原爆が投下された広島には戦時中、地図から消された島がありました。そこで行われていたのは「毒ガスの製造」です。その実態を、俳優で『news zero』水曜パートナーの板垣李光人さんが取材しました。 ◇ 板垣さんが向かったのは、港からフェリーで約15分、広島県の大久野島。いまは“うさぎ島”として知られていますが、実は、かつてこの島では、毒ガスの製造が極秘で行われていました。 話を聞いたのは、島で毒ガス製造の歴史を伝えている山内正之さん(80)。 島でガイドを行う山内正之さん 「これが一番大きな(毒ガスの)貯蔵庫です」 約600トンもの毒ガスが貯蔵されていたという遺跡を案内してもらいました。 山内正之さん 「何千万人という人を殺せるくらいの毒剤がここに置かれていた」 板垣李光人さん 「中の壁と外の壁の色が、中の方が若干黒っぽい感じがする」 山内正之さん 「あれには理由があって、毒剤を全部取り出して、壁に毒物がいっぱいついていたら危険だということで、全部火炎放射器で念入りに焼いた跡。だから壁が全部黒っぽい」 板垣李光人さん 「この規模感で、どれだけすごいものがつくられていたか、一瞬見るだけでもすごく伝わる」 ◇ 当時から、国際条約で使用が禁じられていた「毒ガス」。大久野島は地図からも消され、極秘で製造が行われていました。 働きに来る人のほとんどは、毒ガスをつくるとは知らずに来ていたといいます。 携わる人は防護服を着て作業をしていましたが、隙間から毒ガスが体に入り込み、健康被害を受ける人や命を落とす人も多かったといいます。 実は、山内さんの妻・静代さん(77)の父・中丸常登さんも、戦時中、大久野島で警備などを行う守衛として働き、健康被害を受けた1人です。 妻・静代さん 「私が小さい頃、父が毎晩毎晩ひどいせきをして、とても苦しんでいたんです」 晩年まで肺炎などで苦しんだ父を間近で見たことで、夫婦で島の歴史を伝え始めて約30年。 板垣李光人さん 「いま観光地的に“うさぎ島”と呼ばれることも多いと思うんですが、率直にどう感じていますか?」 山内正之さん 「プラス面では、来てみたら『(毒ガス)資料館がある、入ってみよう』という人もいるんです。いままで知らなかった人も知るきっかけになる。でもやっぱり大久野島なんですよ、うさぎ島ではないんです。正しく歴史を受け止めて、それを後世に伝えていきたいし、伝えてもらいたい」 「正しく歴史を受け止める」。この言葉の背景には、山内さん自身の経験がありました。 山内正之さん 「『大久野島では毒ガスはつくったけど戦争では使っていないんだ』と、『外国の人を殺したりしていないんだ』と、誰かから聞いてそれを信じていた。それがある時、間違っていることに気づいた」 政府は戦時中の一部の毒ガスの使用を認めていますが、致死性の高い毒ガスの使用は明言していません。 しかし山内さんは、中国で被害を訴える人やその遺族に話を聞き、戦地で多くの死傷者を出したとされる“加害”の実態を知ったといいます。 山内正之さん 「すごく自分の浅はかさというか、ちゃんと歴史を勉強していないことを反省した」 妻・静代さん 「加害被害の両面を見なければ、本当の平和は築けないと」 板垣李光人さん 「加害と被害があって、それを垣間見ることによって生まれる平和というのは、本当にそうだなと」 ◇ あれから80年──。 妻・静代さん 「父は再びあのような間違いを絶対起こしてはならないと、晩年になって語ってくれたのが、私の心の中に強く残っている。未来の子どもたちを絶対に加害者にさせてはならないし、被害者にもさせてはらならない」 山内正之さん 「命ある限りは、大久野島の歴史を伝える活動はやっていく」 板垣李光人さん 「お父様の気持ちが、静代さんや山内さんを経て、また自分たちが伝えていきたい」 山内正之さん 「本当に大切なことですからよろしくお願いします」 (8月13日放送『news zero』より)