昨今、急加速する日本のものづくりの衰退は、ひとえに大手メーカーによる「30年前の技術へのおごり」、そして「現場のブルーカラーを大事にしてこなかったツケ」——。 前回は、日本を代表する自動車メーカー「日産」の工場閉鎖の報道をもとに、大手メーカーの不振が下請け工場にどのような影響を与えるのか、筆者が経営していた工場を例に紹介した。2000年代に起きた派遣法の改正や、大手企業による海外移転は、自動車製造に携わる88万人に影響を及ぼし、独自の技術を有していた多くの町工場を廃業に追い込んだ。しかし、大手が日本のものづくりを衰退させた要因は、「海外移転」だけではない。 今回は、大手が町工場を衰退させる、もう1つの原因を、やはり実体験をもとに紹介する。 小さな町工場がウケるダメージは…(写真はイメージ) 【写真】職人の引き抜きだけじゃない……中小零細企業を取り巻く環境とは 日本のものづくりの特徴 日本のものづくりは、「1」を「10」にしたり、逆に「10」を「1」にしたり、さらには「1」をそっくりそのまま「1」として作り上げたりするなど、「既存のモノを利用して新たな価値を生み出す技術」に長けている。 例えば、リモコンのボタンを増やしたり、または減らしたり、食品サンプルのように本物そっくりに作り上げる技術力は非常に高い。 しかし、現在の世界の市場で求められているのは「0から1をつくる力」だ。リモコンのボタンを1つ増やす程度の技術では、もはや「モノづくり大国・日本」と胸を張れなくなっている。 とはいえ、文明を開化させてきた多くの製品や技術はほぼ出尽くし、人間に変わってAIが台頭し始めている昨今、0から何かをつくりだすことは非常に難しくなっている。 こと日本人は、この「ゼロイチ」に対して、学校教育の過程から土台が全くできていない。一律で同じ格好をさせ、出た杭を打ち、個性を消すような教育では、「上の言う通りに動いてくれる人」は育っても「自由な発想ができる人」は育たないのだ。 一方、こうした社会の「同調圧力」や「失敗許すまじ」という風潮から比較的距離を置けるのが、中小零細の町工場だ。もちろん最低限のルールはあるが、ブルーカラーの中小零細企業は人の少なさと、それに比例して人と人の距離が近いがゆえ、無理して統率を図る必要がなく、現場の自由度が高いところが多い。 さらに、資金や人材力は少ないけれど、逆に現場の「様々な工夫」から新たな技法が生まれることも多く、中小零細という存在は、ものづくりにおける新たな技術創出の場であるといえるのだ。 筆者が経営していた父の工場は最盛期でも35人しか職人がいなかったものの、日本でも有数の特殊な技術を有する工場だった。バックグラウンドが豊かな職人たちは皆、手先が器用で、難しい仕事でも新たな技法を生み出しながら黙々と仕事をこなせる人たちでもあった。 前回でも紹介した通り、現場で一人前の職人になるのには非常に長い時間とコストを要する。無論、派遣社員などはいない。金型の研磨業を営んでいた筆者の工場では、ダイヤモンドペーストやペーパー、砥石などで金型をミクロン単位で磨き上げる必要があり、10年経ってようやく仕事を任せられるようになる。 こうして一人前になった職人は、言わずもがなその企業の「力」であり、「価値」そのものだ。 社長である父は、そんな彼らを大事にし、昼休みは5分で弁当を平らげると社長室を飛び出しては休憩室で彼らと麻雀に興じたり、仕事が落ち着く時期には、地元から出ようとしない彼らを海外へ社員旅行に連れ出し、労ったりもしていた。 こうして築き上げた父と職人との信頼関係は厚く、もはや家族同然の仲。が、父は常にそんな職人たちに忍び寄る「魔の手」を警戒していた。 その手の主は、取引先である大手企業だ。 引き抜かれていく職人たち 父の工場には、大手や取引先の経営者らの訪問がやたらと多かった。 普段はスーツを着て仕事をしているであろう5、6人の幹部たちが、毎度シワもシミもない、折りたたみの跡がくっきり残ったクリーニング済みの作業服を着てやってくる。 工場の一角に置かれてあるプラスチックの丸いテーブルとイスに腰かけ、構内視察の前に打ち合わせをする。それが終わり、一斉に立ち上がると、彼らは自分たちのお尻をパンパンと払いのけながらこう笑い合うのだ。 「あああ、お尻(ススで)汚れちゃったよ」 汚れてナンボの作業服。会社を廃業して10年以上が経った今でも、その時の光景は脳裏から離れないでいる。 こうして彼らが大所帯でやってくるたび、筆者や両親は非常に緊張した。それは「取引先の幹部が来るから」ではない。現場の職人がどんな工具を使い、どんな作業をしているのかを目で盗まれるからだ。 そのため、彼らがやって来る日は朝から構内の工具をできるだけ人目に付かないところにしまい込み、職人にも彼らの来社中は、特殊な技術を使った作業はしないよう声を掛けるのだ。 だが、彼らの行動のなかでどうしても避けられないことがあった。「職人たちとの接触」である。 職人たちは普段、構外の人間と接触することが全くといっていいほどない。自分が受け持つ金型のメーカー名は共有していても、その担当者とは直接話をすることもない。