“語り継ぐことの大切さを教えてくれる本でした。思い出すのはもちろんのこと言葉にするのもつらいことであっても、それを黙したままであっては未来につながらない。だからと身を切る思い出言葉にしてくれる方々がいて、それを直接聞けるのは残りわずかな年月になるので、この本のように文章で残してくれたり、動画に収めたり、そのようなものを引き継いでいくのは、新たな戦前にいるかもしれない私たちの務めだと思わされる。戦争反対。その言葉を言い続けられる社会であるように。(NetGallyの書評より)” これは、『わたくし96歳#戦争反対』を読まれた方からのメッセージだ。 「わたくし96歳」というアカウント名で、自らX(旧Twtter)にコメントをアップし、現在8.4万人ものフォロワーがいる森田富美子さん。著書は、富美子さんと長女である森田京子さんの共著だ。 富美子さんは2019年、90歳のときに自身の主治医にこう語った。 「実は先生にお願いがあります。私は原爆で両親と弟3人を亡くしました。みんなの分も生きないといけません。これから先、二度とあんな戦争が起きないように、核兵器がなくなるように声をあげていこうと思っています。私を長生きさせて下さい。みんなに会ったとき、平和になったよ、そう言えるよう頑張りたいんです。 『わたくし96歳#戦争反対』より 長年封印してきた戦争の記憶について語らねばならない、「かたりべ」になろうと決心して6年。富美子さんの想いを京子さんとともに実現したのが、この1冊だ。著書には、1945年8月9日の記憶だけでなく、戦前の幸せな子ども時代から戦後から現在に至るアグレッシブな富美子さんの様子を京子さんの視点も含めて語られ、戦争、女性の生き様、歳を重ねるということ、母と娘の関係性など様々な問題提起をしてくれる。 いち早く『わたくし96歳#戦争反対』を読んだ書店員さんや図書館関係者、多くのレビューとともに、この本に書かれた事実を一部抜粋紹介する。 70年以上語ることができなかった8月9日の記憶 『わたくし96歳#戦争反対』の第一章は、富美子さんが16歳のとき、1945年8月9日の朝から始まる。いつもように迎えた朝、富美子さんは学徒動員で自宅から離れた島の工場に向かった。 「ドーンと凄まじい爆音がしたかと思うと、猛烈な爆風で全員がトンネルの奥に向かって飛ばされるように押しやられ倒れ込んだ。あらゆる物が1ヵ所にグッと集められ固められたような感覚だった。それが11時2分だった。 いったい何事かと私たちは怯え動けなかった。ほどなくして、 「長崎駅が燃えとる!」 「長崎がやられた」 そう叫ぶ声が聞こえた。私たちはトンネルを飛び出し、すぐ横の丘に駆け上がった。 キノコ雲が見えた。それは、崩れかけ、緩み、広がり、黒く不気味に変化し始めていた。そして、まるで後光でもさしているかのように金色に光り輝いていた。」 『わたくし96歳#戦争反対』より そこから急いで船で島から出て、富美子さんは自宅を目指した。しかし、そこは富美子さんが知っている長崎の街ではなかった。これはのちにわかったことだが、富美子さんの自宅は爆心地から200mも離れていない位置にあったのだ。 「家が近くなると死体が増えた。大きく膨れ上がった馬が2頭、横になって倒れていた。進めば進むほど死体が増えた。あたりは死体の山だった。真夏の死体がどんな状態か見なくてもわかる。目を伏せて歩いた。家に着く少し前に叔父とは一旦別れ、一人で家に向かった。前日は爆風に飛ばされ何もない焼け野原だったところも死体の山になっていた」 『わたくし96歳#戦争反対』より 富美子さんは、この原爆で、両親と弟3人を失う。この壮絶な経験について、富美子さんは長年語ることはなかった。それはあまりにつらく、直視した時間も含めて、封印した記憶でもあった。富美子さんは90歳のときに、「かたりべになる」と決心したものの、実際にその記憶と向き合うと言葉が思うように出ない、80年近くたった今もフラッシュバックしてしまうこともあった。 それでも、丁寧に時間をかけて、娘である京子さんはハハ(京子さん含めて周囲の人は富美子さんをハハと呼ぶ)は富美子さんから聞き取りを重ねていった。きっと富美子さんにとっても京子さんにとっても、厳しくつらい時間であったに違いない。京子さん自身、「ハハから聞き取りをして、そんなことがあったのか、と知らないことばかりでした。それだけハハは自分の記憶の中で留めておいた事柄だったのです」と語る。 真実を知ることの大切さ この部分の記載にも多くの声が寄せられた。 “あまりにも壮絶な原爆体験に言葉を失うほどでした。愛する家族や大切なひとたちをむごい形で失ってしまう。その思い出したくない、忘れたい記憶を掘り起こして世の中に伝えようとしてくださって本当にありがとうございますとお礼を言いたいです。 ハハ富美子さんの強さや長女京子さんのハハの考えを尊重する姿勢も素晴らしい。何かをやりたいと願って行動を起こすのはいつからでも遅くないのだと思いました。