12日にインドで旅客機が墜落した事故。乗客乗員242人のうち唯一の生存者となった男性が「もう死ぬと思った」と緊迫の状況を証言しました。 【写真を見る】「パニックになって走った」残された機体の一部と食べかけの料理 265人死亡 学生寮「パニック」に インド旅客機墜落 12⽇、エア‧インディアの旅客機がインド‧アーメダバードの市街地に墜落した事故。インド⻄部の病院前には悲しみにくれる多くの⼈の姿がありました。 記者 「墜落事故から1⽇が経った現場です。今もなお、地元メディアや国際メディア、捜査関係者が現場に集まっています。墜落した場所は医科⼤学の宿舎です」 屋上には機体の⼀部が残り、宿舎内には⾷べかけの料理がそのままになっています。当時、⾶⾏機が激突した宿舎にいた学生は… 宿舎にいた学⽣ 「部屋で昼⾷を取っていたら爆発が起きました。パニックになって⾛り出しましたが、階段を下りたら煙が充満していました。私は幸運にも逃げ出せましたが、多くの⼈がそうではありませんでした」 空港の防犯カメラは離陸する旅客機を捉えていました。 機体は徐々に⾼度を上げていきます。本来ならこのまま上空へ向かっていくはずですが ⼀転、ゆっくりと降下。 離陸から30秒後、炎と黒い煙が上がりました。 この事故で乗客‧乗員あわせて241⼈が死亡。またロイター通信は学⽣寮にいた24⼈が死亡したと⾒られると伝えています。 唯一の生存者 どう脱出? ⼤惨事となった航空機事故。そんな中、唯⼀の⽣存者となったのがイギリス国籍のビシュワシュ‧ラメシュさん(39)です。 ビシュワシュ‧ラメシュさん(地元メディアに対し) 「最初は⾃分も『もう死ぬんだ』と思いました」 イギリスから弟のエイジェイさんと休暇でインドを訪れていたラメシュさん。ラメシュさんは事故当時、エコノミー席の最前列で⾮常⼝のすぐそばに座っていたといいます。 ビシュワシュ‧ラメシュさん(地元メディアに対し) 「私がいた側は機体が地⾯に接していました。隙間が⾒え、ドアが壊れていたので、脱出できました。反対側は建物の壁にふさがれていて、誰も出られなかったと思います」 弟のエイジェイさんが乗っていたのは、脱出が困難だったという反対側の席。今もエイジェイさんの安否はわかっていません。 記者 「事故の⼀報を受けて、ラメシュさんのイギリスの実家には⾮常に多くの親戚が集まっています」 ビシュワシュさんとエイジェイさんの弟、ナヤン‧ラメシュさんが私たちの取材に応じました。 ナヤン‧ラメシュさん 「⾶⾏機が墜落したあと兄(ラメシュさん)から⽗に電話がありました。『どうやって⽣き残ったのか、どうやって⾶⾏機から出たのか分からない』と。本当にショックです」 また安否不明のエイジェイさんについては… ナヤン‧ラメシュさん 「エイジェイは『明⽇会おう』と⾔いました。それが最後の⾔葉です」 事故があった機体は2011年の就航以来、死亡事故がなかったボーイング787型機です。当該の機体は事故の2日前、インドのニューデリーと⽇本を往復していました。 現場では、機体の残骸から「デジタルビデオレコーダー」や「ブラックボックス」が回収されていて、当局が事故原因の究明を急いでいます。 学生ら20人以上死亡 墜落現場は ブラックボックス回収 城島 未来記者: 旅客機が墜落した医科大学の宿舎の現場には、確認できるだけでも100人以上の捜査員が集められていて、今も懸命な捜査が続いています。 旅客機の乗客だけではなく、この場所で生活していた学生など20人以上が巻き込まれて死亡し、約50人がけがをしたと報じられています。 事故発生時、宿舎にいた学生は「自分の部屋で昼食をとっていたところ、大きな音と激しい揺れを感じ、最初は爆発が起きたと思った」といいます。 自分の部屋から走って階段を下りたら、2階が一面に煙で充満していたので、そこから飛び降りて生き延びることができたということです。 インドメディア「NDTV」は地元当局者の話として、「旅客機が直撃した建物の屋上付近で13日、飛行データや音声データが記録されたブラックボックスが回収された」と報じました。 インドの航空当局などは、事故原因の解明に向けた調査を本格化させる方針だということです。