いま、世界中で蔓延して実際に政治や社会に影響を与え始めている「陰謀論」。 いったい、陰謀論はどこで生まれるのでしょうか? そして、なぜ信じてしまうのでしょうか? 6月19日発売の『となりの陰謀論』(講談社現代新書)著者である慶應義塾大学教授の烏谷昌幸さんが、現代世界を蝕む病の正体を解き明かします。 (※本記事は、烏谷昌幸『となりの陰謀論』の一部を抜粋・編集しています) 陰謀論の道具性/自己充足性 陰謀論の多様性について考える上で、もう一点別の軸を設けて考える必要があります。それは陰謀論の道具性に関わるものです。これは、コミュニケーション研究などで用いられてきた考え方を参考にしています。 コミュニケーションには、政治宣伝や商品の広告のように他者に影響を及ぼすことを目的としたものと、友人や家族との会話のようにコミュニケーションそれ自体に喜びや満足を求めるタイプのものがあります。前者を道具的なコミュニケーション、後者を自己充足的なコミュニケーションと呼びます。 本書の「はじめに」で述べたように、ある種の陰謀論的思考は、市井の人間として真面目に生きていくための規範意識と結びついているような時には、むしろ公共の秩序を支える役割を果たしてきたと評価できるものです。「偉い人間なんてみんな悪党ばっかりだ」と思っていても、「でも自分は真っ当に生きてきたんだ」という自負心とそれが繫がるのであれば、むしろ市井の人々を支える力にもなり得るのです。 しかし今日における問題は、こうした伝統的な陰謀論的思考がインターネットの中で肥大化し、あふれ出し、様々な場面でビジネスや政治の道具として利用され始めたことです。陰謀論の道具性について考えてみる必要があるのです。他方で、陰謀論をただ物語として純粋に消費する場合もあります。このような陰謀論の自己充足性がどのような領域においてみられるのかというのも興味深い問題です。 以下では、先ほどの「陰謀論のスペクトラム」の考え方にこの道具性、自己充足性の軸をかけ合わせて陰謀論の大雑把な分類をしておきたいと思います。 ここでは陰謀論の内実の多様性を示すことが主目的なので、あまり複雑にならないよう、いくつかの典型的なケースのみ挙げておきたいと思います。なお、ウェストの議論の際には「陰謀論の極端さ」の度合いという捉え方をしていましたが、筆者はこれまで「パラノイドの強度」という表現で議論してきたので言葉としてはこちらを使いたいと思います。臨床精神医学の用語として、被害妄想や誇大妄想を意味する「パラノイア」(paranoia)が用いられることがあります。パラノイド(paranoid)は、この被害妄想や誇大妄想の強度を示す表現です。 時代劇は「娯楽としての陰謀論」 パラノイドの強度が強く、道具的性質が強い典型的陰謀論が、ナチスのユダヤ陰謀論(図左上)です。世界で起きる戦争の背後には、常にユダヤ資本の国際的ネットワークの陰謀が隠れているというユダヤ陰謀論は、ドイツに限らず近代の西欧社会で広く流布していました。ナチスの全体主義運動はこのユダヤ陰謀論を「支配の道具」として積極的に活用しました。 支配の道具としての陰謀論の対極にあるのが、娯楽としての陰謀論です(図右下)。古今東西、古い昔話から現代のエンタメ映画に至るまで、陰謀論的想像力は物語に欠かせません。とりわけ、洋の東西を超えて古くから親しまれてきた勧善懲悪の世界観は、陰謀論的想像力の不可欠の構成要素であり、先に取り上げた世界をシンプルに把握したいという欲望を見事に叶えてくれるものでもあります。 日本の時代劇をひとつの例として取り上げてみましょう。テレビで時代劇をご覧になったことがある人ならよく分かると思いますが、勧善懲悪を原則とする時代劇の世界では、世の問題のすべてが悪代官や庄屋らの悪巧みの結果起きています。市井の善良な人たちが困っている背後には、毎回必ず「諸悪の根源」としての極悪人が存在しており、正義の味方がその隠れた邪悪な陰謀を暴き出して悪を成敗します。 複雑かつ予測困難な現実の世の中では、悪人を成敗することと社会の問題が解決することは、必ずしも一致しません。しかし時代劇の悪役は「諸悪の根源」であるがゆえに、この悪人が成敗されることですべての問題が一気に解決し、善良な人たちが皆幸福になることができます。そのため視聴者は毎回必ず安定的にカタルシスを得ることができるのです。こうした勧善懲悪の昔話は、世界各地のそれぞれの文化圏で形は違えど同じように親しまれてきたものと思われます。 昔話や時代劇そのものは人々を楽しませる娯楽にすぎず、いたって無害なものですが、「諸悪の根源」たる悪人がこの世を陰から操っており、その悪人さえ成敗すれば善良な庶民が皆救われるという世界観は多くの陰謀論に共通する考え方です。陰謀論的想像力が日常的な娯楽消費の経験を通じて培養されていることは頭の片隅に置いておく必要がありそうです。 ちなみに、図左下の「鳥は本物ではない運動」は、すべての鳥が国民の監視を目的にしたドローン鳥にすり替わっていると主張する一種の陰謀論者パロディのムーブメントです。アメリカの青年ピーター・マッキンドーが始めた運動で、彼は狂気の陰謀論者を道化のように演じてみせることで、陰謀論を簡単に信じる今の時代を風刺しようと試みています。トンデモな陰謀論が大真面目に信じられてしまうどこか歪いびつなポスト・トゥルースとも言われる今日の社会の中で、立ち止まって互いに笑い合い、リラックスした語り合いを通してデマや陰謀論を無力化していこうとする試みです。 図右上の「ゴム人間陰謀論」については本章の終盤で触れます。 なぜ「陰謀論」を信じてしまうのか…「陰謀論が支配する社会」という最悪のシナリオを回避するために「知っておくべきこと」