◇夏リポ 少年を救った泳ぎの天才ホースが戦時下の沖縄にいた。「沖縄戦の縮図」といわれる伊江島の凄惨(せいさん)な地上戦が起きる3日前の1945年4月13日深夜、栗毛の天才スイマーは当時15歳の宮城正仁さん(95)を乗せて島を脱出。米軍艦隊の警戒網や速い潮流を越えて5キロ離れた対岸の沖縄本島北部にたどり着いた。今夏の水曜企画「夏リポ」では、東京本社の梅崎晴光(62)が伊江島で当時の少年を取材。80年前の馬による疎開を振り返る。 戦前には沖縄有数の馬産地で知られた伊江島南東部に位置する東浜崎(あーりぱまさち)。観光乗馬のゆったりとした蹄音が潮騒と共鳴して不思議なハーモニーを奏でる、その小さな浜辺から島の古老・宮城正仁さんは5キロ先の沖縄本島を指さした。 「伊江島に米軍が上陸する3日前、私はこの浜辺から愛馬に乗って1人でひそかに本島へ渡ったのです。父が手綱を引っ張りながら海に入り、浅瀬まで見送ってくれました」 15歳時に体験した馬による島外疎開。船舶は米軍の爆撃機や潜水艦に沈められており、馬の泳力に頼るしかなかった。「沖縄戦の2年前に父が650円(現在の約80万円)で購入して軍作業に使っていた愛馬です。今の馬(サラブレッド)より小ぶりのホールーガ(伊江島の言葉で栗毛馬)という4歳牝馬でした。浮輪代わりにガラスの浮き球を2枚の麻袋に5個ずつ詰めて馬の左右にくくりつけ、深夜に海辺に向かいました。ところが…」。その栗毛馬が海水を嫌がって立ち往生。ゲート入りを嫌う競走馬のように前肢を突っ張り、前に進もうとしない。そこで父・正之助さんは自分の頭に巻いていた手拭いで馬を目隠し。すると、おとなしく海に入ったという。 「馬のタテガミにしっかりつかまってろよ!本島に着いたら母ちゃんたち(数カ月前に本島北部・今帰仁村仲尾次へ船で疎開した母と3人の弟妹)の所へ向かえ!必ずたどり着くんだぞ」。「ちゃーちゃー(父ちゃん)も元気しょうりよー(元気でね)」。これが父子の最後の会話になった。「戦争が終わってからも海で溺れる夢を何度見たか」。正仁さんは80年たってもまぶたに焼きついて離れない光景を語り始めた。 伊江島の南海上を封鎖するように沖合に停泊する米軍の船団。おびただしい数の戦艦から放たれた曳光弾(えいこうだん)が夜空を走り、サーチライトが暗い海面を照らす。「見つかる!」。宮城少年はホールーガの首に身を伏せた。伊江島—本島間には潮流の速い伊江水道が横たわっており、その難所にさしかかると愛馬のバランスが崩れた。「沈む!」。少年は無我夢中でタテガミにしがみつく。少年はカナヅチだった。 その後は記憶に残っていない。海面が明るくなり、タテガミに伏せていた顔を上げると、目の前に沖縄本島が広がっていた。「たどり着いたのは目標にしていた備瀬崎(本部町)でした。誘導されなくても伊江島から最短距離を泳いでくれた」。午後11時に伊江島を脱出し、翌日午前6時に本島上陸を果たす5キロ、7時間の決死行。備瀬崎に着くと、疲れ切った愛馬を浜辺で休ませ、徒歩で家族の疎開先・今帰仁村へ。涙の再会を果たした。「軍の命令で15歳以上は男女を問わず島に残って戦わなければなりませんでした。防衛隊員だった父が本島出身の隊長に“跡取り息子なら見逃すから”と疎開を黙認してもらって、誰にも見られないように深夜に島を脱出したのです」 戦前、平地が広がる伊江島の農家は馬耕で生計を立てていた。だが、沖縄戦の2年前(43年)その平地を利用して日本軍の飛行場建設工事が始まる。島民は工事に総動員。馬を飼っている農家は荷馬車で土砂の運搬を命じられた。宮城少年もホールーガの手綱を引いて運搬作業に加わった。その後、日本軍は完成した飛行場を自らの手で破壊する。兵力で圧倒する米軍に奪われることを恐れたからだ。米軍上陸が迫っていると感じた島民は疎開船に殺到した。宮城少年も母や弟妹とともに港に向かったが、「15歳なら島に残れ!」と、監視の日本兵に追い返された。そこで父親がホールーガを疎開馬に仕立てて長男を島から逃がしたのだ。 島に残った住民には「ありったけの地獄を集めた」と言われる地上戦が待っていた。主婦も竹やりを手にして米兵に突進する切り込み、箱地雷を背負って戦車に体当たりする人間爆弾、追い詰められた島民の集団自決。4月16日の米軍上陸から6日間の地上戦で島民3600人のうち約1500人が犠牲となった。宮城少年の父・正之助さんもその一人だ。ガマ(洞窟)で戦死したとされるが、遺骨は今でも見つかっていない。馬は大半が艦砲射撃の餌食になった。戦前は島内で1000頭近く飼われていたが、生き残ったのはわずか8頭。戦後は命をつないだ島民2100人とともに慶良間諸島に強制移住させられた。「ホールーガは私を沖縄本島まで送り届けてくれた後、行方不明になりました。泳いで伊江島に戻ったのか。あの馬のおかげで私は…」。宮城正仁さんは東浜崎の浜辺から海の向こうに広がる島影を見つめた。観光乗馬のゆったりとした蹄音が潮騒と共鳴する。その響きは80年前に少年を救った名馬へのレクイエムだったのかもしれない。