《追悼》長嶋さんは空気が変わる別格オーラを放っていた…「テニスでもホームラン?」「煽り運転にも神対応」「幻に終わった横浜の監督」…知人が語る「素顔の長嶋茂雄」

周囲の笑顔を望んでいる人でした 「みんな長嶋さんのことを愛していました。いつも面白くて、周りが笑顔になることを望んでいる人でした」 横浜・元町商店街(神奈川県)の「フクゾー洋品店」3代目店主、森本珠水さんはしみじみとそう語り、故人をしのんだ。 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が肺炎のため、6月3日に都内の病院で死去した。89歳だった。突然の訃報に、日本中が深い悲しみに包まれている。 長嶋さんは立教大学から巨人軍に入団。華麗なプレーと抜群のスター性で観客を魅了し、「ミスター」の愛称でも親しまれた。その功績が認められ、1988年には野球殿堂入りも果たした。現役引退後は監督としてチームを支え続け、数々の名選手を育て上げた名将でもあった。 しかし、2004年、アテネ五輪の日本代表監督を務めていた最中に脳梗塞を発症。以来、右半身に運動機能障害が残り、懸命なリハビリ生活を続けていた。 とはいえ、人気は衰えることなく野球界での功績はもちろん、その明るくユーモラスなキャラクターで、多くの人々の心を掴んだ。その笑顔と存在は、まさに「国民的スター」の名にふさわしいものだった。 冒頭の森本さんは、そんな「国民的スター」の素顔を知る一人。長嶋さん一家とは家族ぐるみで親交を深めてきた。 森本さんの父、フクゾー洋品店2代目店主の一光さん(故人)は大学の後輩を通じて長嶋さんと知り合い、プライベートを共に過ごす友人になった。ゴルフに行ったり、お互いの家族を集めて旅行に出かけることもあったという。いつもワイワイと過ごす、気の置けない存在だったのだ。 ほかの宿泊客と一緒に食堂で食事 「長嶋さんが巨人の現役を引退し、監督も辞めたころです。長嶋さん一家とうちともうひと家族で夏休みの旅行に行っていました。子どもたちはプールで遊び、大人はゴルフ」(前出の森本さん、以下「」も) それはどこにでもあるような普通の合同家族旅行だった。 当時、すでに国民的なスターだった長嶋さん。しかし、気取ることも偉ぶることもなく、旅行先でもごく自然体で過ごしていた。 「著名人だからと言って『個室にしてくれ』なんてことを言ったことはありません。ほかの宿泊客と同じ食堂で、普通に食事をしていました」 その姿にむしろ、ほかの宿泊客が驚いていたようだ。「長嶋さん!」と声をかけられると握手や写真撮影などにも気さくに応じていた。 森本さんは、家族旅行中の長嶋さんらしいエピソードを振り返る。 「みんなでテニスをしていた時のことです。長嶋さんがボールを打とうとしていたのにボールが見つからない。長嶋さんは探していました」 するとボールはラケットのスロート部分にすっぽりと収まっていたという。その状態のまま何度も何度もラケットを振っていたというのだ。みんなは大笑い。 「なにより“ホームラン”も多かった(笑)」 まだ幼かった森本さんは長嶋さんに「これは野球じゃなくてテニスです!」と伝えたこともあったという。 お茶目でユーモラスな一面はプライベートでも健在だった。 そしてなにより、どれだけ疲れていようとも、体調が悪くとも森本さん家族らの前ではいつも笑顔を絶やさず、暖かく迎えてくれたという。 不思議なオーラをまとっている 「長嶋さんのお宅で子どもたちでいろいろやらかしたり、ふざけていたときも怒ったところは見たことがありません。 あるゴルフ場に向かうときのことです。細い道で正面から強引に進んでくる車がありました。ドライバーは『どけどけ!』と言って煽ってきたんです。運転していた長嶋さんは車を停めると、その車の前に立ったんです」 するとドライバーは自分が煽っていたのが「国民的スターの長嶋茂雄」だと気付き、慌てて謝罪をして道を譲ったという。 声を荒げることもなく、それはまさに圧倒的な存在感を示した瞬間だった。 まさに「神対応」。そんな長嶋さんについて、幼い日の森本さんは不思議な印象を抱いていた。 「長嶋さんが来ると、場の空気が変わるんです。まるで風が吹いたように、暖かい日差しが差し込んできた、というのでしょうか。それ以上に誰もがその存在に引き込まれていくというような、そんな不思議なオーラをまとっていました」 多くの人を魅了し続けた長嶋さん。一光さんたちは「ある提案」をしたことも。 「監督を退任した後、大洋ホエールズ(当時)の監督になって『横浜に来てほしい』と願っていたんです。そこで新聞の一面に『横浜はミスターを待っています』との文言と長嶋さんの大きな写真とともに掲載し、監督就任へのラブコールを送っていました。でも『ミスタージャイアンツ』ですからね。叶うことはありませんでした」 当時を知る一部の関係者によると「契約寸前まで話が進んだ」という話もあったというが、実現することはなかった。 長嶋茂雄の大洋ホエールズ、後の横浜ベイスターズ監督になるという道は幻に終わったのだ。 それでも横浜の人々も長嶋さんのことが大好きだった。 地域との交流を積極的に行い、イベントのゲストにも無償で駆け付けた。親しみやすく明るい人柄は誰からも愛された。 続く『《追悼》がっしりとした力強い握手…驚異的な回復をみせた長嶋茂雄が生涯大切にした「感謝」「努力」「向き合い方」』では長嶋さんの人柄についてさらに触れていく。 【続けて読む】《追悼》がっしりとした力強い握手…驚異的な回復をみせた長嶋茂雄が生涯大切にした「感謝」「努力」「向き合い方」

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