実は東海3県にも数多く存在する「銀座」という名前が付いた商店街。それぞれの銀座には、課題や人と人の物語があふれていました。 【写真を見る】東京だけじゃない「銀座」 岐阜・三重の“リアル銀座”で見つけた心に染みわたる人情物語 洗練された唯一無二の街「東京・銀座」。そんな「銀座」にあやかってか「銀座」の名前が付いた商店街は全国に300か所以上。そこで、東海地方にある「銀座」に行ってみると、そこには、それぞれの「銀座」の物語がありました。ということで今回も、この地方にある「銀座」を大調査しました! まず、やってきたのは先週、全国の最高気温を記録した岐阜県多治見市。ここにあるのが全長200メートルほどのアーケードが延びる「多治見銀座商店街」。さっそく、この「銀座」を歩いてみると。 (取材班) 「営業している店はまばらで、ほとんどの店のシャッターが閉まっています」 戦後まもなく、美濃焼などの陶磁器産業で栄えた多治見市には銀座商店街の前身となる「銀座通り」が誕生。かつては、本家の「銀座」さながらのにぎわいだったといいます。 しかし、後継者不足などのため、現在では、商店街の約8割がシャッターが下りたままの空き店舗に。 すると、通りかかった銀座マダムから、こんな情報が。 「唯一、八百屋さんが…」 数少ない営業店舗の一つ、生鮮食品の「安藤商店」。キャベツが1玉50円に、キュウリが1袋200円など、お買い得な野菜や鮮魚を取り揃えた「多治見銀座」唯一の食料品店です。 生鮮食品を扱う創業75年の個人商店は (安藤商店 安藤光広さん) 「もう創業75年。僕で2代目です」 店主の安藤光広さん76歳。この店は1950年に安藤さんの父親が創業し、現在は安藤さんが従業員と共に営業を続けています。そこには、大型スーパーにはない個人商店ならではの魅力も。 (安藤さん)「マグロは、もういいの?」 (客)「いや、いるって。手巻きずしをするんやて」 お客さんが調理場まで入り込み、直接会話して買い物をする超至近距離の接客スタイル。さらに… お客さんが持ってきた買い物袋に商品を移し替える従業員の姿が。 (取材班) 「こういうのもサービス?」 (従業員 河方真由美さん) 「これはサービスというかスキンシップ。おしゃべりとかしたい人が来てくれる」 すると… (従業員 河方さん) 「あっ杖(つえ)を忘れていった」 店に杖を忘れたお客さんを走って追いかけます。 「人情商店」は近所に住む高齢者を支える (従業員 河方さん) 「これは日常茶飯事です」 お客さんのほとんどは、近所に住む高齢者。そんなお客さんの気持ちに寄り添った接客を大事にする、まさに「人情商店」です。 (お客さん) 「(通って)もう60年。この年になるとスーパーも行けないでしょう。だから大事な八百屋さん」 「毎日ぐらい来てる。足が悪いので遠いところに行けないので、ここを頼っている。生きがいみたいやね」 一方で目をそらすことができないのが、この「シャッター商店街」という厳しい現実。空き店舗が多いことで、今ではこんな問題も… (安藤商店 安藤さん) 「アーケードは撤去するのに何千万円とお金がかかるんですよ。もう築50~60年たっているので、消防署の方から『直してください』って連絡が来るけど修理するお金もない。市にも聞いたけど『補助はできない』と言われて」 古くからある設備が老朽化していく中、商店街として十分な予算がないため、撤去や修理もできない状況にあるのです。 「跡継ぎがいないから」「皆を見送ってから逝きます」 そして、ここ最近、店主の安藤さんには、こんな思いが… (安藤商店 安藤さん) 「(店は)もうすぐ終わります。跡継ぎがいないから」 廃業していった他の店と同様、後継者不足の問題が。