夏の高校野球神奈川県大会決勝が27日、横浜スタジアムで行われ、横浜が11—3で宿敵・東海大相模を破り、3年ぶり21度目の夏の甲子園出場を決めた。 横浜は3点を追う四回に4点を奪って逆転、勢いづいた打線は五回と八回にも猛攻で計7点を追加し、突き放した。神奈川2強対決に多くの観客が詰めかけ、球場は満員御礼となった。全国大会は8月5日、甲子園球場(兵庫県西宮市)で開幕する。今春選抜優勝の横浜は、「平成の怪物」松坂大輔氏を擁した1998年以来2度目の春夏連覇を目指す。 流れ変えた1発 東海大相模が攻撃の勢いに乗ったと、球場全体が感じた。三回裏、東海大相模の中村龍之介選手(3年)が放った先制の3点本塁打。どよめき立つスタンドとは裏腹に、横浜の村田浩明監督は「試合は長い旅のようなもの」と落ち着き払い、虎視眈々(たんたん)と逆転の準備を進めた。 四回表、先頭の為永皓選手(同)が中前打で出塁。次の阿部葉太主将(同)は内野ゴロで為永は封殺。一塁上の阿部に、村田監督は盗塁のサインを出した。「とにかく得点圏へ」と全力疾走で二塁に到達し、「主砲が何とかしてくれる」と打席を見つめた。 一死二塁の好機、4番の奥村頼人選手(同)が、「先発投手を助けたい」の一心で打席に立っていた。フルカウントとなり、チームのデータ班から「相手投手は苦しい場面で直球を選ぶ」と伝えられていたことを思い出した。 マウンドの東海大相模・菅野悠投手(同)は、前日準決勝で2打席連続本塁打を放った強打者を前に、「ひるむまい」と奮い立たせた。最後の7球目に選んだのは、横浜の読み通りの直球。「中途半端な球では通用しない」という意識が力みを生み、球は真ん中高めの甘いコースへ。捉えられた打球は右翼手の頭上を越え、外野スタンドに飛び込んだ。2点を追加し、反撃ののろしをあげた。 横浜は、続く小野舜友選手(2年)が四球で出塁、さらに池田聖摩選手(同)の犠打で小野は二塁へ。同点が目の前に迫った。 次に打席に立った江坂佳史選手(同)。1打席目は三振に倒れていた。「頼人さんについて行くんだ」と意気込み、同点となる二塁打を放った。続く、「ここぞというときに打つ」と名高い駒橋優樹捕手(3年)が適時打で江坂を本塁にかえし、逆転を決めた。 横浜は、東海大相模に行きかけた流れを引き戻し、その後も点を積み重ねて快勝。東海大相模の原俊介監督は「こちらも思い切り攻めた。(奥村選手の本塁打で)試合の流れを変えられて、点差を詰められなかった」と、誰もが認める勝利を引き寄せた一打に、白旗をあげた。 「嫌われる覚悟」持った主将 横浜3年 阿部葉太主将 高校3度目の夏、ついに悲願の優勝をつかんだ。「この日のためにやってきてよかった」。どんな苦境に立たされても、常に冷静で堂々とした姿勢を崩さなかった男が、村田浩明監督と抱き合って号泣していた。 1年夏からスタメン出場。昨夏は下級生中心のチームで2年生ながら主将を任され、学年を超える架け橋として期待された。だが、昨夏決勝の東海大相模戦、終盤で逆転を許し、2年連続、あと一歩で甲子園出場を逃した。「先輩に力を貸せなかった」と悔し涙を流した。 経験豊富な選手がそろった新チームは、公式戦で無敗を記録し続けた。だが、勝ちに慣れ続けたチームに、慢心が生まれた。春の関東大会準決勝で新チーム初の公式戦敗退を喫した。 元々は優しく穏やかな性格。言葉ではなく、プレーや背中で引っ張ってきた。だが敗戦を機に、「嫌われる覚悟を持とう」と自分を変えた。「そのプレーじゃ甲子園に行けない」「個人の結果にこだわるな」と厳しい言葉をチームにかけるようになった。すべては、夏の甲子園出場のためだった。 主戦・奥村頼人投手(3年)は、無理をして厳しい言葉を放つ主将の変化に気づいた。「言わせてしまっている。チームで阿部を支えなければ」と感じ始めたという。チーム全体の意識が変わった。村田監督は「勝ちに導いてきたのは阿部。最近僕よりも良い言葉を放つ」と舌を巻く。甲子園への切符を手にして、仲間に呼びこまれた主将は涙の代わりに照れくさそうな笑顔で何度も宙に舞った。(北川穂高)