非エリートは失格者の烙印 教養を学ばない人は「非エリート」なのか

自分の人生と戦い続けるために--。 人間の平均余命が1世紀を超える時代が訪れようとしている中、この気も遠くなるような時間を、どのように生き、埋めていくのか? 『 人生百年の教養 』の中で著者の亀山郁夫さんは、1世紀の時を創造的に生きる唯一かつ最高の道が「教養」であると述べています。 本記事では、 〈教養を学ばない人は「非エリート」?…なぜ日本では「教養教育」が形骸化してしまったのか〉に引き続き、「教養」と「常識」の違いなどについて見ていきます。 ※本記事は亀山郁夫『 人生百年の教養 』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。 教養に憧れる「非常識人」 じつのところ、先に述べたことは、私にとって長い間悩みの種でありつづけた問題でもあります。典型的な文系人間である私には、「自由七科」といわず、人文、社会、自然の三分野にまたがる知識の習得を完全に怠った苦い経験があるのです。また、理系の話に、ほとんどといってよいほどついていけない自分に強い劣等感を抱きつづけてきました。 ですから、三分野にまたがる基礎知識を万遍なく吸収できることが、「教養人」の基本要件であるとしたら、私は、いの一番に失格者の烙印を押されることでしょう。「非教養人」と呼んだほうが、はるかに正しい。しかも、私は、驚くほど偏った人生を生き、偏ったものの考え方をし、友人たちから「変わり者」という目で見られてきた「実績」があります。 今、思い返してもぞっとする昔話を披露します。私は、中学校入学時から高校時代の終わりにいたるまで、ペンシルケースを持った記憶がありません。つねに毎回、隣の生徒に、鉛筆を借り、シャープペンシルを借りて授業をやり過ごしていたのでした。にもかかわらず、断られたことはありませんでした。 それが何を意味するかは、明らかです。「どうしようもないやつ」と見られていたのです。少年時代のその非常識ぶりを非常識として理解できなかった自分が残念でなりません。当然、授業の内容をノートにとるということをした記憶もほとんどありません。おそらく故郷、宇都宮の実家の物置に、その類のノートを探しだすことは困難だと思います。 高校時代は、英語と世界史、現代国語以外は、どの科目も並み以下でした。とりわけ生物、化学、物理が大敵でした。古文、漢文も苦手でした。おまけに大学入学後は、いわゆる学園闘争の嵐に翻弄され、大学に通うという行為にすら罪悪感を掻き立てられるような毎日でしたから、一般教養の授業は、当然のようにうわの空でした。 つまり、私には、大学で教育を受けたという実感がほとんどないのです。すべては、独学でした。ただ、一人の敬愛する恩師(原卓也)と、その恩師のすぐれた「同志」(江川卓、木村浩、水野忠夫、桑野隆)たちとの出会いがあっただけであり、それが学びのすべてでした。大学院に進学してからは、望月哲男、沼野充義らのずばぬけた才能たちを良きライバルとして自分なりの研究の道を地道に歩んできただけです。 したがって本書は、「非常識人」の手になる「教養人への憧れの書」とでも名づけられるべき性質の本であり、私はこれからほとんどの局面で一種の反面教師の役を演じることになるはずです。もとより、自分を「教養人」としてモデル化することなどありえません。あくまでも「教養」とは何かを考えるための「サンプル」として自分を語るだけです。ただし、教養人になりたいという「憧れ」にも似た欲求は人一倍ありましたから、きっと私の「独学」人生の成果は惜しみなく披露することができると思います。 「教養」も進化する 独学人生、──たしかにそう言えると思います。小学校から、中学校、高校、そして大学を卒業するまで、私はずっと独り言の世界、夢の世界に生きていました。授業中の先生の声に耳を傾けた記憶がないのです。面白いと思ったことも当然ありません。 小説のなかでしか生まれないような、何かしら永遠的なものへの憧れ、切なさ、それが「夢」の意味です。