2025年7月17日 ブルーバックスより『生命の起源を問う 地球生命の始まり』が上梓された。 本書は、科学に興味をもつ者にとって、永遠の問いの一つである、「生命とは何か」「生命の起源はどこにあるのか」の本質に迫る企画である。 著者は、東京科学大学の教授であり地球生命研究所の所長、関根康人氏。 土星の衛星タイタンの大気の起源、エンセラダスの地下海に生命が存在しうる環境があることを明らかにするなど、アストロバイオロジーの世界的な第一人者である。 46億年前の地球で何が起きたのか? 生命の本質的な定義とは何か? 生命が誕生する二つの可能性などを検証していきながら、著者の考える、生命誕生のシナリオを一つの「解」として提示する。 我々とは何か、生命とは何か、を考えさせられる一冊。 ブルーバックス・ウェブサイトにて 《プロローグ》から《第二章 地球システムの作り方》までを 集中連載にて特別公開。 *本記事は、『生命の起源を問う 地球生命の始まり』(ブルーバックス)を再構成・再編集してお送りします。 マントルと味噌汁 たとえば、地球内部のマントルは、対流という運動をしている。しかし、マントルが対流を維持するという意思をもって、何か活動しているわけではない。対流はあくまで地球内部の熱を外に逃がすという、物理的な要因によって規定される単純な物理現象である。地球の内部が時間とともに冷えていけば、マントル対流の速度は自ずと緩やかになっていき、最終的には対流が停止する。 それは、最初は勢いよく対流していた熱々の味噌汁が、冷えてしまえば流れを失うことと完全に同等である。味噌汁が対流を維持したいという意思をもっていないことは、皆さんも同意されるだろう。マントルもまた然りなのである。生命以外のシステムやサブシステムで起きることは、徹頭徹尾、物理学や熱力学、化学の帰結である。 分子スケールから銀河スケールまで、大小様々なシステムが互いを内包する多重の階層構造を作っているが、そのなかでおそらく唯一、明確な意思をもって活動しているのが生命システムである。 なぜ生命システムのみが、意思をもったシステムなのだろうか。 生命の起源とは、そのような意思のある小さな歯車が、地球システムの循環のなかに誕生したことに他ならない。海洋やマントルといったサブシステムがあり、それらの間で物質とエネルギーが循環しているシステムに新しい歯車が生まれるのである。それはいったい、どのようなからくりなのだろうか。 生命の起源とは、つまり、原始の地球に大気、海洋、マントル、地殻、コアといったサブシステム=柔軟な歯車たちが誕生しだしたことから始まる。生まれたてのそれらが、あるものは恐る恐る、あるものは意気揚々と回転し、物質やエネルギーを交換しだす。これら歯車たちは互いを認識し、物質やエネルギーのやり取りを始め、やがて落ち着き、ようやく地球システムとして安定かつダイナミックに機能し始めた。 そのタイミングで、生命という名で呼ばれるごく小さな歯車——しかし、唯一意思をもって活動する動的な歯車が、周辺の巨大な歯車の狭間に隠れるように生まれた。その誕生のからくりを理解することこそ、生命の起源を解き明かすということであろう。 生命という歯車の誕生は、具体的にはどのようなプロセスなのか。それは惑星システムにおける必然なのか、あるいは偶然なのか。 生命を求めて 地球は太陽系というシステムのなかの一つの構成要素であり、物質やエネルギーを絶えず外から受けとる外部に開かれたシステムである。原始地球に供給される小惑星の欠片も、地球への物質供給の一つの形態に過ぎない。 炭素質隕石と呼ばれる小惑星の欠片にも、アミノ酸や糖といった生命の材料が含まれる。探査機「はやぶさ2」は、炭素質隕石のなかに含まれていたこれら物質が、確かに地上で混入したものではなく、宇宙空間で作られたものだと示した。 しかし、だからといって、これらが地球生命につながったと考えるのは、あまりに短絡的で楽観的というのが僕の感想である。 宇宙から生命の材料分子が、あるいは仮にあったとして、機能をもつ物質自体や生命そのものが宇宙から地球にもたらされたとしても、その物質は必ず熱力学的に不安定であり、地球の循環のなかで地質的時間スケールでは極めて短時間で分解する。安定な物質=熱力学平衡へと変化しようとする。 機能をもつ物質は、循環のなかで物質やエネルギーを取り込み、外に不要物を排出することでのみ、熱力学平衡に陥ることから逃れる。これによって、生命へとつながっていくことができる。つまり、どんなに物質の供給があっても、その先にそれを受け止めて育む循環が、その惑星に存在しなければ意味をなさない。 仮に生命そのものが宇宙からもたらされたとしても、それはその生命が棲んでいた惑星システムに適応した生命である。同じ地球上でも、深海底に棲む微生物を地上にもってきても、培養に成功するのはわずか1%の生物種である。大半の99%の生物種は、どんなに似た循環を地上で人工的に作り出しても、それは同じではないため生きていけない。これは、生命が異なる循環に放り込まれた場合、そこでそのまま生きていくのは極めて難しいということを如実に物語る。 生命を育む惑星のシステムは、アナログ時計のようなもので、生命はそのなかの小さな一つの歯車に例えられる。生命という歯車を惑星システムから取り外して、似て非なる別のシステムに無理やり埋め込んでも容易には動かない。火星と地球のシステムは、似たようなサブシステムでできてはいるが、それぞれの歯車の大きさや特性は同一ではない。 生命は、それが棲む場の固有の循環が供給する物質で形作られ、循環が届けるエネルギーによって維持されている。 であるならば、生命の起源を理解するうえで本質的に重要なことは、原始の地球における大気や海洋、地殻といったサブシステムがどのような特性をもち、どのような循環を起こしていたのか、何が起きるとその循環の流れに生命という意思をもつ小さな歯車が誕生しうるのかという点にある。 それを見ることができれば、せめて、当時の地球の大気や海洋の循環の一部を記録した堆積岩が手に入れば、どれほど幸福であろう。 しかし、先述したように、その当時の一切の記録が、地球上からは失われている。 そうであれば、生命誕生前夜の地球システムを知るために、僕らがとるべき道は二つ。 座して地球に留まるか。 それを求めて宇宙に飛び出すか、である。 * * * 【初回から読む】生命はどこから来たのか…地球46億年の「循環」が解き明かす謎!