創立75年を超える国内随一の老舗バレエ団でありながら、一時は経営破綻寸前のピンチに。しかし「禁断密着バレエ団」という思い切ったタイトルのYouTube動画が話題を集めて最初の1カ月で320万回再生を記録、あっという間に「チケットの取れないバレエ団」へと生まれ変わった——そんなドラマチックな展開をこの数年で経験したのが、谷桃子バレエ団だ。 【写真を見る】「最高年収700万円」と明かした 43歳のプリンシパル(ダンサーの最高位) 渡邊永人氏が、映像制作会社Sync Creative Managementのディレクターとして、この時に密着を担当したのは、バレエ団で長年プリンシパル(ダンサーの最高位)として主役を踊りながら、不妊治療を経て41歳で待望の第1子を出産した永橋あゆみさん。 不妊治療→高齢出産→壮絶復帰 43歳プリマが感じた「限界と希望」 ダンサーとしての最高年収が700万円であったことや、過去の離婚経験に至るまで包み隠さず話す、明るく穏やかな人柄が印象的だった彼女。しかし、主役舞台復帰までの道程は予想以上に過酷なものだった。 以下、渡邊氏の著書『崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった』をもとに見てみよう。(同書をもとに一部抜粋・再構成) *** 43歳のプリンシパルの怒濤の一日 「そのまま引退しようと思ったことはなかったんですか?」 2歳になる娘・ゆなちゃんを保育園にお迎えに行く道中、産後復帰の舞台で主役を踊る43歳のプリンシパル、永橋さんに聞いた。 起死回生の一手はリアルで過激なドキュメンタリーYouTube! 「トウシューズを買うのも苦しい」週5バイトの新人バレリーナ、「コロナと戦争で解雇された」ロシアの元プロバレエ団員、動画に批判殺到で「生きた心地がしなかった」芸術監督。個性豊かなダンサーたちと若きディレクターが織りなす、涙と汗の青春ノンフィクション 『崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった』 高校卒業後、すぐにプロバレリーナの道へ進んだ永橋さん。トップバレリーナとして主役を何度も踊り、国からの芸術賞を受賞するなど、輝かしい実績も残してきた。 そして、2度の結婚生活で長い妊活を経験し、41歳の時に念願の子どもを授かった。 前回彼女に密着取材した時は、まだ育児休業中だった。それから半年たった今は、娘のゆなちゃんを保育園に預けるようになり、バレリーナとしての時間を確保できるようになった。そして覚悟を決め現役復帰。 この日の撮影は、『白鳥の湖』のリハーサル後だった。しかし、疲れを見せることなく軽やかな足取りで日が暮れた夜道を歩き、娘が待つ保育園へと向かう永橋さん。トップバレリーナから母へと姿を変え、ここからはノンストップ、怒濤のスケジュールだ。 最大の見せ場となる第3幕で黒鳥のオディールとして王子と踊る場面には連続で32回転する見せ場があり、一番の難所でもある ゆなちゃんを迎えに行き、夕飯を作り、それを食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつける。その合間で洗濯などの家事も行う。ただでさえ過酷なバレエダンサーの仕事の中でも、主役を務める舞台の稽古で消耗する体力は尋常ではないはずだ。そのうえ、家に帰れば子育ての一番大変な時期である2歳の子どものお世話が待っている。 永橋さんの怒濤の一日を垣間見た僕は、もしかすると、長年の苦労の末に愛娘を授かったタイミングが、彼女にとって一番幸せな、この上なく美しい引き際だったのでは? と思わず考えてしまった。 踊り続ける理由 なぜそこまでして踊るのか。 少し失礼な言い方だが、体に鞭打って踊り続けたとて、大金が手に入るわけでもない。 普段の練習も本番の舞台も過酷、これから年齢を重ねれば重ねるほどにしんどいことも増えるはずだ。 そもそも43歳で踊るということ自体、ある種の挑戦と言える。実際、約150人が在籍する谷桃子バレエ団の団員は、講師陣を除くとほとんどが20代だ。30代になるとグッと人数が減る。海外で踊る平田さんでさえ、38歳という年齢で「現役が長くない」ということを口にしていたから、43歳で復帰する、というのがどれだけ異例なことかというのがわかる。 