しかし、そのメーカーから人が来てしまえば話は別だ。来社した取引先の担当者のなかには、職人に連絡先を聞き出そうとする人もいた。その目的は、「引き抜き」だ。 職人からすれば、日本を代表するような名のある企業やその関連会社から声がかかれば、嬉しくないわけがない。大手には安定も体力もある。どれだけ父が彼らと家族のように接していても、大手来社からしばらくした後、退職届を出しに来る職人は出てきてしまうのだ。 「競業避止義務」と「職業選択の自由」 こうした取引先への転職を阻止するために、入社時には必ず「同業他社への転職の禁止」に対する誓約書にサインしてもらうようにしていた。いわゆる「競業避止義務」だ。工場で得た独自の技術を利用し、半径数十キロ以内で転職したり独立したりすることを数年間制限する内容だった。 しかし、労働者には「職業選択の自由」が憲法で保障されている。つまり、労働者は原則どこに就職してもいいのだ。それに、大手とトラブルを抱えてしまえば、今後の取り引きが停止される恐れもある。下請けという立場上、大切に育ててきた職人をこうして「引き抜き」という形で奪っていく大手には泣き寝入りするしか術がなかった。 大手から声がかかった職人たちにとっても、提示された給料や福利厚生、そしてなにより大手ならではの「安定」は輝いて見えたに違いない。 それでも父が「ほんのわずかでも抑止になれば」と誓約書へのサインを求めるようになったのには、ある苦い経験があったからだ。 バブルがはじける直前、軌道に乗った工場の規模を大きくしようとしていた頃だった。ある日突然、当時の工場長がベテラン職人のほとんどを連れ出し、よりによって隣町で同業の工場を始めたのだ。 現場からは多くの工具が持ち出され、工場には父と見習いの若手数人、そして大量の金型だけが残された。まだ小さかった筆者には、当時の混乱ぶりを直接うかがい知ることはできなかったが、しばらく両親が家に帰らず、祖母が面倒をみてくれていた時期があったのは今でも覚えている。 一方、こうした他社からの引き抜きや独立に、ただ手をこまねいているわけではない。 父の工場では、職人に1から10までの技術を教えないようにしていた。いわゆる「分業制」だ。職人1人に対し1から4まで、別の職人には3から7までなど、役割を細分化させ、全ての工程を教えることを避けた。さらに、見積もりや最終工程は父しかできないようにし、先述の“事件”のように職人が一緒に辞めて行っても全行程が完結できない仕組みを作り上げたのだ。 父は例の事件が相当、悔しかったのだろう。どこで工具が買えるのか、それすら職人には分からないようにする徹底ぶりだった。 戻ってきた職人たち 大手に引き抜かれ離れていった職人の中には、数か月後、父の工場に戻ってこようとする職人が少なからずいた。最も多い理由は、「大手企業のガチガチな規則」が合わないからだった。 毛色の違う同僚との定例ミーティングや、先輩や上司との上下関係、そして、厳しく管理された納期やコンプライアンス。そうした窮屈な生活に耐えられなくなったんだという。 ブルーカラーを取材していると「売り手市場の今なら、そんな小さな会社にとどまっていないで大手に行けばいいじゃないか」という声を聞くことがあるが、ブルーカラーのなかでは敢えて小規模企業にとどまり「自由」を優先する労働者が少なくないのだ。 父は、自ら去って行った職人を再び受け入れるようなことは絶対にしなかった。どれだけ現場が忙しくても、当人がどれだけ高い技術がある職人だったとしても、やさしく「“オマエの会社”に戻れ」と諭すことが、小さな町工場が持てる最大の矜持だった。 小さな町工場にとって、大手は重要な取引先である一方、無情に切り捨てたり、時にはこうして会社の存続を脅かしたりする存在になることがある。なかには職人を引き抜いたことをひた隠しにする企業もあったが、狭い業界だ。他社から「おたくの職人さん、大手さんに転職したんだね。先日工場で見かけたよ」という話は1週間もすれば入ってきた。 収穫間際の農作物が盗まれる事件や、大きなショッピングモールができた地方で増える駅前のシャッター街の様子が報じられると、今でも自然と当時のことを思い出す。 無論、町工場側も自社の魅力を引き上げる努力をする必要はあるが、10年の投資をネームバリューと安定でかっさらっていく取引先には、やはり悶々とした感情がぬぐえないのだ。 橋本愛喜(はしもと・あいき) フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許を取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働問題、災害対策、文化差異、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆中。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路 現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます』(KADOKAWA) デイリー新潮編集部