天荒」、実際には冒頭の会話のように「豪快で大胆」の意でよく使われます。もとは中国の故事成語だそうですが、現代の日本では「破」「荒」といった漢字の雰囲気から「豪快で大胆」といった連想が定着したのでしょう。 クイズでも取り上げた「文化庁国語調査」の令和2年度版でも「破天荒」についての調査が行われており、そこでは本来の「だれも成し得なかったことをすること」という意味を選んだ人(23.3%)よりも「豪快で大胆な様子」が正しい、と選択した人が倍以上(65.4%)いた、という結果が出ています。 ここで冒頭の会話をもう一度確認すると、「上司にズバズバ意見すること」は「だれも成し得なかったこと」ではないでしょうし、「ずいぶん」という副詞の使われ方からしても、やはり「破天荒」は本来の意味では使われていません。 しかし、この連載で何度か言及している通り、言葉の意味は移り変わるのが自然です。そのため、校閲者として「本来の意味でない使い方を認めない」という姿勢が必ずしも正しいとは私は考えていません(もちろん、誤読を誘発する場合や、時代に制約のある内容など、例外は色々あります)。 「意味を誤解して生じた俗用」 他の辞書はどうでしょうか。高校生向けの「三省堂 現代新国語辞典 第7版」(2024年)には、「破天荒」の意味として次のような記載があります。 〈[意味を誤解して生じた俗用で]型破りだ。【注意】「今までだれもしなかった、思いもよらないことをするようす」が本来の意味〉 また「三省堂国語辞典 第8版」にも、〔俗〕の注記とともに「型破りで豪快なようす」とあります。 実際のゲラでも、「破天荒=豪快で大胆、型破り」の意味のほうばかりを見かけます。というより、今ではほぼそちらの意味でしか見かけないと言ってよいでしょう。前述した、本来の使われ方とされる「破天荒の大事業」のほうが完全にレアケースです。 校閲者として「破天荒」の俗用表現をどう扱うのかは、媒体や状況によっても異なると思いますが、私の場合、上記の例外(誤読を誘発する場合や、時代に制約のある内容など)を除いて、週刊誌の記者原稿では現状、校閲疑問を出さないようにしています。 しかし、この「校閲疑問を出すかどうかの判断」というのは全てをマニュアル化できるものでもなく、本当に悩ましいものでして……これを次回のお題といたします(突然の予告)。 迫真のノンフィクション? もう一つ、こちらも現場でよく見かける表現として「迫真」というものがあります。 「明鏡国語辞典 第3版」には、「真に迫っていること。表現などがまるで現実のようであること」、「三省堂国語辞典 第8版」には「ほんものそっくりに見えること」と記述されています。 よく「迫真の演技」などと言われるように、文字通り「真に迫る」、すなわち本物でないものに対して使うのが本来の意味であって、「迫真のノンフィクション」「迫真の叫び」といった表現は本来の意味からは外れている、とされているのです(むしろ“迫真のフィクション”のほうが正当なわけですね)。 こちらについては、現状で「迫真のノンフィクション」を許容していると思える辞書は見当たりませんでした(あればぜひ教えてください)。 ですが、ネットでフレーズ検索(過去記事参照)をすると、なんと“本の帯”でこの表現が頻出していることが分かりました。 「迫真」の「真に迫る」が「真実に迫る」と混同され、「迫力」などとも雰囲気が近いことから、「迫真のノンフィクション」という表現が使われやすいのでしょう。こちらも時代の流れとともに今後、辞書でも許容されていく可能性があります。 最後に、「新明解国語辞典 第8版」における「迫真」の項、美しい記述をご紹介します。 〈はくしん【迫真】 演技(演出・創作)である事を忘れさせるほど、訴える力が強いこと〉 前回も書きましたが、「辞書で呑む」気持ち、やはりよく分かります。口元が緩んで辞書にお酒をこぼさないよう、気を付けねばなりませんが……。 甲谷允人(こうや・まさと Masato Kouya) 1987年、北海道増毛町生まれ。札幌北高校、東京大学文学部倫理学科卒業。朝日新聞東京本社販売局を経て、2011年新潮社入社。校閲部員として月刊誌や単行本、新潮新書等を担当し、現在は週刊誌の校閲を担当。新潮社「本の学校」オンライン講座講師も務める。 デイリー新潮編集部