敗戦直後の「渋谷」は巨大バイオレンス・タウンだった!ヤミ商人の露店400軒超、銃弾飛び交う大抗争…繁華街の「意外な過去」

渋谷──エネルギッシュな三角地帯 新宿、渋谷、新橋、池袋、上野……焼け跡となった街に、ふたたび人とモノがあつまり、立ち上げられたマーケット。 「戦後東京」の原風景を形づくったと語られ、いまや歴史の中に霞みつつあるヤミ市とは、いったい何だったのでしょうか? その実態を知ることができるのが、『東京のヤミ市』(講談社学術文庫)という書籍です。 食べるものも着るものも「あるべきところにあるべきものがない」敗戦直後、人々は統制経済の網の目をかいくぐり、生きるための商いを、そこで営みました。ゴザの上に芋を並べた露店は、やがて電気ガス水道をそなえた商店となり、カストリと焼き鳥の飲み屋ができ、ありとあらゆる雑貨が流れ込んでゆきます。 そうして日々の暮らしを立て直そうとする庶民たちの「復興」は、テキ屋たちのプロデュースにより加速され、巨大な盛り場を生み出していきました。 本書では、丹念なフィールドワークにより都市生活文化の探究を続けてきた著者が、ヤミ市のリアルな姿を蘇らせています。 例えば、いまは若者の街としてにぎわう渋谷は「物騒な街」だったそうです。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 *** ヤミ市の時代、渋谷は池袋西口と並んで、はなはだ物騒な街とみられていた。ヤミ市の広がる三角地帯が、売春と暴力で恐れられていた宇田川町、円山町のど真ん中にあるからである。 ここでいう三角地帯とは、駅西口の広場を出るとすぐ、道玄坂をその一辺とし、現宇田川町と接する現在の東急本店通りをもう一つの一辺とし、最後の一辺を円山町との境界とする地域のことである。 ここには、まず道玄坂中腹から入る横丁の百軒店がある。古着を売る店が並ぶ坂を上ると、吞み屋、食べ物屋が連なり、さらに、朝鮮戦争の時期に、半島へ出動した占領軍兵士にあてたラブレターの代筆をする店があって、恋文横丁と呼ばれた界隈36軒が現在の東急本店通りへと連なっている。「新宿調査」の結果では、この界隈に少なくとも400軒以上のヤミ市商人が露店を出していたと推測される。 渋谷は、山手線の主要なターミナルのなかでも、その後背地にいちばんたくさんの焼け残り住宅地区を持っている。だから、いやおうなしに、人びとが頻繁に行き交う駅前には、新たな盛り場、すなわちヤミ市が忽然と生まれ出てきた。 ただ、新宿や上野、錦糸町などと違うのは、ここが大きな接続駅でありながら、後背地に、農業地帯や漁場を控える有力な私鉄をもたないことである。 今日でこそ、田園都市線という長い路線があるが、当時は東横線のほか、玉川電車が渋谷と玉川(現・二子玉川)を結んでいただけであった。ここは当初から食料品の供給ターミナルとして大きな役割を担うことはなく、盛り場としての賑わいから出発することになったのである。 渋谷は「組」の勢力が入り乱れ… その反面、ここにはかなり早くから、阿漕な吞み屋や派手な禁制の品じなをおおっぴらに売る店が目立っているが、それは、この地域の「組」組織の性格とも関係することが多かったようである。 新宿、池袋などのヤミ市が、かなり統制のとれた「組」組織のもとで運営されているのに対し、渋谷は「組」の勢力が入り乱れ、まとまりがないままにヤミ市が出現している。安藤組がこの街を席巻するのは、1950年代になってからのことである。そしてこのほか、渋谷には新宿にみられない特殊なヤミ商人の一団がある。新宿では「組」組織の中に組み込まれ、勢力としてはみるべきもののなかった華僑の人びとである。 戦時中に、日本の支配下にあって、軍と官僚による差別的な生活と労働とを強いられ、屈辱と貧窮を経験してきた華僑の人びとは、戦後、占領軍によって、米英仏をはじめとする連合国側には属さないものの、それと同じ取扱いをされるものと位置づけられ、「第三国人」と呼ばれていた。金銭も身分保障もなしに、いきなり無警察に近い東京の街頭に放り出されたかれらは、占領下の日本での法的規制をほとんど受けることがなかったから、物資統制の厳しかった敗戦直後の一時期、禁制の品じなを売買しても警察の咎めを受けることはあまりなかった。 これに反し、日本人はしばしば警察の手入れを受け、厳しく摘発されているから、両者の間にはさまざまな軋轢が生まれる。とくに、渋谷のように「組」の統制の十分でないところでは、「組」の支配を拒否する「第三国人」と、ヤミ市を支配しようとする「組」の組織との間で、縄張り争いから殺傷事件が繰り返し起こる。 渋谷の場合、それは華僑団体と日本人ヤミ市との間の争いとなった。1946年7月には、新橋と渋谷で機関銃まで持ち出しての乱闘が起こっている。この時期の渋谷が物騒だというのは、一つには、そうしたいざこざが大きく影響している。 いまでこそ若者でごったがえす渋谷の街も、このころは吞むと爆弾が破裂したようなショックを受けるというバクダンや、近郊の自家製焼酎であるカストリが酌み交わされ、裏の焼け跡で人が殺され、闇にピストルの鳴り響く荒っぽい街だったのである。 そしてこのころ、宮益坂付近や区役所通り周辺、道玄坂を上る左の裏側は、まだ焼け野原である。ただ、ガードの下には焼き鳥屋が軒を連ね、大和田マーケットと呼ばれて賑わっている。現在でもその一部がかろうじて生き残っているが、もはや当時の活気はない。 *** さらに【つづき】〈戦後日本・新宿で「ヤミ市」が発展した「納得の理由」…敗戦5日後に開かれたヤミ市を仕切った「組」や「禁制品の売り方」〉では、「巨大な都市の生活を支える大動脈」の一つとしてヤミ市がはやくから発展した新宿について書かれています。 【つづきを読む】戦後日本・新宿で「ヤミ市」が発展した「納得の理由」…敗戦5日後に開かれたヤミ市を仕切った「組」や「禁制品の売り方」

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