2015年に群像新人文学賞を受賞したデビュー作の『十七八より』から最新作の『二十四五』まで、精力的に作品を発表し続け、読者を魅了してやまない作家・乗代雄介。デビュー10周年を記念して、『群像』2025年6月号より、あわいゆきさんによる全単行本解題をお届けします。 乗代雄介・全単行本解題 『十七八より』 大人になった阿佐美景子が、最期に「遺言」を交わして亡くなった叔母・ゆき江との関係性を記述するために高校生時代の記憶を振り返っていく。ただし、綴られていく記憶の中身はあくまでも「出来事」ではなく「瞬間」だ——よりわかりやすく記そう。 この作品では当時起きた「出来事」の事実関係をなぞろうとしない意識を徹底し、ふだんは意識できない身体の動作に宿る一瞬一瞬を緻密な「描写」によって蘇らせようとするのだ。そのため景子は当時の自分を主人公ではなく「ある少女」として観察対象とし、ゆき江と交わした「遺言」の内容もその瞬間に抱いた感情がありきたりであったがゆえに語ろうとしない。 描写が「説明」になってしまうのを避け、書かれていく小説が明快な「物語」になってしまう可能性を丁寧に取り除いていく。だからこそ、既存の物語にはない新鮮な描写から、言葉にならないニュアンスを含んだ繊細な感情が浮かび上がってくる。第58回群像新人文学賞を受賞したデビュー作。 (2015年、講談社/2022年、講談社文庫) 『本物の読書家』 中編が2作収録されている、第40回野間文芸新人賞受賞作。表題作「本物の読書家」では老人ホームに入ることになった大叔父の岡崎に連れ添う間氷が、列車のなかで田上と名乗る大阪弁の男と居合わせた際の記録が綴られる。 文学に精通し、古今東西の作家の生年月日をそらんじる田上の胡散臭さと博識ぶりには、そこまでなんでも読んでいる人間なんていないだろうと疑いを抱くかもしれない。しかしその疑いは、誰かがわたしの読んでいない本を読んでいる事実を受け容れているからこそ感じるものだ。 タイトルの「本物の読書家」は、そうした事実の受容を拒んで小説に耽溺し、小説を模倣しようとする詐欺師のような人間に他ならない。3人の「本物の読書家」然とした振る舞いと語りに翻弄され、最後は騙されたのかすらわからないまま、面白さに打ちのめされるはずだ。 併録されている「未熟な同感者」では阿佐美景子が叔母のゆき江が亡くなった後、大学のゼミに入った時期を振り返っている。本文の半分近くが大学の先生による講義内容を太字でまとめなおした、大胆な構造が特徴的だ。 論じられているのは景子にとって因縁深い(同時に乗代作品が大きな影響を受けている)サリンジャーが追い求めた、書かれた「意味」ではなく書く「行為」を通じて意思伝達ができる「完全な同感者」だ。だが、文字を書いて読む作業は必然的に、文字になんらかの意味を見出してしまう。 「未熟な同感者」でしかいられない景子たちの語りが胸に迫る。確信とともに書いたはずの言葉がすぐに正解から遠ざかっていく絶望と、「それでも書かずにはいられない」信念が最も色濃くあらわれている。 (2017年、講談社/2022年、講談社文庫) 『最高の任務』 中編を2作収録。1作目の「生き方の問題」では祥一が従姉の貴子を〈貴方〉と呼びながら、1年前に起きた出来事を書き連ねていく。本文が丸ごと1通の長い手紙となっており、読まれるかどうかを何度も気にしながら官能的な描写を執拗に続ける文面は、ともすれば自意識過剰な独りよがりの内容にも思える。 しかし読み進めるうちに、そのまどろっこしい文体こそが祥一の生き方であり、同時に貴子の生き方に寄り添おうとした書き方にもなっているとわかる。書き手と読み手で必ず異なる「生き方」をどこまで尊重して、対等な関係として手紙を綴れるのか——その試行錯誤が結果的に、手紙でありつつ「小説」としても成り立つ本文に結実するところに、小説が持ち得る可能性を感じずにはいられない。 そして大学の卒業を控えた阿佐美景子が小学生時代の日記を再読していく表題作「最高の任務」は、そのエピソード自体が大学時代を振り返る「日記」として書かれる複雑な構造になっている。 日記を書くために過去の日記を再読する——それは成長に伴い変化する自分のわからなさを最も自覚できる行為だろう。