「いまを、戦前にさせない」をテーマにした日本テレビの戦後80年プロジェクト。6月23日は、沖縄慰霊の日。斎藤佑樹キャスターが訪ねたのは、那覇市の首里高校・一中戦没学徒資料室。ここにあるのは、沖縄戦に動員された少年兵たちの遺留品と記憶です。 ■沖縄戦で亡くなった先輩たちに学ぶ 沖縄県那覇市。 「こんにちは。はじめまして。斎藤佑樹と申します」 「首里高校の池原風花です」 「首里高校の宮城理心です」 案内してくれたのは、沖縄県立首里高校の生徒ふたり。この学校では、沖縄戦で亡くなった、 先輩たちについて学ぶ活動を続けています。 ■中学生の学徒隊 兵士として沖縄戦へ 一中戦没学徒資料室。ここは、戦場に動員された首里高校の先輩たちの資料室です。 斎藤佑樹キャスター 「たくさんの写真がありますね。うわぁ…すごい…」 太平洋戦争末期の兵士不足の中、沖縄戦では、日本で初めて、男子中学生の学徒隊が兵士として戦場に動員されました。まだ、あどけなさの残る生徒たち。 ■12の中学校から動員「鉄血勤皇隊・通信隊」 1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。 日本軍は、本土決戦までの時間稼ぎとして徹底抗戦し、住民をも巻き込んだ激しい持久戦が行われました。 沖縄県民の犠牲者は、およそ12万人。住民の4人に1人が命を落としたことになります。 首里高校の前身は、旧制沖縄県立第一中学校(旧制中学校は12歳から17歳)。通称「一中」と呼ばれる男子校で、県内でも優秀な子供たちが集まる名門校でした。 しかし、武器も兵力も不足する中、アメリカ軍上陸前のわずか1か月ほどの間に、「鉄血勤皇隊・通信隊」として動員され、戦場へ駆り出されていきます。 一中からは、少なくとも335人が。沖縄県全体では、12の中学校から1500人以上が動員されたといわれていますが、正確な人数はわかっていません。 ■写真のアメリカ兵と“鉄血勤皇隊”を見比べて… 首里高校生徒 「写真を見てもらうとわかるんですけど、幼い顔の子供たちもいると思います」 斎藤佑樹キャスター 「本当ですね」 明らかに幼い顔の写真。中には、小さい頃のものしかなかった生徒や、1枚の写真すら、残っていない生徒もいました。 「はぁ…これが鉄血勤皇隊ですよね。で、アメリカ兵」 首里高校生徒 「この写真もアメリカ兵と鉄血勤皇隊といわれています」 ■学園から戦場へ…最前線で学徒隊は 斎藤佑樹キャスター 「こんなに差があるんですね。この写真を見ると、まだ小さい生徒がこうやってアメリカ兵に対面しているという姿が…」 「改めてちょっと言葉が出ないですね…」 学園から戦場へ。動員されることを親に伝える時間すらなかった生徒もいました。 戦争の実感が乏しいまま、その最前線に立たされることになったのです。 上官の命令で、砲弾が飛び交う中を情報伝達や物資の運搬で走り回り、中には爆弾を背負って突撃する“斬り込み”に行かされた生徒もいました。 一中の鉄血勤皇隊・通信隊335人、その6割以上の215人が命を落としました。 ■沖縄決戦で散った生徒たちの“別れの言葉” 斎藤キャスター 「こちらが、なんですか」 首里高校生徒 「遺書の中にはいっていた髪の毛」 「髪と爪って書いてありますね。みなさん遺書を書かれて、それと一緒に自分の髪の毛と爪を残していった」 首里高校生徒 「この三日月形が爪」 斎藤キャスター 「これが遺書ですか。封筒と遺書と。鉄血勤皇第一中隊、比嘉さんの遺書ですね」 4年生 比嘉松堅さん(16) 「この髪は遺髪として、遺骨のかわりに永久にのこして下さい。これが俺の魂です。ただ一身をかえりみずこの戦争に頑張り抜きます。自分も決心しております」 斎藤キャスター 「髪と爪を残して、自分の生きた証しを残していった」 ■遺書に記した隊員の覚悟と家族への思い 別の遺書には、死を覚悟しながら、それでも生きたいという思いが… 首里高校生徒 「根神屋昭さん。5人きょうだいの末っ子で、家族のみんなからすごくかわいがられていた」 おだやかで、口数も少なく、おとなしい性格だったという昭さん。 3年生 根神屋昭さん(17) 「自分は鉄血勤皇隊員の一員として一生懸命頑張りお国のために散る覚悟です」 「もう一度父母兄弟の顔が見たくてたまりません」 「もう自分には思い残す事はありません」 「もし幸いにも生還をするならば再び父母兄弟の顔が見られる事でしょう」 「しかし生還はもとより期していません」 昭さんは、アメリカ軍の爆撃で亡くなります。家族は息子が動員されたことも、死んだことも知らないまま、その帰りを待っていました。 「父母上様へ アキラ」 ■鉄血勤皇隊“生きた証し” 託された世代はいま 斎藤キャスター 「この遺書には、死にたくない気持ちがありながら、もう覚悟は決まっていますと…」 「それくらい自分の気持ちが揺れ動いていて、自分の感情をこの遺書を書きながら固めていったんだろうなと。複雑な気持ち」 戦後80年、鉄血勤皇隊や通信隊の生存者が直接話すことは難しくなってきました。 首里高校の卒業生たちは、託された世代だけで伝えていく難しさを感じています。課題は残された資料をどう生かすか。 ■過酷な運命…学徒隊の最後の場所 そんな中、ある写真がきっかけで、生徒たちの最後を知ることができました。 首里高校生徒 「今年、残された写真から通信隊の最後の場所がわかったんです」 アメリカ軍上陸とともに戦火に巻き込まれていくことになる生徒たち。絶望的な戦力の差になすすべなく、彼らは過酷な運命をたどることになります。 斎藤キャスターはその足取りを追うことに。学徒隊、最後の地で見たものとは—— (2025年6月23日放送「news every.」より)