戦に明け暮れた信玄はなぜ?理由に「ある食材」求めていたか

名将や偉人は、いったい何を食べていたのだろうか? 永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いに出陣する直前、織田信長は有名な敦盛を舞う。 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり 舞い終えるやいなや、ごはんに湯をかけただけの“湯漬け”をかきこみ、信長は決死の覚悟で出陣する—。 小説やドラマでよく見かけるこちらのシーン。だが、実際には出陣前に湯漬けを食べたなどという記録は残っておらず、専門家のほとんどは後世の作り話と推測している。だが、せっかちそうな信長なら慌ただしくかきこんで出陣した可能性もなくはないかも、と想像してしまう歴史ファンの気持ちもわからなくはない。「食」は私たち人間にとって誰もが必要なもので、身近で想像しやすいもの。推しの名将や偉人がいったい何を食べていたのか気になる、という人も少なくなかろう。 そんな、身近な「食」=「料理」を通じて、お笑いトリオ・ネプチューンの3人が名将や偉人の生き方を掘り下げる、新しい切り口の歴史番組がこの春からNHK Eテレで始まっている。その名も「名将たちの勝負メシ」(NHK Eテレ 毎週金曜 午後10時)。今回から3回にわたり、番組で紹介した勝負メシの一部をご紹介しよう。歴史好きならきっと興味惹かれるに違いないので、読み進んでいただきたい。第一回は、甲斐の虎と恐れられた武田信玄について勝負メシから深掘りする。番組のレギュラー専門家である本郷和人東京大学史料編纂所教授によれば、勝負メシを紐解くと、信玄の意外な一面が明らかになるというのだが、果たして!? 戦に明け暮れた信玄 理由は食べ物を手に入れるため!? NHK大河ドラマ「どうする家康」では、主人公・徳川家康の前に立ちはだかった大きな壁として描かれた武田信玄。「風林火山」を旗印に、戦は連戦連勝。戦国最強とも言われる名将だ。1521年に甲斐国(現在の山梨県)で生まれると1541年、21歳のときに父・信虎を追放して家督を継ぐ。その後は生涯、戦に明け暮れるが、いったいなぜ信玄はそんなに戦わなければならなかったのか?本郷教授によると、その理由は信玄が“ある食材”を求めていたことも関係あるのではないかという。それは「小麦」「味噌」「塩」だ。 家督を継いだ頃の信玄の領土は甲斐一国のみ。山に囲まれ水田に向いた土地が少なく、米があまりとれなかった。そのため石高は20万石ほど。これでは兵を5千人ほどしか雇えない。もっと食料を確保し、領民を豊かにすると同時に兵力も増強したい。そう考えた信玄は実り豊かな土地を目指して領土を広げていく。まず目指したのは信濃国(現在の長野県)。信濃は諏訪湖を中心に盆地が広がり、土地は肥沃で交通の便もよかった。信玄は信濃国守護・小笠原長時や村上義清といった強敵を破り、信濃の大半を手中にする。 信玄の勝負メシ「ほうとう」 こうして、領土を拡大していく信玄の勝負メシとして番組で紹介したのが「ほうとう」である。信玄にとって、食料を確保することは何よりも大事なこと。米がとれないのであれば荒地でも育ちやすい小麦や、きびといった雑穀を作るよう領民に奨励した。実際、信玄がほうとうを食べたという記録は残っていない。だが信玄の館跡からは石臼など小麦を調理するための道具が出土しており、小麦でつくるほうとうは食べていたのではないかと推察される。 本郷教授によれば、歴史資料に食べ物について書かれることは、南蛮渡来の珍しいものぐらいしかなく、普段食べているものに関する記述はほとんど残されていないという。そのため、城や館の跡から出てくる出土品から、当時何を食べていたかを推測することは非常に大事なのである。 ほうとうと言えば味噌味だが、この味噌にも信玄のこだわりがあった。この時代、有力な武将たちは味噌作りに力を入れており、紱川家康の八丁味噌、伊達政宗の仙台味噌などが有名だ。