数年前にシンガポールに移住し、11歳の女の子と8歳と1歳の男の子、夫の中田敦彦さんと暮らしている福田萌さん。 タレントとしての仕事をしながら、母親同士がつながるサロンを提案したり、防災士の資格をとったり……一人の母として、女性として、妻として、仕事人として、感じたことを福田さん自身の言葉で綴ってきたこの連載が書籍化され『「中田敦彦の妻」になってわかった、自分らしい生き方』として刊行。「妻に合わせる気が全くない“ジェット機型走者”」の夫・中田敦彦さんとの激動の人生、ジェットコースターのような毎日がまとめられている一冊だ。 今回は、シンガポールで暮らす福田さんが感じた身近だけど限りある資源について。日本では当たり前のように使っている「水」も、シンガポールではその大切さを実感する場面がたくさんあるという。生活の中で、「自分にできることは何だろう?」と福田さんが考えたことをお伝えします。 シンガポールの湿気からひらめいたノーベル賞級の発明!? 新しく引っ越したシンガポールの家で、何より悩まされているのが湿度だ。先日、夫が茶道の練習用に床に敷いて使っていた畳一畳が全面カビてしまうという事件が起こった。ショックだった。このままでは大切な革製品や服も待ったなしの状況。慌てて強力な除湿機を4台も買った。 1日に4台分の溜まった水を朝と夜に2回も捨てる日々。冬に日本に帰ったときはこのくらいの水をせっせと加湿器に溜めていたのに、なんだかなあという気持ちだった。待てよ。見た目はクリアで一見綺麗そうな水。これを濾過して飲めたらいいのに。え? それってもしかしてノーベル賞級の発明じゃない? シンガポールは、地形的に水を貯めることができないので、昔から水問題は国の課題だ。調べてみると、隣のマレーシアのジョホール州から水を輸入しているらしい。ただし、水は時に政治的な交渉材料にもなり得る。そうなると、シンガポールはマレーシアに対して一定の依存関係にあるとも言える。自国で水を確保するために、貯水場をいろんなところに作ったり、海水を真水にする研究が進められたりしている。 中でも注目すべきは「NEWater」なるもので、一度下水に流れた水を綺麗に濾過してもう一度飲み水にする仕組みだ。もうすでに実用化されていて、普通に蛇口から流れてきているらしい。最初は少し抵抗があったけど、今では家族みんな気にせずに水を飲み、私もその水で料理をしたり麦茶を作ったりしている。 そこで除湿機だ。湿度はたっぷりとあるシンガポールで、大気中の水を除湿機で除湿して飲めたら、それってNEWaterより良くない?と。最近の壁打ち相手、Chat GPTに向けて私の考えを聞いてみた。 「除湿機の水の再利用について、萌さんの着眼点、すごく面白いです!」と褒められた上で、「実はそれ、すでに実用化が進んでいる分野なんです」 ガーン。私のノーベル賞……。 自分でもさらに調べてみるとそれはAWG(Atmospheric water generation :大気水生成装置)と呼ばれているそう。けれどまだ実用化には至っていないのには理由があって、AWGの一番の課題は電力消費の大きさなのだそうだ。確かにうちの除湿機も我が家の電気をモリモリ食べている。一体いくらかかるんだろう、来月の電気代…。 生活に身近なシンガポールの水問題 私がシンガポールの水問題に関心を持つようになったのは、ふとした体験が重なったことがきっかけだった。 移住してすぐに住んだ家は川のすぐ近くにあり、川沿いは愛犬チョビのお散歩コースだった。ここには飲食店が連なりみんなの憩いの場になっている。私が初めてその川を見た時、川がコーヒー牛乳色に濁っているのが気になった。夫婦で理由を調べたら、そこは川の地形を利用した貯水池として普段は水を堰き止めているということを知った。流れないから色が濁っているのかと衝撃を受けた。 また、家族でブキティマ・ヒルというシンガポールで一番高い山にハイキングに出かけた。その山は標高163m。なんと高さ191mのマリーナベイサンズのビルよりも低いのだそうだ。山が低いからシンガポールは水が貯まりづらい、という話を聞いて、自然の水源を確保するには「貯水機能」がある高い山が必要だということを初めて知った。 さらにある日は子どもたちとマリーナ・バラージという大きな芝生公園に凧揚げに出かけた。海に面したその公園で、海風にさらされた凧はぐんぐん上がり、最高に気持ちの良い夕方を過ごした。その芝生公園から階段を降りると巨大な設備があった。なんとマリーナ・バラージは、海水と淡水を仕切り、都市の水位を調整する重要な水管理施設だったのだ。遊び場のすぐ下に、国の生命線のような機能が隠れていたことに、私は驚いた。 さらにこれはシンガポールではないけれど、2022年にサッカーワールドカップの試合を見に家族で訪れたカタールは砂漠の街だった。砂漠なので水は手に入りにくいはずなのに、ところどころに噴水がある施設が気になった。実は、水は手に入りにくいからこそ高級品で、それをふんだんに使える施設=富の象徴となっているようなのだ。 暮らしのなかで私たちができること 蛇口をひねれば簡単に出てくる水も、当たり前ではなく、それを支える仕組みは目に見えにくい。そして国によってこんなにも水への感覚が違うのか、と驚く。 日本に帰るたびに、特に私の地元の岩手に帰るたびに、高い山に囲まれた地形と川のせせらぎに心から癒され、感謝の気持ちが生まれてくる。水の豊富な国、日本よ、ありがとう、と。でもその感謝の気持ちは一時帰国中の最初の方だけで、すぐにその状態に慣れてしまう自分がとても残念だ。 水も食料も「当たり前」ではないことを実感するニュースが最近多い気がする。シンガポールにはシンガポールの、日本には日本のサバイバルがある。今のところは清潔な水に恵まれている日本だが、それは永遠なのだろうか。大雨、干ばつ、洪水、インフラの老朽化……。「あって当たり前」の感覚を揺るがすきっかけはいくらでもありそうだ。 じゃあ私たちには何ができるんだろう? 私は母として、生活者として、完璧じゃなくてもいいから、知ること、考えることをやめないことではないか、と思う。私が、川が濁っていることや、家族で登山や凧揚げをしてシンガポールの水問題を知り、考えるようになったように、生活の中のいろんなヒントを見落とさず、一人一人が考えること。 我が家の畳一畳は失われてしまったが、代わりに“考えるきっかけ”をひとつもらった。ラッキー、と思うことにした。 3児の母・福田萌が、母として女性として「全部追い求める」ことを難しいと感じる理由