「正直迷いました。復帰はものすごく過酷な道だということもわかっていたし、このまま引退して指導の側に回るべきなのかもしれないとも思いました。小さい子を保育園に預けて可哀想、と言われることもありました。実は復帰してから一度、娘が夜中にすごく泣いたことがあって、そういう時は自分でも『ああ、寂しい思いさせてるのかな』と考えて悲しくなったり。でも、また私の踊りを見たいと言ってくれる人がいる。主役を任せてくれる先生たちがいる。だからまだ辞める気にはなれませんでした」 普段の穏やかで優しい永橋さんとは違う、気迫に満ちた表情と声のトーンに復帰への強い覚悟を感じた。 「私、人生って誰かに生かされているものだと思うんです。タイミングごとに乗り越えるべき試練を誰かに与えられているような感覚。もう一度主役を踊るチャンスが目の前にきたということは、きっとこれは私が乗り越えるべき試練で、その経験がその後の何かにきっと役に立つんだと思うんです」 踊り続ける理由は人それぞれだ。お金でもない、承認欲求でもない、地位や名誉でもない、何かに取り憑かれるような魅力がバレエにはあるのだろう。 とはいえ、出産後の主役復帰、そしてプリンシパルダンサーと子育ての両立は、家族の理解と協力なしにはとても成しえないはずだ。そのあたりは大丈夫なのだろうか。 「奥様が復帰することをどう思ってますか?」 「夫として、奥様が復帰することをどう思ってますか?」 12歳年下で、プリン屋さんの店長として働く永橋さんのご主人・大修さんにもストレートに聞いてみた。 「本人がやりたいところまでやれば良いと思います。ただ、産後の体の状態は本人にもわからないところがあると思うので、とにかく怪我なくやってほしい。本当にそれだけです」 心が広い。「本当は引退して子育てに集中してほしいです」そんな答えを予想していた自分を恥じる。彼の支えなしでは復帰は難しかっただろう。そう思わずにはいられない答えだった。 連続32回転の見せ場がある「白鳥の湖」の主役に 「永橋さんを主役に選んだ決め手は何ですか?」 プリンシパルとはいえ、本人が主役をやりたいと言ったからといって、必ずできるわけではない。最終的に配役を決めるのは芸術監督の高部尚子先生である。 「『白鳥の湖』は、白鳥に姿を変えられたオデット姫の悲しみを表現するのがとても大切かつ、難しい作品なんです。だから誰よりも経験があり、表現の引き出しも多い永橋さんが良いと思いました」 表現の重要性は理解できたが、この作品は体力的にも技術的にもかなり難度が高いものだと聞いていた。それでも永橋さん程の技術があれば、産後のブランクがあっても問題なく踊れるものなのだろうか。 「いや、それは相当大変だと思いますよ。筋力も体力も落ちているでしょうし。特に第3幕で黒鳥のオディールとして王子と踊る場面には連続で32回転する見せ場があるんです。そこが一番の難所になると思います」 高部先生は45歳の時に現役を引退した。 「このまま踊り続ければ歩けなくなる」と医師に言われ、手術を決断。日常生活に支障が出ない体を手に入れる代わりに、プロとしてバレエを踊る道を手放したのだ。そんな壮絶な苦労を経てきた高部先生が「相当大変」と言うくらいだから、永橋さんが進もうとしている道はかなり過酷だということだ。 この時、永橋さんの復帰舞台『白鳥の湖』の本番まで、残り1カ月を切っていた。 *** 永橋さんを取材したディレクターの渡邉氏は、人生初めてのバレエ観劇で「難解さに30分で席を立った」と語るほどバレエの世界に疎かった。しかし、永橋さんへの密着取材を続ける中で、その認識が劇的に変化する。永橋さんが舞台で演じる「白鳥の湖」を観劇した際、彼は「心が震えた。感じたことのない感情が込み上げてきた」と同書の中で語っている。 ※『崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった』より一部抜粋・再編集。 *** 動画ディレクターの渡邊氏が人生で初めてバレエを観劇した際の経験と「バレエを面白いと思えなかった」という率直な感想をバレエ団トップに伝えた衝撃エピソードを関連記事【 320万回再生で話題騒然! タブーに切り込み“正直過ぎる”動画で明かされたバレエ界の裏側 】で紹介している。 デイリー新潮編集部