世界で初めての原子爆弾が落とされてから80年。平和を祈る広島に、日本テレビで働く、ウクライナ出身の女性が、一人の被爆者の女性に会いに行きました。近藤紘子さん80歳です。聞きたいことがありました。 暑い夏の広島。今年も快晴の空の下で、多くの人が平和への祈りを捧げました。 日本が、世界で初めての原子爆弾を落とされてから80年。 「その被害の大きさを、広島を訪れて初めて知った」と今春、夜行バスで広島に友人と出かけ、少し興奮気味に話したのは、ウクライナ出身のメルニク・ヴィクトリアさんです。 日本テレビの報道局で働き、海外向けチャンネルで英語などの動画を制作しているヴィクトリアさん、24歳。ウクライナのリビウの大学で日本語を学び、3年前に来日しました。 普段はウクライナのことをほとんど口にしません。しかし、ごくたまに、リビウに残る母親の料理が恋しい、と話したり、故郷について不安を抱え、連絡がとれなくなった友人もいる、と複雑な感情を口にしたりすることもあります。 その彼女が、広島をどう感じたのか、そして街中が平和を祈る特別な日に何を感じるのか? かねてから戦争について日本から改めて世界に発信したいと考えていたなか、思い浮かんだのが、10年ほど前にお会いした被爆者の近藤紘子さんへの取材でした。近藤さんは、会った誰もがファンになるような、素敵な人柄。愛にあふれる姿を思いだし、近藤さんに連絡をとりました。世界中から取材依頼がある近藤さんは予定を調整し取材を受けて下さりました。 当日、現れた姿は、とても小さく。ことし骨折をしたとも聞いていたので心配していました。しかし開口一番、大きな声で、流ちょうな英語で「KOKO(紘子)を探しているのかしら?」と笑顔とユーモアたっぷりに声をかけてくれました。緊張していたウクライナ出身のヴィクトリアさんは思わず笑顔に。英語と日本語をまじえて、力いっぱい語って下さりました。 ■被爆時に着ていた服を手に:「兵士だけではない 小さな子供も」 「(生後8か月の時)広島で被爆しました。(爆心地から)1.1キロのところで。父は牧師だったので、一番そうね、最初は、子どもたちが多く教会にきた。でも大人は誰もついていない。親もついてきてなかった。なんで子どもたちだけ?と思ったら孤児だった。当時は孤児ばかりだったのよ」 「こちらの私の服。私はこれを着ていたの、8月6日。母が持っていて、私にくれました。おそらくこれを着ていたのが何日かわからない。多分ほかになかった」 小さな洋服。縦幅は数十センチ。 Qこんな小さなころに被爆されてたということですね 「そう。まだ8か月。原爆資料館にもいっぱいあるけれども、今の子どもたちには見せるのね。小さいけどね。兵隊だけじゃないと。小さい子もなくなったんだって(知ってほしくてね)」 そしてこう続けました。 「だからきっとね、大変な思いをしている子供たち、あなたの国でもね、きっとね。私みたいな、おばあさんが出てくればいいなと思っている。感謝している、残してくれて(母に)感謝してくれる」 ■広島での幼少期の苦悩 「当時は、原爆にあった人たちはケロイドがあったりするけど何も言わなかった。クラスでも80年経っても、未だにクラスで何人くらい被爆していた人がいるか分からないまま。というのはやはり差別。もしそういう人と結婚したら子どもたち、孫たちがそういう影響がでるかもというので言わなかった。就職も被爆者だったら身体が弱いから働いても途中で休んだりするし皆、言わなかった。」 多感な少女時代の苦悩。取材が終わった後、涙を流して話したのは、米兵の前で、服を脱いで、被爆後の影響を検査をさせられた経験。そして、被爆した女性たちにも多く出会ったことでした。 「(最初は)見れなかった。まぶたは額にひっついたまま。唇は、あごにくっついたまま。え?どうしたんだろう?っと。でもお姉さんたちには聞かなかった。ある日、一人のお姉さんがどこかでクシを探してきてくれた。そして私の髪の毛を解いてくれた。私は最初にクシが見たかった。そーっと顔を右に向けたら、クシを見る前に、お姉さんの指が見えたら、その指は全部ひっついたまま。え?どうしたんだろう、と思った。でも聞かなかった。そういうことを聞いちゃいけないと分かっていたから」「私はやっぱり私は(原爆を落とした)B−29に乗っていた人を見つけてパンチするか、かみつくかしたいとおもった」 ■父に連れられてアメリカで知った「憎むべきは戦争」 憎きアメリカ兵。そう思っていた近藤さんは、その後、考えを変えることになりました。父の講演でアメリカに行き、テレビに出演。その際に対面したB−29の副操縦士の姿でした。その時のことについて、ウクライナ出身のヴィクトリアさんには聞きたいことがありました。 ■ウクライナ出身だから聞きたいこと Q私はウクライナ出身なので、私にとっては今はちょっと信じられないのですが。近藤さんが(米兵を)許すのはどうしてですか。気持ちも分かりますが敵を許すなんて。 「(行った米国の)テレビの番組で司会が「8時15分に爆弾を落としたあと、あなたはどう思いましたか」って聞いた。彼らにはもう一つ命令が来ていたみたいで、落としたものの威力はどうだったか見てくるようにって。だからBー29(エノラ・ゲイ)は再び広島上空に戻っている。そして彼は窓から広島を見て“広島が消えていた”って。原爆を落とす前は、きっとそうから見てきれいな広島の街中が見えて。落としていったん離れて戻ってきて広島の街を見たら“もう広島は消えていた”。そして彼は“My god what have we done?神様、私達はなんてことをしたんでしょう?”と。」 「私はそれまでずっと彼を憎んでいたから、にらみつけていたけど、そうしたら、(彼の)目から涙が出ていた。この人を私はモンスター、鬼だと思っていたのに。私と同じ人間だっていうのは分かった。その涙によって、私が学んだことは、彼は敵ではない。私と同じ人間だと。憎むべきはこの相手ではない。私が憎むべきは、戦争。戦争を憎まないといけないことが分かった」 ■伝え続けるワケ:「代わりに生きている」 幼少期に感じた経験を経て、伝え続けるのには、理由があるといいます。 「原爆投下2日後の8月8日、私のおばさんが彼女の子どもを連れて広島に食べ物を持ってきてくれた、いとこをおんぶして。原爆が落ちて2日後。街を歩いて探してくれてやっと見つけてくれて出会った。だからその子とはその後遊んだ記憶があるの。原爆が落ちて2日後、彼女のお母さんに連れられて広島に入り、1年後に亡くなった。あとで聞いたら、彼女は放射能の汚染で亡くなったのね」 「私は生きている、彼女の代わりにも生きているの」 ■父を継ぐ:戦後の苦悩「なかなかいい親父じゃないかと思った」「40歳で聞いた」 伝える活動を続けてきた近藤さん。そこには、戦争で傷ついた人たちに向き合った牧師の父親の姿が重なります。破壊された教会でも、多くの被爆者と向き合ってきた写真が、教会に今も展示されています。 「小さい頃から、父に、町内で生き残った赤ん坊は、お前一人だったから、お前は将来広島のため、平和のため生きていってほしい、と言われ続けた。(最初は)言われれば言われるほど、私はしません。と思っていた」 「しかし、大人になってから、父が40年近く流川教会で39年、40年近く牧師をしていました。最後の日、聖書からひもといて、一番、最後に言ったことは、なぜ広島のために生きていきたかったかという説明があった。被爆した8月6日。父は朝早く家を出て。そうしたら爆風で吹き飛ばされて、あ、しまったやられたって思ったんだけどちょっと立ってみたら、立ったら、足も大丈夫、手も大丈夫。山の上から見たら、広島では火が上がって煙が上がって何があったか分からない。彼は自分がずっと関わった教会。教会がどうなったかということで(山から)下山して。もう多くの人たちが5000人、1万、3万、5万人。もう数え切れない人たちがみんな助けて叫んでる・・・。助けられる人を助けるけれども、建物に挟まった人、近くだったらどうにかできたけど、遠くで挟まっている人は助けられない。ごめんなさい、許して下さい、ごめんなさいって言いながら去った。それが罪悪感になっていた」 「(だから)広島のために生きていきたいっていう気持ちを40歳になって聞いたときに“ああ、なかなかいい親父じゃないか”と思った。私はお父さんみたいにはできないけど、お父さんみたいな歩み、道のりは少しずつでも歩んでいきたいなと思ったんです」 ■ 被爆十字架:礼拝堂の木材で制作も、戦後50年しまわれたワケ 近藤さんの父親・谷本清さんが牧師として勤めていた流川教会は、その後、移転。そこには、黒い、被爆した十字架がかけられています。 しかし戦後50年までは、しまわれていたと言います。なぜなのでしょうか。 広島流川教会 向井希夫 牧師 「被爆者の人たちが黒焦げになった十字架を見るというのは、辛い思いをする、黒焦げになった広島の街や黒焦げになって 亡くなっていった人を思い起こすと」 「しかし直接被爆を知らない人も増えてきちんと伝えていかなければいけないと」「二度とこうしたことがないように」 教会では、かつて戦争への動員を促す鉄くずを集めるといった行動も含め公開していくとしています。そこには平和への祈りが強くあります。 被爆十字架は、教会を訪れる人たちに多くのことを伝えつづけています。 ■80年の歳月を経て来日「イギリス連邦占領軍だった父が写真を撮った教会に来たかった・・・」 取材をした日、私たちは1人の女性と出会いました。夫と訪れていたのは、流川教会を80年前の被爆直後に訪れた父を持つ、リンダルさん。