多くの人が知らない、ノモンハン事件で「戦争特派員」が見たもの

「状況芳しくなく、腹は決まっています」 「これが最後の通信になるかもしれません」 「足の悪い者や病人は濁流の中に呑まれて行く」 最前線、爆弾投下、連絡員の死、検閲……何が写され、何が写されなかったのか? 新刊『戦争特派員は見た——知られざる日本軍の現実』では、50点以上の秘蔵写真から兵士からは見えなかった〈もうひとつの戦場〉の実態に迫る。 (本記事は、貴志俊彦『戦争特派員は見た——知られざる日本軍の現実』の一部を抜粋・編集しています。秘蔵写真の数々は書籍でお楽しみいただけます) 南北に拡大する中国戦線 ノモンハン事件(ハルハ河会戦) 1939年の最重要トピックといえば、ソ連、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国)と満洲国との国境紛争問題であったろう。 満洲国をめぐる国境紛争は、1930年代に頻繁におこっていた。たとえば、1935年満洲国西北部のハルハ廟事件、1937年アムール川(黒龍江)沿岸における乾岔子事件、1938年満洲国東部の琿春県(現・琿春市)で起こった張鼓峰事件など、大小百あまりの国境紛争がつづいていた。 そして、ついに1939年5月11日に、満洲国西北部とモンゴル人民共和国東部の国境地帯、いわゆるハルハ河沿岸地帯で、4ヵ月間に及ぶ「ノモンハン事件」が勃発した。満洲国側のノモンハンにとどまることなく、モンゴル人民共和国内でも戦闘が繰り広げられた広域戦であったため、正しくは「ハルハ河会戦」と呼ぶべきかと思う。 さらに、この戦いは国境紛争にとどまらず、モンゴル人民共和国軍・ソ連軍と、満洲国軍・日本軍との体制間の争い、地域秩序の主導権争いであったことも忘れてはならない。 両者の最初の衝突は、極秘の空中戦であったため、当初は数人の記者が派遣されただけであった。取材制限も厳しく、関東軍による公式発表にもとづいて新聞記事が掲載された。 しかし、8月の再度の衝突は地上戦となり、双方とも大きな損害が生じた。このとき、大毎本社や支局から15人の取材陣が派遣されている。盧溝橋事件報道を差配した三池亥佐夫が新京支局長に転任していたが、この戦いでも取材の総指揮をとった。また、大毎社会部の後藤基治特派員が、ハイラル前線指揮者となる。大毎社会部の佐藤繁(鹿児島市出身)や浅井良任、西部総局地方部の田井正行のほか、大連支局の飛石賢一郎、奉天支局の記者小関巳太郎(新潟県上越市出身)、ハルピン支局の北崎学や高橋公彦らも集められた。 ところが、軍の厳命で無線の携行が禁止されたため、電信課員の参加は認められなかった。しかも、戦地での撮影には関東軍の検閲官が同行するなど、戦争取材としてはきわめて制限された特殊なものであったことは、これまでも指摘されている。 ノモンハン事件勃発から2ヵ月あまり経った1939年7月23日、特派員から最初の戦死者が出た。大毎社会部記者の佐藤繁である。享年36歳。佐藤は、京都帝国大学経済学部中退後、1930年に大毎社会部に入社し、盧溝橋事件勃発と共に特派員として華北に派遣された。 その2年前に北平の日本大使館で避難しながら記事を書いている姿は、写真でも確認できる。その後、7月29日に日本人虐殺事件として有名になった通州事件の取材では現地に一番乗りして第一報を送り、つづいて平漢線(北平〜漢口間の沿線一帯)に赴き保定、正定の戦闘も取材した。1937年末にいったん帰社したものの、1939年6月にはノモンハン事件の最前線となったバルシャガル高地、ハルハ河沿岸に派遣され、写真部員の松山勉らと行動を共にする。 佐藤は、厳しい環境のなかでの取材の最中、バルシャガル高地西方の飛行場わきで、ソ連爆撃機ツポレフSB八機、つづく二十数機の猛爆に遭った。 佐藤は、左こめかみや胸部に被弾する。その直後の佐藤の姿が写っている(写真は書籍『戦争特派員は見た』でご覧ください)。意識不明のままハイラル第一陸軍病院に運ばれるが、治療する間もなく戦傷死する。一方、松山は難を逃れた。 佐藤の死後、ハイラルの西本願寺本堂と、新京市祝町の太子堂の両方で告別式が開かれ、その後、大毎社会部特派員の浅井良任が遺骨を抱いて帰国した。大阪本社では、大々的に社葬が開かれている。 本記事の引用元『戦争特派員は見た——知られざる日本軍の現実』では、日中戦争から太平洋戦争、その後まで、特派員の人生や仕事からその実態を描いている。書籍には50点以上の秘蔵写真を収録していますので、ぜひご覧ください。 貴志俊彦(きし としひこ) 一九五九年生まれ。広島大学大学院文学研究科東洋史学専攻博士課程後期単位取得満期退学。島根県立大学教授、神奈川大学教授、京都大学教授などを経て、現在はノートルダム清心女子大学国際文化学部嘱託教授。京都大学名誉教授。専門はアジア史、東アジア地域研究、メディア・表象文化研究。主な著書に『イギリス連邦占領軍と岡山』(日本文教出版株式会社)、『帝国日本のプロパガンダ』(中央公論新社)、『アジア太平洋戦争と収容所』(国際書院)、『日中間海底ケーブルの戦後史』『満洲国のビジュアル・メディア』(以上、吉川弘文館)、『東アジア流行歌アワー』(岩波書店)など、多数の研究成果がある。最新刊『戦争特派員は見た』(講談社現代新書)。 【つづきを読む】「これが最後の通信になるかもしれません」…日本軍兵士からは見えなかった「もうひとつの戦場」

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