そしてわからなさを見つめれば気づきがうまれる。景子は日記を再読し、ゆき江と訪れた場所を再訪することで、ゆき江が遺したものを新たに掘り起こす。 大切なひとがいなくなっても、そばに感じることはできるのだ。ゆき江が「すてきな姪っ子」の成長を見守る「任務」を果たし、景子は日記を通じて「すてきな叔母」を映し続ける「任務」を果たすようになる、卒業と出発が眩しい。 (2020年、講談社/2022年、講談社文庫) 『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』 作者が15年以上にわたって書き継いできたブログから67編の掌編とひとつの論考を収録し、書き下ろしの中編小説も併録した豪華な1冊。デビュー前に大部分が記された論考「ワインディング・ノート」の問題提起は『十七八より』以降に受け継がれ、中編「虫麻呂雑記」の内容は『旅する練習』に発展していく。 どちらの作品も自分のものではない現実の「文章」や「風景」をどう取り込んでいくか、その過程で自己への関心を失くさずにいられるか、全体として広がっている現実世界を愛してやまないからこそ終わることのない試行錯誤——「練習」が垣間見える。 そして、その過程を虚構世界のインターネット空間に淡々と投稿し続ける姿勢に、寡黙な抵抗を試みる信念が宿っている。大量の掌編はデビュー後の作風とはまったく異なり、思わず笑ってしまう軽い小話がほとんどだ。しかしそこにも、いまなお続く言葉の試行錯誤の過程を感じ取れるだろう。 (2020年、国書刊行会) 『旅する練習』 第34回三島由紀夫賞、第37回坪田譲治文学賞の受賞作。小説家の「私」が中学入学を控える姪の亜美と二人で「鹿島アントラーズ」の本拠地を目指して旅に出る。訪れる先々で二人が行うのは「練習」だ。「私」は風景の描写を、亜美はサッカーのリフティングをそれぞれ何度も練習する。地道な練習を重ねるためにはどうすればいいか? それにはジーコや小島信夫が言葉に残した「忍耐」、非生産的な行為だとしても、その行為によって自分と世界を濃く関連づけようとする姿勢を持ちつづけることが欠かせない。しかし忍耐によって見えるようになる濃い世界を正確に記録するためには、湧き上がってくる感情をも抑制して、言葉と世界を濃く結ばなければいけない——「私」の抱える二重の忍耐が強固にあらわれた文体が少しずつほころんでいくさまが胸を打つ。 無垢でおしゃべりな亜美のすがたが立ちあらわれる濃厚な旅の記録に、「私」の忍耐を通じた祈りが込められている。 (2021年、講談社/2024年、講談社文庫) 『皆のあらばしり』 栃木市の皆川城址で大阪弁の男と知り合った歴史研究部の青年が、小津久足が書いたとされる幻の紀行文『皆のあらばしり』が実在するのかを男とともに探っていく。ミステリのようにも読めるが、決して作中で提示される「謎」の真相を暴こうとする物語ではない。 むしろその流れに抗い、いかにして真相を隠すかを描いているのが本作の肝だ。『皆のあらばしり』を探す過程で知っていくマニアックな歴史の数々からは、知識として披露するためではない「知る」営みに込められた原初の喜びを味わえる。そして真相を隠す行為に「打算」は宿り、ときにその打算は抱いていた人間の思惑を超える。明言はされないが、大阪弁の男は「本物の読書家」で田上と名乗っていた人物だろう。 相変わらずな男の博識に惹かれながらも胡散臭さを疑う青年はどう男の思惑を超えようとするのか——青年と男が水面下で繰り広げる、隠し合いの勝負も見逃せない。 (2021年、新潮社) 『掠れうる星たちの実験』 サリンジャーと柳田國男に共通する文学態度を批評する表題作ほか、30近い書評と9つの短編を収録した豪華な1冊。表題作「掠れうる星たちの実験」は「書いたもの」が書き手の真実を表し続けられない事実をもとに、実体験を簡単明瞭に語る「耳で聴いた話」を重視した柳田と、「小説」を「耳で聴いた話」に近づけようと格闘したサリンジャーの軌跡をなぞる。そして二人の問題意識を継承する唯一の作家が乗代雄介であることは言うに及ばない。 巻末の「フィリフヨンカのべっぴんさん」は、ゆき江が息を引き取った直後の阿佐美景子が語り手だ。