「新潟水俣病」公式確認から60年が経ちました。 深刻な症状だけでなく、差別や偏見を生んできました。地域でタブー視され、言い出せなかった被害者たち。 しかし、60年の節目を前に素顔を明かす人も出始めました。長引く問題の早期解決を望む強い決意の表れです。 ◆思い出を汚された人たち 阿賀野川は幼少期を過ごした思い出の場所です。 【美代さん】 「あの辺まで泳いでいったんでしょ」 【幸二さん】 「今思うとよくあんな向こうまで行ったよな」 福地幸二さん、美代さん夫妻。共に新潟水俣病第5次訴訟の原告です。 【幸二さん】 「セミが鳴っているような耳鳴りが止まらない」 【美代さん】 「でもそういうのって人に言えないじゃないですかいうとあの人は変な病気持っているんじゃないかとか。結婚とかに響いてくるから。黙ってましたけどね」 ◆新潟水俣病とは 新潟水俣病は高度経済成長の時代に生まれた公害で1965年に公式確認されました。手足のしびれや耳鳴りなどいまも症状に苦しむ人たちがいます。 ◆旧昭和電工・鹿瀬工場 原因は阿賀町にあった旧昭和電工の鹿瀬工場です。 メチル水銀を含む工場排水を垂れ流し、汚染された川魚を食べた阿賀野川沿いの住民に被害が広がりました。 ◆いまだに苦しんでいる 【筆談】 「なんで阿賀野川を汚したんだ」 「そのおかげで私たちはいまだに苦しんでいる」 ことし5月、筆談で取材に応じた古山知恵子さんの文字です。 ◆思うようなことが出来ない生活 古山さんは胎盤を通してメチル水銀の影響を受け生まれた時から症状に苦しむ「胎児性」の水俣病患者です。 お菓子作りやオルガンの演奏、ひとり暮らし。 やりたいことを思うようにできない生活を続けてきました。 ◆水俣病を知ってもらいたい 症状による言語障害で話すことはできませんが伝えたい思いがあります。 【肉筆】 「当たり前な人生を送りたかった」 葛藤はありましたが、60年を機に姿を見せて訴えました。 「水俣病という病気があることを知ってもらいたい忘れないでほしい」 ◆差別や偏見も 福地幸二さんも実名を公表するまで迷いはありました。 水俣病は「補償金目当て」といった差別や偏見も生んできたからです。 【福地幸二さん】 「(会社員時代)お昼休みとか同僚と喋ってると、あそこのなんとかさん水俣かかったんだってさって」「水俣即、お金っていうね」 ◆実名での決意 しかし去年、実名を明かそうと決めました。 【福地幸二さん】 「76歳になったらやっぱり悪いことしてるわけじゃないのでどんどん発表して訴えていこうと思って」 ◆新潟地裁の判決は 福地さん夫妻は、新潟地裁の判決により、幸二さんが水俣病であると認められた一方、美代さんは認められませんでした。 【美代さん】 「なんで?ってだって(川魚を)食べた時期は同じぐらいでしょ同じような生活しててねなんでって」 ■「早く解決してほしい」 悔しさと解決を願う気持ちから、美代さんも素顔を明かしました。 【福地美代さん】 「早く解決してほしいしね。だってどんどん死んでいくでしょこれからまた何年分からないもん1年先、2年先は」 ■第5次提訴へ高齢化が進む原告団 新潟水俣病は2013年に第5次訴訟が起こされ、原告団は昭和電工と国に損害賠償などを求めています。 提訴から10年以上が経った去年4月、新潟地裁で判決が出されましたが、被害を訴える原告と、被告の企業双方が控訴。審理は高裁へと移り、いまも続いています。 原告団の高齢化は進み、平均年齢は77歳を超えました。 ■原告団長はすでに82歳… 【原告団団長・皆川栄一さん】 「80と2つ。ははは。80と2つんなるわ」 7月で82歳を迎える原告団長の皆川栄一さん。笑顔の裏にやりきれなさを抱えます。 ■裁判を下りる人も 【皆川栄一さん】 「(原告が)もう35人亡くなっている。そのほかにも原告もね(判決が)待ちきれないで裁判そのものも下りたって人もかなりいるわけですよ。そういう人たちの気持ちを考えていると、ここまで長引かせるってことはね……私一人の力ではどうにもならないことはわかっていますけれど、ちょっとやはり申し訳ない、亡くなった人たちには本当に申し訳ない」 ■食生活の中心が阿賀野川の魚だった団長 皆川さんは船頭をしていた父親に育てられ、食生活の中心は阿賀野川の魚でした。 ■原告団が健康なうちに解決の道筋を 父親は1965年、水俣病が公式確認されるおよそ2か月前に船から転落して命を落としました。 皆川さんは「水俣病が原因だった」と訴えていますが、それを証明できないことに悔しさを感じています。 【皆川栄一さん】 「今戦っている人たちがね少しでも健康なうちに解決の道筋だけつけたいなと思っています」 「心からの叫びというかそんな気持ちですよ」 ■裁判とは別の認定審査会とは? 水俣病の被害を訴える人は裁判とは別に行政による認定審査会があり、ここで患者と認定されれば医療費や慰謝料を受け取ることができます。 ■認定者数が留まっている現状 ことし5月、4年3か月ぶりに新たに1人が認定されましたが、令和に入ってからはまだ2人目。これまで棄却は1649件に上り、認定者は717件に留まっています。 【原告弁護団・事務局長・味岡申宰弁護士】 「毎月毎月亡くなったという連絡が原告の中でも来るわけで 本当に一刻の猶予も許さないんですよ」 「もちろん僕は政治解決でもって 一刻も早く解決しなければならないと思っています」 「裁判はひとつの手段ですから」 ■認めてほしい… 「水俣病と認めてほしい」。 世代を超えた思いです。 ■認めてもらえない家族たち 【原告団・女性】 「おばあちゃんが作った野菜を漁師さんにやって物々交換そんな感じで暮らしていた」 阿賀野川の魚を食べて育った原告の女性です。 体のしびれなどに悩まされてきましたが、行政の審査会で認定は得られていません。 【原告団・女性】 「うちの母がもう本当にもう食べさせちゃいけないものを食べさせてなっちゃったから、 もう自分の責任だから絶対認定してもらいたい」 「だから母はもうそういう負い目がすごいって言ってる」 ■もう60年、早期の決着を… 5月31日に開かれた式典には浅尾環境大臣が出席し患者会などが解決への思いを直接訴えました。 「患者はまだ出ている。新潟水俣病は終わっていない」 古山さんの肉筆 「はやくけっちゃくつけてほしい」 決着はいつになるのか。新潟水俣病は公式確認から60年が経ちました。 (2025年5月30日放送「夕方ワイド新潟一番」ニュースより)