禁断の恋と戦後80年間封印された記憶 シベリア抑留といえば、近年、映画『ラーゲリより愛を込めて』が大きな話題となった。しかし、この物語は、そのラーゲリ(ロシア語で「収容所」を意味する言葉)で過酷な抑留生活を強いられながらも必死に生き抜いた一人の日本人男性と、彼を愛したロシア人女性クリスタル・ターニャとの禁断の恋のエピソードでもある。名古屋市に住む長澤春男さん(100歳)は、戦後80年もの間、この話を封印してきたが、この度、ご本人の許可を得て、ここに解禁する。これは、これまで知られざることのなかった、長澤さんのシベリア抑留体験記である。 【写真を見る】ラーゲリから生還した100歳抑留者 戦後80年間封印されたロシア人女性との“禁断の恋” 命をつないだ「ロシア語」への執念【大石邦彦 取材記②】 「ロシア語を覚えようと思ったんだよ」 過酷な強制労働と粗末な食事。命を繋ぐのがやっとという極限の暮らしの中で、死を意識した春男さんはロシア語を学ぶことを決意する。敵国の言葉を学び理解することで、彼らの気持ちを知り、何とか過酷な食事の状況を改善したいと考えたのだ。 「現代でさえ、言葉をマスターするのは至難の業なのに、どうやって身につけたのか」 そこには、春男さんの並々ならぬ努力があった。春男さんが収容されていたラーゲリには、当時、ロシア語の通訳を務める日本兵がいた。春男さんはその通訳に「あなたが知っているロシア語を私に教えて下さい」と頼み込み、教えを請うたのである。 ソ連兵の目を盗み…深夜のロシア語レッスン 皆が寝静まった頃から、彼らのプライベートレッスンは始まった。ろうそくの微かな光のもと、通訳の男性から、一つ一つ言葉を教えてもらった。そして、それを書き記して覚えたのだ。しかし、あの劣悪な環境でノートなど存在するはずもなく、書き記す紙を手に入れるのに苦労した。ソ連兵に気づかれないよう、セメントの粉が入っていた紙袋をこっそり裂いてポケットに忍ばせ、その切れ端をノート代わりにした。鉛筆は持っていたため、そこに教え込まれたロシア語を書き記し、小さい声で復唱し、体に叩き込んでいった。 皆が寝静まった後、毎夜続いたシベリアでのプライベートレッスン。ろうそくの揺らぐ光のもと、ロシア語の単語を一つ一つ書き記し、耳をこらして通訳の発音を聞き、覚えていった。頭で覚えるというより、体に覚え込ませる感覚だったという。「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」という挨拶から、暮らしに必要な言葉を片っ端から暗記していった。 ロシア語をひたすら書き続けた“切れ端”の山 私は「今でも覚えているロシア語は何ですか?」と尋ねたことがある。春男さんは「ヴァイナー(戦争)」と「プログレッシブ(捕虜)」と答えた。その二つの言葉が、戦後80年近く経過してもなお頭から離れないというのは、あまりにも不憫でならなかった。当時、ソ連兵が何度も口にしていた言葉であり、春男さんも強く意識していた言葉だったのだろう。 いつしか、その即席ノートは束になっていった。周囲に悟られないよう、秘密裏に言葉を覚えていった春男さん。収容されている日本兵に見つかれば、裏切り者と罵られるかもしれない。ソ連兵に見つかれば、これまで書き記した貴重なノートを没収されるかもしれない。収容所に保管することもできず、春男さんはその切れ端を衣服の中に忍ばせた。束になり、山のようになったロシア語で埋め尽くされた切れ端を腕に巻き付け、その上から衣服を着ていたのである。 覚えたロシア語が増えれば増えるほど、体に身につけるのは大変になったが、それはレッスンが順調に進んでいる証拠でもあった。周りの日本兵は、春男さんが夜な夜なロシア語を学んでいたことなど知らなかった。なぜなら、彼らは疲弊した身体を休息させるために睡眠を最優先していたからだ。 その日を何とか生き抜き、翌朝を迎えられるのかも分からない厳しいシベリアの環境下だったからこそ、誰もが迷わず眠ったし、それが命を繋ぐ最善手だったのだろう。しかし、春男さんは他の人とは違う「最善手」を考えていたのだ。同じように寝ていてはいけない、自分の睡眠時間を削ってでも、他の人が寝ている間に努力しようと。 転機、そして執念がもたらした“武器” 春男さんには時間がなかった。食事量が減り、体力が奪われ、感染症に襲われ、自分も命を落とすかもしれないという生命の危機に対する恐怖心があった。同時に、ロシア語を教えてくれる通訳がいつまで同じ収容所にいてくれるか分からなかったため、彼がいるうちにマスターしなければならないという、先行きが見えない中での、残された時間との闘いでもあった。結局、真夜中のプライベートレッスンが始まってから3ヶ月が経過した頃、自分にロシア語を教えてくれた通訳の男性は、別の収容所へ転居してしまった。 「彼のおかげでロシア語をマスターできたよ。あれで助かったんだ。感謝しかないよ」そのロシア語が、春男さんのシベリア抑留生活における大きな転機となったのである。 通訳の男性がいなくなり、これからどうしようと思い悩んでいた頃、不思議なことが起きた。日本兵とは違う男たちの声が耳に飛び込んできたのだ。あまり聞いた覚えのない声、そして言葉。そこにいたのはソ連兵数名であった。彼らの会話の内容が聞こえてきたのだ。「彼らの会話の内容が分かるぞ、何を話しているかが分かるぞ」いつしか、春男さんは難解なロシア語をマスターしていたのである。 「やらないと人生が終わっていたからな」追い込まれた人間の執念がそうさせたのかもしれない。あるいは、人は生死がかかっていると、とんでもない力を発揮し、普段到底できないことでも成し遂げてしまうのかもしれない。 言葉を理解できたことは、春男さんにとって大きな武器となった。ソ連兵と会話できるようになったからだ。日常生活で意思疎通を図れたことで、ソ連兵からも一目置かれるようになり、いつしかソ連兵は春男さんに話しかけるようになっていた。その春男さんが、一世一代の大勝負に出る。(次回に続く) CBCテレビ 論説室長 大石邦彦