本を貸し借りしながらも感想を秘匿し、さりげない日常会話のなかに既読の痕跡をみつける二人の交流は「耳で聴いた話」の交換そのものだろう。 一方、景子は貸していた『違国日記』1巻をゆき江の書庫で見つけ、もう会話を交わせないと知る。叔母のことが「わからない」絶望の気づきは、わからなさをひたすら見つめる「最高の任務」につながっていく。 (2021年、国書刊行会) 『パパイヤ・ママイヤ』 SNSで知り合った17歳の少女二人、パパイヤとママイヤが木更津市の海沿いに広がる小櫃川河口干潟で邂逅する瞬間からはじまるひと夏を描く。ママイヤが撮った写真の客観的な説明が何度も差し込まれ、干潟の風景を想像させるように書かれているのが特徴的だ。そして単なる風景描写に思えた説明は読んでいくにつれ、徐々に二人にとって「特別」な一瞬を切り取ったものとして浮かび上がってくるだろう。 デビュー作の『十七八より』とは対照的に「特別」になったものをあえて言葉で説明し、コレクションすることで、異なる家庭環境で思い悩む(大人から見れば「ありきたりな悩み」だと切り捨てられてしまいそうな)二人の交流を「特別」な「物語」に—青春に仕立て上げているのだ。 他人からみればありふれた物語に過ぎずとも、そこには他の誰にも味わえない「奇跡」が詰まっているのかもしれない。それを証明するアルバムとして成立している1冊だ。 (2022年、小学館/2024年、小学館文庫) 『それは誠』 第40回織田作之助賞、第74回芸術選奨文部科学大臣賞の受賞作。修学旅行で男女7人の班に組み込まれた高校2年生の佐田誠が、修学旅行の自由時間を使って日野で暮らす叔父に会いにいった思い出を書いていく。 佐田が敬意を表するのは、教師の目を搔い潜って叔父に会いにいく計画に協力してくれた班員たちだ。そして佐田は7人の目まぐるしい「会話」を後から時間をかけて文字にすることで、当時一瞬で過ぎていった他愛ないおしゃべりのひとつひとつに思いを馳せる。その手つきには、修学旅行の交流が次第に叔父にも隠していたいほど大切な思い出になっていった——「会話」の記述を通じて班員ひとりひとりをいまからでも個別に留めようとする意志が見え隠れする。 そして佐田が班員を思い出しながらひとりで書いていく小説は、時間と空間を隔てて行われる「会話」に他ならない。開かれたおしゃべりと孤独な小説の「会話」が自覚的に描かれることで、修学旅行の賑やかな思い出はかけがえのない青春として、いっそう脳裏に刻まれる。 (2023年、文藝春秋) 『二十四五』 弟の結婚式に参列するため仙台を訪れた阿佐美景子は、『違国日記』最終巻を読んでいたところを大学生の平原夏葵に話しかけられた。式の予定の合間を縫ってゆき江と回ろうとしていた場所を訪れる景子だったが、滞在最終日に夏葵と行動をともにする。 「最高の任務」でゆき江の愛を受け取り、小説家としてデビューを果たした景子がいま直面しているのは、ゆき江から受け取った愛を感謝として返せずに「書くこと」で後悔を慰めるしかない、一方通行かつ不変な関係性だ。しかし夏葵との関係が変化していくなかで、夏葵の言葉をうけた景子は、亡くなってしまったゆき江の変わらなさに囚われるのではなく、亡くなったことによる「変化」自体にも目を向けるようになる。 そして、ゆき江のいない世界を捉えることで「叔母と姪」のまま不変だと思っていた関係性にも変化の兆しが見える。ミクロな身体の動作からマクロな世界の動作へ——『十七八より』からはじまった景子が向けるまなざしの変化は、「練習」を経た乗代雄介の作風の変化にも重ねられるだろう。 (2025年、講談社) 「第172回芥川賞候補作!乗代雄介『二十四五』特別試し読み」では、最新作『二十四五』の冒頭部分を試し読みいただけます。ぜひつづけてお読みください! 【つづけて読む】第172回芥川賞候補作!乗代雄介『二十四五』特別試し読み
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【柏崎刈羽原発】長岡市で住民説明会「家畜やペット・イネや果樹は」参加者から避難についての質問も【新潟】
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