オーストラリア出身で、イギリス連邦占領軍に参加していた父親がカメラで撮影していた写真が200枚以上発見され、父から受け継いだ時から、教会を訪れたい、と来日を考えていたと話します。 そこには、教会側が見たことが無い写真も・・・。 「父はイギリス連邦占領軍の一人として80年前に来ました。父が撮影した教会の写真を見てきたいと思っていました」「素敵な牧師さんが居たと聞いています」 「戦争で市民が多く亡くなった。私は被爆80年の式典に出て、亡くなった方そして父を偲びたいと思っています」 80年という歳月は、多くの変化をもたらしています。 ■ 黙祷:米国人「歴史から学ぶ必要がある」 平和祈念式典には過去最多の国と地域が参加しました。 そして、黙祷の瞬間、世界中から来た人たちが祈りを捧げました。 フランスからの観光客「黙祷の時、泣いてしまいました。胸が痛かったです」 ドイツからの観光客「空を見上げて、言葉になりませんでした」 米国からの観光客「亡くなった方に哀悼の意を表してくて来ました」 「高校で歴史の教師をしていますが、過去から学び、知ることが大切だと改めて思いました」 ■「いつかウクライナでも平和式典を」 ウクライナ出身のヴィクトリアさん 「当時たくさんの人が亡くなった。とても悲しい気持ちになりました。そして、いつかウクライナでもこうした平和が訪れて、平和式典ができたらいいと思いました」 ■「80年は長かった」「多くの人が叫んだ」 被爆者の平均年齢は86歳を超えました。 近藤さんは、こう話しました。 「(80年は)長かった。多くの人が叫びながら亡くなったの」「子供の時は、大人はどうして?とおもっていた」「もう大人も終わろうとしているのに、まだ核はあるのが悲しい」 ■ウクライナやガザの人たちへのメッセージ Qウクライナ出身者として聞きたいのですが、ウクライナの人にメッセージはありますか? 「私のメッセージなんか大したことはないけども、皆さんに生きていってほしい。必ず、いつかは光が見えてくる。そして皆さんに、子どもたちを大切にしてほしい。だってその子どもたちが次の時代を担うんだから。体験した子どもたちがしっかりそれを胸に叩き込んで、だからこそ彼らはちゃんと平和を作ることができると思う」 「多くの方が家族を失くしたり、つらい思いをしている方が今もいらっしゃると思いますけれども、どうか必ず、希望があるのならば、いつかはそれが実るときがくると信じている。その前にとにかく核を廃絶しないと」 平和を祈る気持ちに国境はありません。しかし、いつ願いが届くのか。 長い年月の重みを感じた取材でした。 ■近藤さんにお会いしての感想 メルニク・ヴィクトリアより:今回、広島で、近藤紘子さんという素晴らしい女性にお会いする幸運に恵まれました。原爆の被害を経て、今なおこれほど活発に伝えつづけてることに感銘を受けました。近藤さんは、広島の歴史を次の世代へ伝えることに全身全霊を捧げており、その平和への真摯な思いを強く感じました。近藤さんは大きな広い心を持った方で、その姿勢にも多くを学びました。広島への訪問は、私にとって大きな感動でした。なお訪れてみて、一見、今や他の日本の都市と変わらない広島ですが、そこには今もなお特別な空気が流れ、80年前の出来事へと心を引き戻し、「平和」という何気ない言葉の大きな価値について深く考えさせられました。 ■取材後記 今回、ウクライナ出身のヴィクトリアさんに取材に参加してもらうにあたり、もしかしたら思い出したくないことを思い出させるのではと心配しました。紛争が続く国への気持ちは、想像以上だと思ったからです。注意しながら取材に参加してもらいましたが、広島で改めて最大の罪は「無関心であること」だと感じ、少しでも関心を持ってくれるならとVTRにまとめました。 今年、近藤さんの言葉で印象に残ったものが2つあります。ひとつは「戦争が人間同士の行為であり子供が犠牲になる」こと。紛争地の映像を見ると映ることは少ないですが、忘れていけないと改めて思いました。そしてもうひとつは父の背中から学んだ点です。戦後を支えた世代は寡黙で不器用な人が多くいるように感じますが、その世代が残したことを、どんな思いで継いでいったのか、語って下さりました。実は2年前に再会した際に、私は近藤さんに、誕生日の父に会いに行くのだと話しました。同僚がコロナに感染したため会うのを控えた直後に父は亡くなり会えませんでした。命は有限ですが、近藤さんの言葉と優しい笑顔に改めて生き方と年月の重さを考えさせられました。 ご覧いただき日本のみならず世界の紛争に関心を持っていただければ幸いです。
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