父親から引き継いだこの店を安藤さんの代で閉めるのだといいます。 (安藤商店 安藤さん) 「『辞めるやない』って言われる。『じゃぁ僕は皆を見送ってから逝きます』と言って」 現在76歳。今のお客さんたちのためにも「85歳までは営業を続けたい」と話します。そんな安藤さんにとって多治見の「銀座」とは… (安藤商店 安藤さん) 「今までは『とにかく儲けよう』で来たんだけど、社会貢献になっているかなというのが自分のモチベーションになってくる。ちょっと生きがいじゃないけど、生きる価値があるのかなと思って。命ある限り八百屋をやり通そうかと。最後まで銀座でやりますよ」 空き店舗が一つもないアーケードは「夜の街」 続いて、やってきた「銀座」とは三重県桑名市の「銀座商店街」。全長100メートルほどのアーケードでは、現在19店舗が営業しています。そんな桑名の「銀座」の一番の特徴は… (銀座商店街発展会 服部日出男 会長) 「駅に近いから居酒屋さんがやりやすいんでしょうね。夜になると一変して…夜の街だね」 ということで、夜に再び訪れてみると。 (取材スタッフ) 「飲食店が営業を始め、昼間より賑やかな雰囲気になりました」 2006年から銀座商店街で営業する「うさぎ舎(や)」。桑名の特産品であるアサリの“しぐれ煮”を使ったパスタなどのメニューが人気のお店です。「銀座」でディナーを楽しむ人たちに話を聞くと… (お客さん) 「昭和感あるレトロな感じ」 「(銀座の)看板が時代を感じる」 「銀座っぽくないよね。イメージ的には」 そんな桑名の「銀座」では、ここ数年ある変化が… (うさぎ舎 上村寛幸 店主) 「コロナ禍を越えてから店が増えた」 商店街ではコロナ禍以降に4つの飲食店が次々とオープン。現在、空き店舗が一つもない状況です。 店のママの本業は現役の芸妓さん こちらはコロナの感染拡大と同じ時期の2020年にオープンした「和洋酒房 かんてら」。おしゃれな店内の雰囲気は、これまで見た中で最も「本場の銀座」に近い気もしますが… (和洋酒房 かんてら 丹羽恭子ママ) 「帰ってきたら玄関の前に何かが座っとるって言って。イヌかと思ったらサルやった」 この店を切り盛りするママの丹羽恭子さん。お店の経営者の他に、もう一つの意外な顔が。 (和洋酒房 かんてら 丹羽恭子ママ) 「一応、桑名で芸妓としても、お座敷に出させていただいています」 実は恭子ママ、本業は現役の芸妓さん。月の半分は料亭などで踊りや三味線を披露しています。江戸時代から物流の拠点として商人たちで賑わい、芸妓文化が根付いた桑名。現在、7人の舞妓と芸妓が活動しています。しかし… (和洋酒房 かんてら 丹羽恭子ママ) 「コロナで(芸妓の)仕事がなくなってしまったので。何かをしなきゃいけないというのもあって、この店を始めたというのもある。料亭が閉まっているから当然、私たちの仕事もない」 新型コロナの感染拡大で収入は激減。苦境を何とか抜け出そうと自分の店を持ったものの、当時は飲食店への規制なども厳しく貯金を切り崩しながら生活してきました。 (和洋酒房 かんてら 丹羽恭子ママ) 「思い入れがあると思うんですよ。こういうふうにして(店を)つくったっていうのを、そこを忘れることなく今のように続けていけたらいい」 このお店は、厳しいコロナ禍の困難を乗り越えた証しともいえるのです。そんな恭子ママにとって桑名の「銀座」とは。 (和洋酒房 かんてら 丹羽恭子ママ) 「この通りは小さいけど結構面白い。自分の人生の勉強になるのかな。(コロナ禍を)乗り越えて、お客さまに支えていただいたから。頑張れるだけは、お客さまに返したい。体が動けるうちは、やりたいな」 各地に存在する「銀座」。そこには東京の本家「銀座」にはない、それぞれの「銀座」の物語がありました。