今は知る人も少ないでしょう。ドイツの作家テオドール・シュトルムの描き出した『みずうみ』が、私の夢の舞台でした。少女エリーザベトに憧れました。そしてその少女に永遠の別れを告げる青年ラインハルトは、私自身でした。 小学校時代から夢ばかり追いかける、そんな偏った「学び」の日々が続くなかで、一つの区切りとなった事件があります。いえ、出発点といったほうがよいかもしれません。それが、詳しくは後ほど触れるロシアの作家フョードル・ドストエフスキーの小説との出会いです。現に、私が今、人生の最大の足場としているのも、同じドストエフスキーです。 むろん、紆余曲折はありましたが、私はほぼロシア文学という狭い一本道をたどり、ドストエフスキーという小道から抜け出すことができず生きてきました。はたしてたんにそれだけの人間に、まっとうに「教養」を論じる資格があるとも思えません。にもかかわらず(恐れ多いのですが)、私にはなぜか、教養をめぐってあるはっきりとしたヴィジョンがあったのです。そしてそのヴィジョンとは、いわゆる専門教育に対する教養教育といった、型通りの、いわゆる二項対立的な考え方では、とうてい伝えられない中身をもった教養の姿です。 どんな職業であれ、人々はある意味で「専門」をもち、「専門」を生業として日々の暮らしを維持しています。それぞれの「専門」の深化に即して、「教養」も人々に寄り添い、進化を遂げていきます。 そこに哲学があるか ところで人はしばしば、教養と常識を履き違えているようです。「あの人は、学がある」というときに、その学が常識を意味することはありません。「学」には、高さ、深さ、そして広さの、いうなれば、「人格の理念」、「心の豊かさ」とそれに対する敬意のひびきが籠もります。人格の理念は、作法という行為の外形性とも深く結びついています。高さ、深さ、広さの感覚に裏づけられていない知の体系が、「常識」です。 常識は、いわば、「二二が四」の世界であり、自明のこととされるものを意味しますから、議論の対象ともなりえません。しかし、その「自明のこと」が時代によって変化していくため、しばしばそれ自体が学びの対象となるのです。かつては、「教養知」として認識されていたものが、常識と化すことがまれではありません。いや、むしろ歴史の必然といってもよいでしょう。ほとんどの常識は、かつては「教養知」として、高さ、深さ、広さの感覚をもつ「共通知」の体系として認識されていた過去を持っているのです。 では、同じテーマを話題にして、同じ内容を語ったときに、いわゆる常識人と教養人との間にはどのような開きが生じてくるのでしょうか。「精神文化を理解できる能力」(日本語大辞典)という定義の根幹にふれる問題です。端的に、常識人の知識には、知識同士を結び合う鎹(かすがい)のようなものが存在せず、知識としてばらばらに散在しているだけです。 教養知、すなわち教養人と呼ばれる人々における知は、「全人」的という表現に値する、ある有機的な結びつきのなかで披露されるものです。すなわち哲学です。教養と常識は、裏づけとなる哲学があるか、ないかによって二つに分岐する、といってもよいでしょう。哲学が、最終的には、「人格」の理念と深く呼応していることはすでに述べた通りです。 では、何をもって哲学とするのか?堂々巡りの議論に陥りそうですが、哲学とは、それこそが、ヴィジョンであり、世界観です。世界に対する見方が世界観として成立するには、どうしてもある種の「専門」性の深みから生まれる強靭さが必要です。漠然と世界を眺めているだけでは、けっしてヴィジョンは生まれません。 そこに立ち現れるのは、縦横の二次元であり、そこからは高さの感覚も、むろん深さの感覚も経験できません。ヴィジョンが生まれるには、世界を三次元(ないし四次元)としてイメージできる能力が求められるのです。 【つづきを読む】教養を学ばない人は「非エリート」?…なぜ日本では「教養教育」が形骸化してしまったのか

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