太平洋をはさみ日本を飛び越える形で、中国とアメリカが現代の「アヘン戦争」に突入したのか。近ごろ問題化しているの合成麻薬「フェンタニル」をめぐる動きについて、日本人の多くはどこかよそ事だと思ってきたはずだ。ところが、日本も当事者となるかもしれない事態が明るみに出てきた。危険ドラッグなど薬物関連の取材を続けているライターの森鷹久氏が、フェンタニルをめぐり日本が直面している現実についてレポートする。 【写真】日経の報道後、アメリカのジョージ・グラス駐日大使がXに投稿した内容は? * * * 薬物関連ですごいニュースが出た── 事件記者だけでなく、政治記者も一様に驚いたのは、日本経済新聞が6月25日に出した「米国へのフェンタニル輸出、日本経由か」というタイトルのスクープ記事だった。やはり日経の記事に驚いたという、全国紙警察担当記者が振り返る。 「アメリカでは薬物の過剰摂取によって2022年は約11万人、2023年は約10万人が亡くなっており、そのうちフェンタニルが原因の死者は7万人を超えていた。原料は中国からメキシコやカナダに輸出された後、アメリカに密輸されるルートだと言われてきた。しかし、原料がいったん日本の名古屋の拠点を経由している可能性を、日経が指摘したのです」(全国紙警察担当記者) この数年、アメリカでは強力で即効性がある鎮痛剤として使われる合成オピオイドの一種「フェンタニル」が大きな社会問題となってきた。米疾病対策センター(CDC)が5月に発表した2024年の薬物過剰摂取による死者数は推定8万391人、そのうち合成オピオイド(主にフェンタニル)の死者数は推定4万8422人で、いずれも前年より2〜3割減少してはいるものの、いまだ大きな脅威のままだ。 知らなかったですまされない アメリカで乱用されているフェンタニルは、密売人によって隣国であるカナダやメキシコ経由でアメリカに流入していることが特に問題視されている。そのフェンタニルの流通をさかのぼると「中国」に行き着くと非難されてきた。 医薬品輸出大国でもある中国は、政府がフェンタニル原料を製造する国内企業に「補助金」をだして製造を奨励していた。医薬品として正しく使う相手に製品を販売していたのなら、もちろん問題はない。だが、2020年代初頭にはすでに、アメリカ国内で乱用されている薬物が「中国発のフェンタニル」という事実はある程度明らかになっており、それでも中国側は有効な対策をとらなかった、というのが事実だ。 アメリカのドナルド・トランプ大統領が就任直後、中国に超高額な関税をかけたとき、格安ネット通販などとともに、違法フェンタニル問題も課題のひとつとして挙げ、中国の動向を強くけん制したことも記憶に新しい。フェンタニル問題については、同様にカナダやメキシコにも適切な策をとっていないと、高額関税の発動で圧力を強めていたのだ。 そして「政治部記者」が驚いたのは、まさにこの点だったという。 「6月25日、アメリカ政府がメキシコ国内の銀行など3つの金融機関に制裁を科すと発表しました。その理由が、フェンタニルの密売に関与した疑いがある、というもの。3社は反論していますが、アメリカ政府に反社のレッテルを貼られたら、金融機関としてはやっていけない。もし、日経がスクープした名古屋を拠点とする中国籍の人物が代表の会社が本当に密売に関わっていたとしたら、彼らに場所を提供したり、仕事を手伝ったりした日本人や日本の会社、それに取引銀行だってアメリカにとって捜査の対象になるかもしれません。そして最も重大なのは、日本当局は知らなかったのかと、アメリカ側に不信感を抱かれかねない事態になっていることです。スクープ記事掲載から一日も経たずに、フェンタニルなどの合成薬物が日米両国において多くの命を奪っている、背景には中国共産党がいる、とSNSに投稿し日本国民に直接呼びかけたのは、他ならぬ、アメリカのジョージ・グラス駐日大使でした」(全国紙政治担当記者) もともと、強力な鎮痛剤として処方されてきたオピオイド乱用による被害が大きかったアメリカだが、2015年頃から主にフェンタニルの乱用による死者数が急増、2023年までは7万人を超えていた。アメリカもフェンタニルの危険性を周知する活動を続けているが、乱用への供給が止まらない状態だ。最近は、製造地から輸入される経由地であると言われていたカナダ国内でも、フェンタニル乱用者が急増し、社会問題化しはじめた。この「原因」に日本が絡んでいた、と指摘されては、日本の立場は丸つぶれだ。 日本にもフェンタニル中毒者? さらに「遠い国の出来事」と思っていた我々を恐怖に突き落とすような情報まで飛び出した。前出の警察担当記者が続ける。 「大阪の西成で、フェンタニル中毒者をみた、という情報がいくつか寄せられています。SNSを見ると、極めて不自然な姿勢で歩く男性が写っていて、報道で見た、アメリカのフェンタニル中毒者とそっくりなんです。本当にフェンタニルを使っているか確認はできていませんが」(全国紙警察担当記者) 実は筆者も今年3月頃、大阪市内や北関東、北部九州などで、すでに「フェンタニル」らしき薬物を使用した人物がいる、という情報を得ていた。この時、同時に聞いていたのが「ケタペン」なるおそらく、フェンタニルとは別物と思われる薬物の存在だ。かつて、日本国内で危険ドラッグの製造、販売に携わっていた元暴力団関係者の男性が解説する。 「すでに”ケタペン”などの名前の中国製ドラッグが日本に出回っています。中身は、アメリカで売れなくなったフェンタニルとも、薬物の”ケタミン”を含有しているともいわれていますが、実際は何が入っているかわからない。ただ、ほかの薬物より安価で、リキッド状だから電子タバコのように気軽に吸えるので、人気が出つつある。繁華街にある雑貨店では、こうした得体の知れないドラッグが秘密裏に販売され始めています」(元暴力団員の男性) 実業家のイーロン・マスクがうつ病の治療のために少量のみ使用していると認めたことで話題になったケタミンは、解離性麻酔薬と呼ばれる幻覚作用がある麻酔薬の一種だ。こちらもアメリカでは過剰摂取や違法流通が問題となっている。そして、中国系詐欺集団が幅をきかせる東南アジア各地域では、詐欺師相手の飲食店や風俗店で働く女性たちに「ケタペン」の乱用者が増えているというようなSNS情報もかなり流れてくるようになった。 中国発の「危険ドラッグ」が日本社会を震撼させたのは、せいぜい10年ほど前のことだ。もともと反社会的な人たちだけが違法薬物に手を染めるのではなく、一般的な市民生活を送る人も加わってしまうことを、危険ドラッグのときに私たちは知っている。法改正などで違法薬物へのテレビニュースで眺めているだけだった「ゾンビタウン」の光景が、日本国内にも広がってしまう恐れがある、といえば大げさに聞こえるだろうか。私たちはこの新たな脅威に対し、これまで以上に警戒を強める必要がある。