栄養価が高く保存もきくため、味噌は戦の兵糧として欠かせない食材だったのだ。味噌を戦場に持ち込む方法もユニークだ。里芋の茎を編み、味噌で煮込んで乾燥させれば荷物を縛る縄として使え、湯で戻せば即席の味噌汁として食べられたという。そして信玄と言えば当然、信州味噌である。おそらくほうとうは信玄が食べていた当時もいまと同じく味噌仕立てだったのではないかと考えられる。逆に、現在のほうとうに入っている具材で当時はなかった野菜がカボチャ。カボチャは戦国時代にポルトガル船で持ちこまれたと言われており、ほぼ同時代の信玄がカボチャ入りのほうとうを食べていたとは考えにくい。このように、具材一つとっても発見が多く、料理から歴史を深掘りするのがいかに面白いか、ご理解いただけるだろうか。 川中島の戦いは信玄にとって「塩」戦争!? 再び、信玄の領土拡大の話に戻ろう。信濃の大半を制圧した信玄だが、ここで思わぬ強敵が立ちはだかる。その強さから越後の龍と恐れられた上杉謙信である。北信濃の支配権をめぐる川中島の戦いは12年にもおよんだ。長きにわたる戦いが明確な勝者なく終わると、信玄は北を目指すのをやめ、南の駿河国(現在の静岡県)へと侵攻する。川中島の戦いからわずか4年後、1568年のことである。こうして甲斐20万石から始まった領土拡大の戦は信濃40万石、上野25万石、駿河15万石、合計100〜120万石にまで広がった。だが、北へ南へと侵攻した信玄にはもう一つ、どうしても手に入れたいものがあったと本郷教授は推察する。それは「塩」だ。 料理だけでなく、冷蔵庫のない時代は食べ物の保存にも用いられた塩。だが、塩を作るには海水を人力でくみあげ、砂浜にまき、取り出した濃い塩水を釜で長時間煮詰めなければならず、時間と手間を要した。当然、値も張る。その金額は現在の10倍以上と言われている。さらに、海から離れれば離れるほど、高くなるのは必然。駿河に侵攻する前の信玄の領土は現在の山梨県、長野県、群馬県。海から遠く離れている。本郷教授は、川中島で上杉謙信と戦ったのも、駿河に侵攻したのも、海を手に入れたかったのではないかと推察している。どうやっても塩を手に入れたかったというのだ。 信玄の勝負メシ「塩漬けカツオ」 こうして、48歳にして念願の海を手に入れた信玄の勝負メシとして、番組が紹介したのが「塩漬けカツオ」だ。武田家の館跡からカツオなど魚の骨が出土しているが、生のまま運ぶのは不可能なので塩漬けにして運ばれたと考えられている。内陸で生まれ育った信玄にとって、海の魚はあこがれの食材だったに違いない。 ちなみに、信玄にまつわる塩のエピソードといえば「敵に塩を送る」という言葉が有名だ。今川や北条など敵対した周辺大名によって塩を止められ、信玄が困っていたところ、謙信が塩を送り危機を救ったという逸話だ。だが本郷教授によれば、これは江戸時代にできた作り話だという。しかし、こうしたエピソードが作られたこと自体、いかに塩が貴重で信玄が欲していたかを物語っているのではないだろうか。 その後、信玄は三方ヶ原の戦いで徳川家康を破るが、その翌年、53歳で生涯に幕を閉じた。というわけで、勝負メシから深掘りした武田信玄、いかがだったろうか。ネプチューンの原田泰造は感想を聞かれ「信玄が何のために戦っていたか、改めて考えるきっかけになった。『食』って大事なんだな」と答えた。もちろん、その先には天下取りという壮大な野望があったかもしれない。だがまずは“食べるため”、それこそが武田信玄を戦に突き動かした原動力だったのではないだろうか? 名将たちの勝負メシ NHK Eテレ 毎週金曜 午後10:00〜10:29 ※最終週を除く (再放送)  毎週火曜 午前0:00〜0:29 ※月曜深夜 蔦屋重三郎は「糸井重里」? 大河ドラマ『べらぼう』時代考証が語った「蔦重」のスゴさ

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