ハハのチャレンジ精神とパワフルな生き方に圧倒されっぱなしでした。わたしも絶対に戦争反対です。たくさんのひとに読んでもらいたい本でした。(水嶋書房くずはモール店・井上恵さん)” また、富美子さんの8月9日の記録を知ることが明るい未来を作るために必要なのではという声もあった。 “戦争がもたらした、深い哀しみや苦しみ。 原爆で命を落とされた、森田さんのご家族のお話に、形容できない痛切な気持ちが込み上げました。そして、戦後の困難な状況を懸命に生き抜いてきたお姿に、熱い涙が滲みました。 しかし、森田さんは、思い出すだけでも辛い過去に向き合い、二度と戦争を起こさないために、新たな挑戦と発信の道を切り開いていく。そのどんな苦境にも立ち向かい、諦めず声を上げ続けていく姿に、強い勇気をいただきました。 まさに、平和への願いが込められた、戦争体験記。このような時代があった事を決して忘れてはいけない。同じ過ちを絶対に繰り返してはならない。私にとって本作は、明るい未来が生まれるためのかけがえのない祈りのようなノンフィクションでした。これからも、森田さんの想いをしっかりと胸に留めて生きていきたいです。(紀伊國屋書店福岡本店・宗岡敦子さん)” 富美子さんが決心した「かたりべ」としての想いは多くの方たちに伝わっている。そして、90歳になって発信を決心し、SNSでフォロワー8.4万人を持つインフルエンサーとなり、書籍発刊へとつないでいく。富美子さんの「言いたいことは言わせていただく」と決心した熱き想いとエネルギーは著書の端々から感じることができるのだ。 すべてにつながるタフな富美子さんの生き様 そして、8月9日の部分だけでなく、その後の富美子さんのタフな生き様にも多くの共感が集まっている。 “原爆や戦争体験についてだけでなく、森田登美子さんの人生や、それを身近で見聞きしてきた娘さんの文章で構成されていて、登美子さんのバイタリティに驚かされ、「戦争反対」を伝えてゆくために、健康維持にも意識を高く持っている様子に信念の強さを感じました。戦争、原爆の悲惨さを伝える部分では、戦争というものが、自由や尊厳だけでなく命まで簡単に奪ってしまうのだということを感じました。 戦後の登美子さんのチャレンジ精神や、好奇心の強さなどが伝わるエピソードからは、戦争がないからこそ、自分のやりたいことや望みが、努力や周りの協力である程度叶う世の中であることが「#戦争反対」に繋がってくるような気がします。決して生きやすい世の中ではないけれど、私たち次第で良くなる可能性は大いにある。だから、本当に二度と戦争などあってはならないと強く思わされました。(NetGallyの書評より)” 富美子さんと京子さんのなんとも言えな母娘関係に関心に想いを寄せる人も少なくない。 “年齢を感じさせないパワフルさには圧倒されました。好奇心旺盛で、好きなものにのめり込む姿はとても格好いいです。長女の京子さんによる、富美子さんへの心の中でのツッコミには思わずクスッとしてしまいました。素敵な母娘の関係だなと思います。病気をされた富美子さんの意思を尊重する京子さんの姿も素敵だなと思います。 この本を読み終えたあと、さっそくアカウントをフォローさせていただきました。これから富美子さんの投稿を拝見していきたいと思います。この本を読んだ方、そして富美子さんのXのフォロワーのみなさん、ぜひ選挙に行きましょう。そして、日本がこれからも平和で、戦争を選ばない国であり続けることを願いたいです。戦後80年となる今年、この本が発刊される意義を深く考えさせられました。(NetGallyの書評より)” 感想にもあったように今年は戦後80年で、各メディアも戦争に関して振り返る特集を多く企画している。でも、「戦後80年」と昔のこと、違う時代の出来事ではない。現在も世界を見れば戦争は続き、大国のリーダーたちの発言にも危うさが増している。そして、私たちにとって身近な、SNSを見ても諍いや分断を感じるものは少なくない。 「戦後80年という節目に、戦争を経験したことのない若い世代に、そして心に傷を抱えるすべての人に読んでほしい」 PTSDを患ったことを自著『透明を満たす』で赤裸々に伝えた渡邊渚さんは、本書を読み、森田富美子さんと京子さんにインタビューをしたうえで「「忘れられなくて当たり前」渡邊渚が「わたくし96歳」の体験を知って思ったこと」の記事にてこのように綴っている。2年前にPTSDとなる体験をしたことにいまも苦しんでいる渡邊さんは、富美子さんが今もなお、80年経った経験に苦しんでいる事実を知りながらも、それでもいまパワフルに生きている姿が救いになるという。 だからこそ、富美子さんたち戦争を経験された方が当時何を感じ、戦後どう生き、今何を感じ、今の社会に何を思うのかを知ることはとても大切なことだ。 「96歳、さあこれからだ!」とあとがきに自ら書いた森田富美子さんの生き様から、あなたは何を感じるだろうか。 【関連】「忘れられなくて当たり前」渡邊渚が「わたくし96歳」の体験を知って思ったこと