「危ないとわかっていてどうして依存症になってしまう?」「ダイエットに失敗するのはなぜ?」「どうしてバッシングが起きるの?」「なぜ人は平気でウソをつくの?」などなど——。自分ひとりの悩みから人間社会全体にまで及ぶこれらの原因が、‟脳”にあったとしたら……。それはまるで咒(まじない)のように。 中野信子さんが『咒の脳科学』で、人間の意思を超えて行動を左右する脳の働きを解き明かします。人生や仕事をよりよくするために、脳のメカニズムを知ることは欠かせない、と実感できます。 『サイコパスよりも危険なモンスターが増殖…‟向社会性”を重視する、普通の、良心的な人々により蝕まれる現代社会』より続く。 スキャンダルへの制裁 スキャンダルの語源については有名だからわざわざ詳しく私が説明するまでもないと思うが、聖書に登場する「つまずきの岩」(1)がその由来であるという(同時にこれは「シオンの親石」(2)であるとも言われる)。 時代を象徴するような著名人がしばしば、明確に成文化されているわけでもなく、法で厳格に規制されているわけでもない咎によって、結果的に社会的な活動を大幅に制限されるというかたちの制裁を受けることがある。 その是非をめぐる議論もかまびすしい。ただ、毎日のように見聞きはするけれども、とてもそこに参戦する気持ちにはなれない。いずれにせよ、どこかしらに不快感を覚える人がどの立場にも一定数存在するのは確かで、複数の視点のどこに立っても、誰もが納得する落としどころというのは見つけられそうにない。さりとて新しい視点が存在するかと言えばそうでもない。 何度もくり返しどこかで誰かが口にしたような、オリジナリティの欠片もない陳腐化した意見をまた聞かされるかと思うとそれだけでうんざりもするし、自分がそれを口にしなければならないかと思うともはや蕁麻疹が出てきそうである。 騒動を利用して名前を売りたいだとか、仲間だから助けたいだとかそういう強い意志があるのでもない限り、チャットGPTにでも言えそうなことを、私がわざわざリスクを負い、コストをかけて述べる必要もないだろう。 周期的な現象 ただ、薄情な私に思いつかないだけで、何かしらのコメントをする重要な理由がもしかしたらその人たちにはあるのかもしれない、という余地については考慮に入れておきたい。 〈資料〉 (1)つまずきの岩(イザヤ8:14)「イスラエルのふたつの家にとっては妨げの石、つまずきの岩となり、エルサレムの住民にとっては網となり罠となる」(2)シオンの親石(イザヤ28:16)「見よ、私はシオンにひとつの石を据える。これは試みを経た石、確かな基礎となる貴い隅の親石。信じる者は、慌てることはない」 ともあれ、周期的にこうした騒動が起こるというのは、その是非はさておき興味深い現象ではある。その理由についてのメタ的に起こる議論も大概は定型文的で、報じるメディアが悪い、報じないメディアも悪い、世の中が劣化している、人間そのものが劣化している、など、どうもあまり新しい切り口は観察されない。 どこかで誰かが一度は口にしていることからくる安心感がそうさせるのか、根拠があいまいながらそれらの語り口は謎の確信に満ちて、時に失笑を誘う。 どちらかといえば世間を騒がせるこうした事象は、社会的生物である人間の持つ生理現象とさえ言えるものだろうという見立てができる。週刊誌がやらずとも、誰かがやるだろう。例外的に地域共同体がすでに解体されて久しい大都市では起こりようがないものの、村落、職場、学校、趣味の集まりといった集団内でさえ、ほんのわずかのきっかけで誰かを標的とした攻撃の構造は簡単につくられる。 私たちは、生物としての脆弱性から、社会性を基盤として生存戦略を立てていくほかなく、それがゆえに同種の中から選ばれるイケニエを必要とする種族であって、そうすることで社会性のもたらす恩恵を最大化しているのではないかという点には常に注意を払っておいたほうがよいかもしれない。 『‟善意”の暴走による負のスパイラル…正義感にあふれた群衆が支配する‟正しい世“に広がり続ける“生きづらさ”』へ続く。 【つづきを読む】‟善意”の暴走による負のスパイラル…正義感にあふれた群衆が支配する‟正しい世”に広がり続ける”生きづらさ”