現役アイドルが大学を7年半かけて卒業し、地元で音楽フェスを主催する──そんな異色のキャリアを歩む女性がいる。 瀬戸内エリアを舞台に活動するアイドルグループSTU48の福田朱里さん(26)は広島と京都を往復する過酷な両立生活を経て7年半かけて同志社大学を卒業する一方、地元を飛び出して「香川にないもの」に気づかされた。 彼女が自らの名を冠した「フクフェス」で故郷・香川の活性化に挑む理由とは。ライターの伏見学氏が彼女の並々ならぬ地元愛に迫る。 フェスを開催する意義を真剣に考えた 既に述べた通り、フクフェスとは福田さんがプロデュースする音楽イベント。当初はアイドルフェスだったが、福田さん自身がアイドルだけでなく、バンド音楽も好きだったことから、2024年9月に高松で開かれた第3回からはアイドルとバンドが融合したフェスとしてジャンルの幅を広げている。 フクフェス立ち上げの背景には、STU48としてさまざまなフェスに出演していたことがある。中でも、ももいろクローバーZの佐々木彩夏さんがプロデュースするアイドルフェスティバル「AYAKARNIVAL」が印象に強く残ったという。 「彩夏さんが出演全グループのステージに出ていたんですよ。そういう方を初めて見て。絶対に大変なのに、楽しそうにやっている姿を目にして、本当にすごいと思いました。それとSTU48瀬戸内PR部隊で初めて出演した、芸人・やついいちろうさんが主催する「やついフェス」。それまではアイドルフェスしか出たことがなかったのですが、さまざまなジャンルが混じり合うことで面白い化学反応が起こる衝撃を体感しました。私が住んでいる瀬戸内にはそういったフェスはあまりなかったので、だったら自分で作りたいと思ったのがきっかけですね」 運営事務所にも賛同してもらい、2022年夏ごろから本格的に始動。最初は「朱里祭り」というネーミング案が出たが、あまりにも可愛すぎるということで却下。「フクフェス」に落ち着いた。 言い出しっぺとはいえ、実のところ福田さんはイベント立ち上げの難しさを痛感していた。 「STU48のただの一メンバー、別にセンターでもない福田朱里という者が、なぜそれをやるのかという説明と納得感が必要でした。ファンの人は私が結構アイドルのライブにも通っているオタクなのは知ってくれていたんですけど、それ以外の人にとっては意味不明ですよね。それをもっと周知させなければなりませんでした」 対外向けだけではなく、内部の理解も不可欠だった。 「STU48単独でイベントを組んだほうがコスト面やスタッフさんなどは絶対に楽です。しかも場所は高松だし。わざわざ他のアイドルを呼んで、STU48の持ち時間は30分しかない中でやることにメリットはあまりないと思われてしまうはず。それなのにどうしてやるのかというコミュニケーションを取ることが難しかったです」 なぜ私が音楽フェスを主催するのか--。その意義を福田さんはしっかりと考えるようになった。ただ、以前から漠然と脳裏に浮かんでいたのは、香川の若者に機会を提供したいということ。それはかつて福田さん自身が望んでいたものだった。 「AKB48さんは好きだし、握手会とかライブに行くのも好きだったけど、私の人生の中にアイドルになるというプランはなかった。広島みたいに芸能スクールはないし、周りにダンスを習っている子もいないから。芸能の仕事をやりたいとか言ったら完全に変人扱いですよ。野外フェスはあったけど、気軽にふらっと行ける街の音楽イベントなどはそんなになくて。だから自分が高校生の時に、そういうことをやってくれている人がいたら、もっと自分の価値観も変わっていたんだろうなって。だから今、香川に住んでいて、実はアイドルをやりたいと思っている子のきっかけ作りをしたい。あの頃の自分が見たかった景色を見せたい」 これがフクフェスをやる意義、高松や香川にこだわる大きな意味なのだ。 「結局、東京かよ……」と思われないために 何とかしてフクフェスの第1回開催にこぎつけたものの、福田さんは単発で終わりだと思っていたという。もちろん次もまたやりたいと伝えていたわけだが、最終的には運営事務所が決めることだ。慈善事業ではなくビジネスである以上、当然のことである。 半年ほど経ったころ、物事が動き出す。「第2回が決まったよ」とスタッフから告げられたのだ。ただし、場所は高松ではなく東京だった。福田さんはどういう心境だったのだろうか。 「結局、東京かよって思われないかなという心配はありました。私はそう思うタイプ。香川出身だから。本当はずっと瀬戸内が良かった。でも、東京でやれるチャンスをなくす意味もないなと考え直しました。東京であればメディアや関係者の方も来やすいし、STU48のファンも関東の方が多いから。それと交通費がかからない分、より多くのアイドルを呼べるという運営サイドの利点もありました」 総合的に判断し、福田さんも東京での開催に異論はなかったが、かたや譲れないものがあった。それは「絶対に次は香川にこのイベントを持って帰る」という、ある種の使命感だった。この主張が受け入れられ、2024年2月のフクフェス第2回当日、スタッフから「第3回は香川」と伝えられた。喜んだ福田さんは終演後、ステージから観衆に向かって高々と宣言した。 「Vol.3は香川で行います。いつもは瀬戸内から東京に来ているので、今度は東京から瀬戸内に遊びに来てください!」 この時の心情を福田さんは次のように振り返る。 「東京だったら同じようなアイドルフェスはいくらでもある。