「危ないとわかっていてどうして依存症になってしまう？」「ダイエットに失敗するのはなぜ？」「どうしてバッシングが起きるの？」「なぜ人は平気でウソをつくの？」などなど——。自分ひとりの悩みから人間社会全体にまで及ぶこれらの原因が、‟脳”にあったとしたら……。それはまるで咒（まじない）のように。 中野信子さんが『咒の脳科学』で、人間の意思を超えて行動を左右する脳の働きを解き明かします。人生や仕事をよりよくするために、脳のメカニズムを知ることは欠かせない、と実感できます。 『一方的な倫理基準が“誹謗中傷”を“正義”に変える…人間が作り出した「善悪と正邪」の基準の意味』より続く。 サイコパスより恐ろしい向社会的な人々 いわゆるサイコパスはアメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル（DSM、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders）によれば、反社会性パーソナリティに分類される。反社会性の対義語が向社会性である。むしろ本稿で私が注目したいのは、この向社会性による攻撃、向社会性によって犠牲になる人々のことである。 反社会的な人物というのは、もちろん警戒しなければならない相手であるだろう。少なくとも人間は複数の個体で群れを形成し、複雑な構成を持った共同体の中でその寿命のうちの大半の時間を送り、またそこにある程度は依存せざるを得ないかたちですごさなければならない生物である。その共同体を維持するための性質である社会性に反する個体というのは、仔細な吟味なしにつきあうことのできる、信頼できる相手である可能性は低いということになる。 けれども、印刷技術ができ、放送技術が発達して、マスメディアが登場し、ITに支えられたSNSという、大衆の声が認知構造を支配せんとする時代となったいま、場合によっては、向社会性を維持しようとする大多数の人々のほうが、少数の反社会性パーソナリティの個体よりもずっと恐ろしいという現象が周期的に起こるようになったのだ。 むしろ、社会や正義という大義名分を持っている分だけ、向社会性を重視する、普通の、良心的な人々のほうが、より無意識的で、余計に取り扱いが難しく、恐れなくてはならない何者かでもあろう。 その傾向は、メタバース、ウェブ3、呼び名は何でもよいが市井の一個人が情報を容易に発信できる技術が発達すればするほど、強まっていくのではないかということを私は恐れている。正義という武器を持って誰かを断罪することは、時代が下れば下るほど、いまより未来のほうがずっと容易になっていくだろう。 向社会的に振る舞いたい欲求 『「不倫バッシング」はされて当然？…「ルールに反した者を罰したい欲求」は子どもやチンパンジーも持つ根源的な性質だった』で紹介した実験に使用されたような「ルールを破った者が正当な罰を受ける」シーンを、人間は、ごく子どもの時代からコストをかけてでも見ようとするということが本当なら、ネットで周期的に起こる炎上騒ぎのうち、一定数はこうした動機によって引き起こされるものだろう。 また、当該人物が苦しんでいることがわかっているのに、ルールを破った人だから苦しんで当然である、という大義名分さえ整えば、その人の苦しむ姿をむしろ見たくなるのである。わざわざ週刊誌をお金をかけて買うという行為にも、われわれが反社会性に対して強い嫌悪感を持ち、向社会的に振る舞いたい、また、その人間がいつまでも許されることなく、正当に罰され続けていてほしいという願いがそのまま反映されている。 向社会性を重視する、普通の、良心的な人々のほうが、より恐ろしい時代になりつつあるのではないか。 ほとんどの時間を、自己の中の向社会性というモンスターに気づくことなく無意識にすごし、だからこそ多くの人が正義中毒から自由になることができないという課題にどう向き合えばよいか。人間が社会性を持つ以上、完全なる解決への道は遠いように見える。が、それでも考え続け、歩みを止めないところに、いつかイケニエを必要としない社会の扉が開くのではないかと、祈るような気持ちでいる。 『スキャンダルは社会の生存戦略!?…‟脆弱“な人類が生き残るために「イケニエ」が必要となる「意外なメカニズム」』へ続く。 【つづきを読む】スキャンダルは社会の生存戦略!?…‟脆弱”な人類が生き残るために「イケニエ」が必要な「意外なメカニズム」