いま、世界中で蔓延して実際に政治や社会に影響を与え始めている「陰謀論」。 いったい、陰謀論はどこで生まれるのでしょうか? そして、なぜ信じてしまうのでしょうか? 6月19日発売の『となりの陰謀論』(講談社現代新書)著者である慶應義塾大学教授の烏谷昌幸さんが、現代世界を蝕む病の正体を解き明かします。 (※本記事は、烏谷昌幸『となりの陰謀論』の一部を抜粋・編集しています) 「デスノート化」の危険 陰謀論の日常化が進み、陰謀論コミュニティが現実から自立することで、一部の過激な陰謀論者の誇大妄想は歯止めを失って凄まじい勢いで加速していくことになりました。 たとえば、2025年3月現在、日本のX上でQアノン陰謀論を熱心に拡散しているフォロワー数一10万人を超える人気アカウントの投稿によると、2021年10月の段階でバラク・オバマ、ジョー・バイデン、ヒラリー・クリントンをはじめとする著名人は既に逮捕され、処刑されてしまっているとのことです。 われわれが現在目撃しているこれら要人は、本物そっくりにつくられたゴム人形の変装によって本人になりすました偽物であり、多くの人は偽物が演じる映画を観ているに過ぎないというのです。 このいわゆる「ゴム人間陰謀論」とでも呼ぶべき考え方は、冗談半分のネタのようにしか思えませんが、Qアノン陰謀論の信者はいたって大真面目です。陰謀論コミュニティが現実から自立して自転し始めると、陰謀論の虚構と現実の食い違いはどんどん拡大していくことになります。 その大きな食い違いを解消するためには、もはやわれわれがみている現実の方こそがまったくの嘘なのだと否定せざるを得なくなるのです。こうして陰謀論が暴走した結果、現在存命中の要人の多くが実は既に死んでいるという極端な世界線が出現してしまうことになります。 このリストはあくまでも一部を抜粋したものに過ぎず、もっと多くの著名人がこのQアノン・インフルエンサーの頭の中では既に死んでいることになっています。筆者はこのリストをみて、『DEATH NOTE(デスノート)』という日本の漫画を思い出しました。 退屈で仕方ない悪魔が悪戯心で人間界に投げ込んだデスノートは、殺したい人間の名前をノートに記入すれば誰にも知られずに簡単に殺すことができる恐るべきノートでした。このノートを拾った主人公が、世の悪人たちの名前を次々にノートに書き込んで「世直し」をしていくというのが『DEATH NOTE』の物語です。 もちろん、Qアノンインフルエンサーの「処刑リスト」はデスノートのように人間を殺す本物の「悪魔の力」を持ちません。しかし、2022年に当時下院議長を務めていたナンシー・ペロシ議員の自宅に押し入り、夫のポール氏に暴行を加えて重傷を負わせたデイビッド・デパピは、Qアノンの陰謀論をはじめ様々な過激主義に共感し、ワシントンの悪を憎悪していました。 そして、ペロシ議員の他にもハンター・バイデン(バイデン前大統領の息子)や俳優のトム・ハンクスなどを含む「襲撃リスト」を作成していたと言われています。 陰謀論者たちの「こんな連中は死んでしまえばいい」という願望が陰謀論コミュニティの中で純化して濃縮されていく中で、徐々にデスノート化していき、遂には本当に暴力の被害が発生してしまう事態が既に起きているということは、よくよく肝に銘じておくべきことです。 陰謀論コミュニティの非日常 陰謀論の日常化が進むのと並行して、オンラインで陰謀論を共有している仲間たちがリアルな世界で直接会うことに特別な意味が生まれ始めたことも見過ごせません。 先ほど触れたトランプ支持者らによる1・6の襲撃事件について、ルポライターの清義明は、Xの投稿でこれが一種の「オフ会」だったのではないかと興味深い指摘をしています。 オフ会とは、オンライン上のコミュニティのメンバーがオフラインの現実で対面する集まりのことです。オンラインで日常的にコミュニケーションをしている人間関係にとって、オフ会の集まりは一種の非日常的なお祭りとして経験されます。 トランプの呼びかけに応じて全米からワシントンDCに駆けつけた人たちが、一堂に会してトランプの演説に熱狂し、議事堂まで行進し、雪崩を打ったように突入して議事堂の中で暴れ回り、はしゃぎ回る様子は確かに彼らにとっての非日常的なお祭りのような経験であったことでしょう。 注目すべきは、この1・6襲撃事件のような非日常的な経験が、オンラインにおける陰謀論コミュニティにおける日常のコミュニケーションと相互に強化し合いながら1つの循環を生み出しているということです。 陰謀論者の語り合う内容は、普通の人には理解できない特別な「秘密の情報」と思われています。そのため、1・6襲撃事件に駆けつけた人たちやトランプの演説集会に集まる人たちは単に偶然居合わせるだけの関係ではないのです。そこに集まってくる人たちは、リベラルたちが理解できない不正選挙陰謀論という「特別な秘密」を共有している「特別な仲間」たちなのです。 家族や友人、恋人に話そうとしても誰もが自分の信じる「秘密の情報」の価値を分かってくれるとは限りません。それどころか白い目でみられ、嫌味や皮肉を言われたりするかもしれません。陰謀論コミュニティに集う仲間だけが、自分と秘密を共有してくれるのです。 こうしてトランプの演説集会に集まる人も、1・6襲撃事件に駆けつけた人たちも、仲間たちと「特別な時間」を共有することになるのです。かつて社会学者のエミール・デュルケムが「集合的沸騰」と呼んだのは、このような特別な仲間意識を持つ人間集団が物理的に密集して、精神的に高揚し、激しい集団的熱狂を経験する現象でした。 デュルケム以後の人類学的、社会学的研究で盛んに論じられてきたように、このような非日常的な集団的熱狂に参加することで、コミュニティのメンバーは自分たちが大切にする神話への信仰を深め、指導者に対する忠誠心を強め、集団の凝集力や団結力は大いに強化されることになるのです。 1・6襲撃事件は、このような意味においてトランプが推し進めてきたMAGA(Make America Great Again:アメリカを再び偉大な国にする)のムーブメントにとっての空前の「集合的沸騰」の経験だったのです。 なぜ「陰謀論」を信じてしまうのか…「陰謀論が支配する社会」という最悪のシナリオを回避するために「知っておくべきこと」