沖縄慰霊の日 住民1500人が犠牲に…知られざる伊江島の戦い “軍民一体化”の島では集団自決も…父の決断で奇跡的に生き抜いた証言【news23】

「沖縄戦の縮図」とも言われる伊江島。多くの住民が戦闘に巻き込まれ、「集団自決」に追い込まれるなど、深い傷跡が残っています。この島で何があったのか、当時を知る人たちの証言からたどります。 ■狙われた伊江島 1500人犠牲 沖縄本島からフェリーで30分の伊江島。周囲約22キロ、人口は約4000人です。美しい海に囲まれ、家族連れが海水浴を楽しむ姿も… しかし、この島には80年前の戦争の爪痕が残っています。村の金融機関だった「公益質屋」(昭和4年建設)。攻撃を受けながらも残った唯一の建物で、壁には大きな穴、内部もキズだらけです。 小川彩佳キャスター 「南側に大きな穴が開いているのがわかると思いますが、ここから海が見通せます。あちら側からのアメリカ軍の艦隊の砲撃を受けて、こうした大きな被害を受けたということです」 砲撃の凄まじさを今に伝える建物。その背後にあるのが、標高172メートルの城山です。ここには、日本軍の陣地がありました。海には、米軍の艦隊が集結。激しい艦砲射撃が行われたのです。 伊江島の戦いは「沖縄戦の縮図」と言われています。背景には島が置かれた状況があります。当時、伊江島には建設中の日本軍の飛行場がありました。“東洋一”と言われたこの拠点が米軍から狙われたのです。 米軍が上陸すると住民を巻き込んだ戦いが始まります。村民の犠牲者は島にいた半数の1500人に達し、一家全滅は90戸。犠牲者の多さに加え、住民の戦闘参加や勤労奉仕、集団自決なども起こり、沖縄戦がこの小さな島に凝縮していたのです。 伊江村 教育委員会 玉榮飛道 主査 「日本軍の陣地壕があった場所になっています」 ここはかつての日本軍の陣地の1つ。長さは約30メートル。住民も協力し手掘りで造られたとされ、50人ほどが入っていたといいます。米軍側の記録でもかなりの激戦地だと言われていて、とある記録では「血塗られた丘」という表現をされていることもある。 Q.ここでは何が? 伊江村 教育委員会 玉榮主査 「爆雷を使った突撃、特攻、そういった戦闘も行われていたの で、そういった戦闘の準備も行っていたのではないか」 物量攻勢で攻めてくる米軍に対し、日本軍は避難中の住民をかり出し戦闘班を編成。中には赤ん坊を背負い、斬りこみに参加した女性もいたと記録されています。 ■米軍機の恐怖 小さな船で本島へ 当時、飛行場建設に徴用されていた山城ヨシさん92歳。当時小学6年生でしたが、突然現れた米軍機の恐怖を今でも覚えているといいます。 Q.何が一番怖かったですか? 山城ヨシさん(92) 「飛行機が自分の目の前をヒューっといくのが一番怖かった。あれに見られたら自分たちは死ぬということ。木の下にいったり、穴の中にいましたね」 「自分の家はみんな焼けた、周囲全部なくなった」 島の外へ出る交通手段はありませんでしたが、父親が何とか手配した小さな船に乗ることができました。深夜、9キロ離れた本島へ向かいます。 山城ヨシさん(92) 「自分の父親がね『どうしても生きてくれよ』『頑張るぞ』と話しながらね。父親が『生きらしてくれるよ』『生きらしてくれるよ』あの父親の声がね、まだ残ってる。もう大変だったわけよ」 奇跡的に助かった命。一方、島では悲劇も… ■集団自決 背景に“軍民一体化” 伊江村 教育委員会 玉榮主査 「こちらが、アハシャガマという洞窟。村民、防衛隊が避難していた」 島の北東部にある、防空壕として使われた洞窟「アハシャガマ」。奥行きは20メートルほどですが、約150人が身を寄せ合っていました。 伊江村 教育委員会 玉榮主査 「伊江島の組織的戦闘が終わった翌日に、こちらの方で集団自決が起こったといわれております」 当時14歳だった住民の証言です。 伊江島の戦中・戦後体験記録 「防衛隊の人が爆雷の信管をパーンと押しました。すると、壕の上の壁がくずれて、石などがバラバラ落ちてきて、皆、もう死んだと思いました。気がつくと、自分は生きていました。妹はだっこしていると、上から落ちてきたものが、ももにドンと落ちてきて、足の骨が折れて、ユラーユラー、していました。その時に生き残ったのが、二十人くらいです」 「当時は、捕虜にされたら、体を一寸切りにされると聞かされていましたので、もう自決するのはあたりまえだと思っていました」 背景にあったのは、日本軍と住民の“一体化”です。当時、住民は「青年義勇隊」「防衛隊」「婦人協力隊」「救護班」などに、根こそぎ動員されていました。「捕虜になるくらいなら自決せよ」という軍の方針が住民に浸透していたのです。 ■「自決」「投降」父の判断は… 当時、13歳だった東江栄一さん(93)。壕では「自決」か「投降」か厳しい選択を迫られていました。 東江栄一さん(93) 「『アメリカに殺されるより自分らで死んだ方がいい』というような話をされて」 Q.あそこですか? 東江栄一さん(93) 「これはガジュマル壕」 80年前、東江さんはここに身を潜めていました。米軍に見つかり、住民1人が射殺されます。 東江栄一さん(93) 「パンパンって。どの弾で撃たれたかは分からない、そしたらここで倒れて。みんなが中から出てきたから、兵隊たちは逃げて行った」 その後、アメリカ兵が日本人の捕虜を連れて現れ、投降を呼びかけてきました。 Q.洞窟の中では色々な意見があった? 東江栄一さん(93) 「ここで死ぬか、死なないか」こういう話があった。 死を覚悟するなか、東江さんの父がある決断を下します。 「壕から一緒に出よう」 東江栄一さん(93) 「『一緒に行こう』という、親父のいうことは良かったと思ってる。うちの親父は一番年上だった、それでみんな連れて行った」 「ここは命を救ったガマ(洞窟)だから」 ■伊江島 80年後も基地の島 生き残った住民の多くは島の外の収容所に送られましたが、食糧難や栄養失調で亡くなる人もいました。そして、帰ることが許されたのは2年後。故郷は様変わりしていました。戦時中、日本軍の飛行場があった伊江島。戦後に建設されたのは米軍の基地でした。 それは今も… 小川彩佳キャスター 「島の面積の3分の1を占めるのがアメリカ軍基地です。フェンスがずっと連なっている。戦後80年、基地はとどまり続けています」 ■住民が戦闘参加 伊江島の戦い 小川彩佳キャスター: 島でも戦争を語ることができる方はもうわずかという中で、2人の方にお話を伺うことができました。ご家族も初めて聞くというお話もあったそうです。 伊江島では、住民の皆さんが戦争の準備から実際の戦闘にまで駆り出され、子供たちも飛行場の建設のために石を運ぶなどをしたそうなんです。「見つかれば殺される」と日本軍に脅されて極限の中、集団自決を選ぶという。これは命だけでなく、人間としての尊厳までもが根こそぎ奪われるような、非常に痛ましい史実だと思います。決して過去のことではないですよね。 24日も現代の戦争についてのニュースをお伝えしましたが、今も同じ苦しみの中で、悲しい思いをされ続けている方がいるということを忘れてはなりません。何度も「私達は2度と繰り返さない」と誓っているはずなのに、なぜ繰り返してしまうのか。その重い問いに向き合い続けなければならないと感じます。

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