香川でこれをやることにフクフェスの唯一無二の価値が生まれます。何よりも香川を盛り上げたいし、皆を香川に連れて行きたかったんですよ。お客さん、アーティストを含め、私の好きな街を皆に見てもらいたい、好きになってもらいたいなという気持ちが本当に強かった」 口だけの地元愛などすぐに見抜かれる そして2024年9月、宣言通り、第3回は高松での開催となった。今度はバンドとアイドルの共演だった。イベント当日、会場付近の商店街をフクフェスのTシャツやタオルを身にまとったファンたちが練り歩いていた。 なお、フクフェスの出演者を選ぶ基準は福田さんがライブに足を運んだかどうか、自分が好きかどうかである。具体的なブッキング業務は当然、運営事務所が関わっているが、ラインナップは福田さんが舵取りをする。この時は175RやガガガSPといった有名バンドも出演したから驚きだ。 「もちろんスタッフさんが頑張ってくれているわけですが、私が何年も前からライブに通い、それをSNSで発信したりするので、バンドマンは多分見てくれていたのでしょうね。チケットを買って、本当に好きで見に来る子なんだというのは、何となく知ってもらえていたから、それで信用を得た面もあるかもしれません」 フクフェスは年を追うごとに規模が大きくなり、本編とは別に、東京・渋谷での番外編や札幌での出張編なども実施。25年5月の第4回は広島と東京の2拠点での開催となった。集客も順調で、第1回は満員にならないような船出だったが、今では事前のソールドアウトも珍しくない。 第5回は今年11月に山口県周南市での開催が決まっている。開催地選びにはさまざまな事情があるだろうが、福田さんとしては高松での定期開催を目論む。そして、次に地元で開催する時にぜひともモデルにしたいのが「SANUKI ROCK COLOSSEUM」だという。 「高松の商店街全体を舞台にした音楽イベントです。チケットやリストバンドを見せると、例えば天ぷら1個を無料でもらえるなど、街のいろいろなお店も協力してくれていて、毎回とても憧れています。私は高校で香川を出てしまったこともあって、街における人間関係がほとんどないことが課題です。地域に根ざしたイベントを実施するという点ではまだまだこれから」 そのほかにも香川には見習うべき成功モデルがある。毎年数万人が来場する中四国最大級の野外ロックフェス「MONSTER baSH(通称:モンバス)」や、香川県住みます芸人の梶剛さんがプロデュースする「かじ祭り」などだ。 「モンバスとまではいかないにしても、フクフェスがいつか香川の定番になれば嬉しいです」と福田さんは力を込める。そのために何をすべきか。福田さんは明確にわかっている。自分自身やSTU48が地元にもっと受け入れられなければいけない。 「やはり足繁く通わないと駄目です。そして、建前としての地元愛じゃなくて、本当の地元愛を見せないと。地域の人たちは『この人、口だけで言っているな』とすぐに見抜きますから。これはSTU48の活動にも言えること。平和祭典の時だけ平和を祈っても意味がないじゃないですか。もちろん、心から平和を祈っていますし、考えて歌っていますよ。でも、側から見ればその時だけ来る人になってしまいがち。特にタレントは。だから本当に愛情を持って、個人としてもグループとしても、この街のことを大切にしていますよということを伝えていかねばならないと思っています」 裏を返せば、その思いが相手にきちんと届けば、応援してもらえるチャンスも広がると感じている。 「私のファンの人も、応援し始めたきっかけは香川の子だからというケースが多いんですよ。結局30〜40人のメンバーの中から誰を応援するかとなった場合、見た目だけじゃない、別のきっかけもあるわけです。その1つが出身地だと思います。地元の人たちにとっては愛着が湧きますし、その子が心からの地元愛を持っているのであればなおさらですよね」 今後フクフェスではローカル色をもっと打ち出していきたいという。あくまでも福田さんの個人的な構想だが、その一つとして考えているのが「地元枠」だ。 「地元にいいアーティストとかアイドルの子とかいたら、たとえまだ有名でなくても出演してもらいたいです。もちろん、すぐにはできるとは思っていません。自分もやりたいことをやりたいって発信し続けて、事務所に認められるのに数年かかったから。でも、まだここから。私なりの地域貢献をもっとしていきたいです」 夢はアリーナ アイドルのキャリアは有限だ。いつその日が訪れるのかわからないし、先行きは常に不透明である。ただ、今こうして地元で活動ができているのであれば、アイデアはどんどん形にしていきたいと考えている。そしてまた、福田さんには叶えたい夢がある。それは、あなぶきアリーナ香川でフクフェスを開催することだ。 「これからも香川でフクフェスは絶対にやるし、最終的にはアリーナで氣志團さんを呼びたい。そこでSTU48の勇姿も地元のお客さんにぜひ見てもらいたいです。それは諦めていないです」 一度これだと決め込んだら、猪突猛進する行動力。そして地元に対する偽りない愛。その武器を最大限に生かして地域を巻き込み、次々と仲間を作ることができれば、きっと物事は好転するし、今よりも加速するはずだろう。そのとき、福田さんの夢は現実のものになる。 【前編を読む】香川出身STU48福田朱里が広島で受けた「衝撃」…7年半かけて同志社大学を卒業した努力家アイドルの「地元愛」